第六章 太陽の街で 3

 翌朝、フォルテは少し早めに起床していた。

 昨晩は何となくシャーリーに気を遣い、隣室には就寝前の声がけにしか行けなかった。その時は極端に落ち込んでいる様子はなかったが、無理をする性格である以上、態度だけで判断はできない。

 早めに様子を見に行こう、と考えつつ、身支度を調える。そろそろ着るのに慣れてきたロランの衣服を纏い、ベッドの脇に視線を遣った。そこに立て掛けた剣を手に取り、鞘から抜き払う。

 夜のうちに魔力を鎮めた刀身は、銀色に変わっていた。ずっと黒い状態を見てきたので違和感もあるが、ひとまずこれで、提げているだけで危険な状態は脱したのだろう。

(やっぱ、部屋の中で振るってみるのはまずいよな……)

 昨夜に何度か軽く起動と鎮静、簡単な魔力の出し入れは試してみたが、流石に攻撃魔法の具現まではできていない。早く試したい――と気が逸るのは、軍人の家系に生まれ、剣に親しんだ身の性だろうか。正直まだ不安や疑問はあるが、同時に、この剣が自分に扱える特別なものだという事実には、期待めいた高揚感を感じずにはいられない。

(必ず、制御してやる)

 そうすればきっと、シャーリーを守るための力にもなるはずだ。

 柄を握り直し、運動前に軽く体を解すような感覚で、数度の起動と鎮静を試す。

 短く息を吸って集中し、発動を念じると、刃の周りに薄い炎めいた靄が揺らぎ始めた。

 同時に、ベッドに立て掛けた鞘の文様が薄く光る。今は朝なのでわかりづらいが、暗いと結構はっきり見えるので、昨夜初めて見た時には、シャーリーがリコで見たのはこれか、と納得もした。

 そんなことに没頭していると、突然、扉が鋭くノックされた。

 発動を解除し、返事をしつつ扉を開くと、妙に濃い仏頂面のエディスが立っていた。

「……ども」

 怪訝に思いながらも、フォルテは軽い会釈で挨拶をする。

「いたか。早く支度しろ」

「へ? なんの?」

 間の抜けた声をあげるフォルテの横を、エディスは不機嫌そうな顔で通り過ぎる。

 そして剣の鞘を拾うと、フォルテの手から剣本体をもぎ取り、鞘に収めてから返した。

「警備隊の朝稽古の時間だ。こいつを振り回すには丁度いい。来い」

「えっ? でも俺、まだシャルに」

「相棒は今日は市長の仕事を見学する。とうに部屋にはいない。聞いていないか」

「……は?」

 全く聞いていない。

 目を丸くするフォルテを見て、エディスは一層渋い表情で溜息を落とすと、フォルテの腕を乱暴に掴む。

「時間が合えば朝食には顔を合わせられる。もういいから来い」

「え……あ、ちょっ! 待っ――!」

 抵抗の言葉も空しく、フォルテは剣だけを手に廊下を引き摺られていった。


 そうして連れて行かれたのは、先日上階から見た訓練場の庭だった。

 一帯の地面は均されていて、周囲の建物の内部は休憩所や倉庫、厩などになっているらしい。辺りには既に軽装の男たちが集まり、めいめいに運動を始めている。

「この広さがあれば、その剣を振り回しても問題はあるまい」

「え……いいのか?」

 物珍しげに周囲を見回していたフォルテは、驚いてエディスを振り返る。

「流石に、辺りを破壊するほどの力の行使は控えて欲しいがな」

「あのさ、さっきのどういうことだ? シャルが市長のところにいるって……」

「言った通りだ。恐らく、保護を受けるに相応しい場所か、見極めたいのではないか。庁舎の見学をした時も、随分興味を持ったようであったし」

「……それ、どうして俺に言ってくれなかったんだ?」

 湧き上がる不満に、自然と声に棘が混じる。別に隠すことではないし、朝のうちに言いにきてくれたっていいはずだ。

「急だったのではないか。俺も今朝市長に会いに行ったら突然告げられ、お前のほうの世話を任された。見学でも観光でも付き合ってやれと」

「なんだよ、それ……」

「……そういう顔をすると思ったから、お前をここに連れてきた」

 顔を顰めるフォルテに、エディスは溜息を吐くと、自分の腰の剣に軽く触れる。

「相手をしてやる。お前も苛ついた時は、体を動かしていた方がいい人間だろう。……それとも、侯爵家の『武芸』では、実戦で鍛えた者の相手は自信がないか?」

「なっ……! てめ、このっ……!」

 薄い笑みを交えた露骨な挑発に、フォルテはあっさりと乗り、剣を抜き払って構える。

 そしてがむしゃらに、八つ当たり同然でエディスに襲いかかった。


「フォルテ……大丈夫か?」

 そして数十分後。食堂でシャーリーを見つけ、共にテーブルを囲めたものの、フォルテにはもう彼に何かを質す元気はなく、却って心配の言葉をかけられる羽目となっていた。

「ああ。……ああ。うん」

 生返事を返し、フォルテは生気のない顔で、もそもそと朝食を咀嚼する。

 エディスとの手合わせは、他に稽古をしていた面々が見物に来るほど白熱した。それでも実力差は明白で、つい剣の魔力を発動したフォルテは、打ち合いの中で簡単な攻撃魔法なら操れるようにもなったのだが――調子に乗り、体力と気力を使い過ぎたのだ。

「魔法具の経験が浅い者にはよくあることだ。今日はもうやめておくか?」

「いやまだっ、……。ちょっと休む」

「賢明だな。こちらはこの通りだが、お前はこの後も市長と?」

「あっ、はい。ご一緒させて頂きます」

 エディスの問いに、シャーリーは固い表情で頷く。

 フォルテとしてはシャーリーに色々訊きたかったが、体の怠さに気力が潰えたことに加え、顔を見たことで少し安心し、まあいいか――などと思ってしまった。顔は見せてくれたのだし、きっと本当に、ただ急な話だったのだろう。

「分かった。こちらのことは心配するな」

「……ありがとうございます」

 神妙な面持ちで、シャーリーはエディスに頭を下げた。


 そして、夕刻。

「市長の護衛のエディスが連れてきた子供がなんだか凄いらしい」という噂は市庁舎中に広まり、訓練場での手合わせには、暇を作って出てきた見物人が多く集まっていた。

 暗くなる前にと打ち合いを切り上げた時には、さらに興味を持った者がフォルテとエディスの周りに集まり、あれこれと構い始める。

 ――そして、その様子を、遠くの窓から見つめる人影がひとつ。

「……やっぱり、彼のことが気掛かり?」

「えっ、あ……何でもありません」

 市長執務室の大きな窓に手を触れ、外を見ていたシャーリーは、背後からダレンに声をかけられ慌てて振り返った。

「ここからじゃあ、訓練場はぎりぎり見えるくらいじゃない? 何なら行ってきてもいいんだよ?」

「いえ……大丈夫です」

 窓から斜めに外を見るダレンに、シャーリーは首を横に振る。

「フォルテ君、人気者だねえ。まあ、今時あんな素直な子も珍しいしね」

「単純、とも言いますけど。……でも、彼は本当に、誰からも好かれるんですよ」

 言いながら、心に温かさと、寂しさが滲む。

 と、ダレンが窓からシャーリーに視線を移し、そうそう、と切り出した。

「さっきね、リタから伝言があった。昨日の件、数日中にはこちらに来られるって」

「……ありがとうございます」

 シャーリーの胸に、さっと緊張が走る。

「今日来られないかって訊いたんだけど、急に診療所閉められませんって怒られちゃったよ。まあ、それまでは一緒にいてくれていいから。それとも、これは余計なことだった?」

「いえ、お気遣いには感謝しています。……その、今彼と顔を合わせて、何を話したらいいのか分かりませんし……」

 窓硝子に手を突いたまま、シャーリーは視線を落とす。

 ――卑怯な真似だと、自覚している。

 だが、今フォルテと会うのは辛い。流石に全く顔を合わせないのは無理だが、そんな時ですら、今問い詰められてしまったら――と、怖くて仕方がない。だから昨晩市長が、シャーリーが何らかのフォルテに関する悩みを抱えていると悟り「心の整理がつくまで僕と一緒にいる?」と救いの手を差し伸べてくれた時、是非もなく飛びついてしまった。

 それほどシャーリーの心は弱っていたのだが、一方で彼は、市長の提案に安堵し、甘えてしまった己を責めずにいられなかった。

 これでは結局、自分はフォルテに全く同じ罪を重ねているだけではないかと。

「まあ、フォルテ君の方は大丈夫だと思うよ。エディスに任せているし……彼は君が思う以上に、君を大事にしている。ちゃんと待っていてくれるはずだ。辛いようなら、僕で良ければいつでも悩みは聞くから、あまり背負い込まないで」

「ありがとう、ございます……」

 ダレンの優しさは心の最も弱い部分に触れ、いっそ、これまでの疑いや警戒も全て投げ出し、何もかもを話し、泣き付いてしまいたい気分にすらさせられた。

 ――だが、それでは駄目なのだ。

 かつてそうしたことで、自分は、今日まで拭えない罪を犯し続けることとなった。

 だから今度こそ、これは絶対に自分で解決しなければならない。

 そうでなければ――フォルテと一緒にいる資格など、ない。


 それからまた、数日が経過した。

 その間フォルテは、大体の時間を訓練に費やした。シャーリーは夜には部屋に戻るが、ほとんど市長と一緒にいるようで、食事時にすら会えないこともある。気掛かりではあったが、心の準備ができれば必ず話す、と約束してくれたことは、信じるべきだと思った。

 そうしてフォルテが、その日も朝から訓練場で稽古に勤しんでいると、警備隊の面々が軽い調子で話しかけてきた。

「なあ坊主。お前結局ロランで暮らすのか?」

「えっ? あ、いや……まだわかりません」

 フォルテは剣を振る手を休め、首を横に振る。

 自分たちの真の素性は、市長やエディス、一部の者しか知らない。だがこのままロランに定住するかも知れない、という事情だけは既に広まっていた。

「そうなんだ。エディスさんとも随分打ち解けたみたいだし、決めたのかと思った」

「打ち解けた、って感じじゃないと思いますけど……」

 フォルテは微妙な顔で答える。

「ま、もし警備隊に入るなら歓迎だぜ? 給金はまあ、俺が西方でやってた豪商の護衛よりは安いが、飯と住まいは面倒見て貰えるし」

「俺は上司や仲間が信用できるのが一番ですね。カレリアの貴族ときたら、末端の部下なんて簡単に切り捨てるからなあ」

「……みんな、最初からロランの人、ってわけじゃないんですね」

 フォルテは髪や目、顔のつくりもまちまちな面々を見回して言う。

「色々だな。地元の奴も、数代前に移民した、って奴もいるし。資料室のアリエルなんかはそうさ。けどまあ、暮らしてりゃあ愛着も沸くし、第二の故郷、って感じだよな」

「寧ろケヴィンさんは第五第六、それこそ第十の故郷くらいなんじゃないですか? ここに来るまでどれだけ転々としたんです」

「ま、その気になりゃ、どこでだってやってけるってもんさ。ちなみに俺はここの新鮮な魚料理が好きだ」

 軽妙なやりとりをする男たちを前に、フォルテも雰囲気に絆され、一緒に笑いかけたその時――、

 頬を掠め、上から冷たいものが降ってきた。

「……ん? あ、おい、雨だよ!」

「嘘だろ、全然晴れてたのに!」

 警備隊員たちがめいめい声をあげる。そうするうちに雨は激しさを増し、フォルテは彼らと共に近くの建物に入った。

「仕方ないな。引き上げるか?」

「俺はもうちょっと様子を見ます。フォルテ君は?」

「俺は……部屋に戻ろうかな」

 このところ毎日稽古をしていたし、この機会に休むのもいいだろう。

 中断を決めた面々と一緒に、フォルテは寮へ向かった。だが一人になり、部屋が目と鼻の先になった頃、外の雨の音がほとんど聞こえなくなった。

 何だただの通り雨か、訓練場で待てば良かった――などと思い、引き返そうかと悩んで歩みを緩めていると、自室の隣の部屋から、聞き慣れた声が漏れてきた。

(……シャル?)

 意外だった。ここ数日、この時間の在室は珍しい。

 思わず扉に向かいかけたが、次に聞こえた別人の声に、フォルテは動きを中断する。

 それは、フォルテの全く知らない女性の声。

(誰? 何してるんだ……?)

 フォルテが次の挙動を決めかね立ち尽くしていると、扉の向こうではそんなことは露知らず、会話の続きが進められていた。

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