第六章 太陽の街で 2

「坊や、これをどこで手に入れた?」

 店奥のテーブルで向き合い、剣を見た直後、彼女は職人の鋭い瞳をフォルテに向けた。

 その声と気配に、座る場所が足りずに店内の如何わしげな道具や瓶、鉱石などを眺めていたシャーリーも、振り返って奥を見る。

「こいつは大した業物だよ。寧ろエディス、あんたどこからこの坊やを連れてきた?」

「そちらに迷惑はかけない。出所も後ろ暗いものではない」

「そ。詳しくは言えない、か」

 店主は斜め前に座るエディスに頷くと、剣を鞘から抜き、現れた黒の刀身をじっと見る。

「だがねエディス、このアニタ様を舐めんじゃないよ。この類のない魔法術式、推測される起動条件……。当て嵌まる剣なんてあたしは一つ――いや、一対しか知らないね。勿論、実際に見るのは初めてだが」

「えっ……?」

「こいつは――『フォルツァートの双翼剣(そうよくけん)』。その片割れだね」

 黒剣を舐めるように眺めながら、アニタはフォルテも知らないその名を口にした。

「ラング帝国はフォルツァート侯爵家の家宝。代々の将軍がアレニアとの大戦争で振り回したことで有名になった、曰く付きの剣さ。確かもう一本あったはずなんだが……あんた、そっちはどうしたんだい?」

「え……あっ」

 返答に詰まるも、フォルテの頭には一つの光景――ミルザでの兄との戦いが浮かぶ。

 もしやあの場には、その家宝の剣が二本揃っていた――。

「こいつが持っているのは、この一本だけだ」

「ふーん、残念。どうせなら両方見てみたかったんだけど」

 アニタは肩を竦めると、剣を軽く翻し、意識を集中するような顔を見せる。

「しかしまあ……あんな魔法と縁遠い土地でも魔力の充填はできるもんだね。腕の良い魔法使いでも捕まえてたか――いや、この感じは魔晶石で毎日こつこつ貯めた魔力かな」

「あの、どういうことですか?」

「ああ。この剣はね、他の魔力源から魔力を充填して使うようにできてる。だから素養がない奴でも強力な魔法が使えるって寸法さ。起動と発動の条件は……まあ、実質フォルツァート本家直系の人間に限る、ってとこかね」

「へ?」

「フォルツァートの人間は、魔力がないだろ」

「……えっ?」

 当たり前のように言われた言葉に、フォルテはぽかんと目を丸くする。

「だから、魔力がないことが発動条件。本家を出て作った子供には宿るらしいから、実質当主とその子までだね。特異体質の家系ってたまにあるけど、そこまで強烈なのは珍しいからねえ。戦争の頃はアレニアには脅威だったらしいよ? 少しでも魔力のある奴なら幻惑魔法に感応するけど、フォルツァートの将軍には通じない。だから搦め手なしの攻撃魔法に頼るしかないのに、敵はそれを凌駕しかねない武器を持ってるんだからね」

 ……全く、知らなかった。

 確かにラングでは、魔法と関わる機会自体がない。だが一族のそんな重要な話を、知らされないなんてことがあるだろうか……?

「……それで。フォルツァートの人間なら、この剣を使いこなすのは可能なのですか?」

 愕然とするフォルテの横から、いつの間にかそばにきていたシャーリーが毅然と尋ねる。

「ああ。基本は普通の魔法剣と同じ。起動の意志や強い戦意を持って握ると、剣がその意志と、魔力がないのを感知して起動する。鎮めるのはその逆。術の発動は普通の魔法と同じ、意志力と想像力次第かな。まあ……よくできた魔法剣は、使い方も中に封入されてたりするからね。適合者が使おうとすると、自然と扱いが分かるんだ。坊や、この剣を持ってみてそういうことはなかったかい?」

「彼がフォルツァートの者とは……いえ、この状況で否定するのも空しいですね」

「頭のいい子は嫌いじゃないよ。アレニアの坊や」

 渋い表情で首を横に振るシャーリーに、アニタは不敵に笑ってみせる。

「確かに俺……そういうことがありました」

「そっか。じゃ、残りの問題は魔力の充填かな。ごく最近とんでもなく消費する使い方をしたみたいだけど、まだ当分は強力な魔法が使えるかな。まあ足りなくなったら、そっちの坊やに充填して貰えばいいし」

「えっ?」

 アニタが顎でシャーリーを示し、フォルテは思わずそちらを見る。

 当のシャーリーは、何か驚いたような顔でアニタを凝視していた。

「アレニアっ子だろう? 強い魔力のある奴に頼めば、魔晶石よりずっと早く、しかも純度の高い魔力が溜められるじゃないか」

「……あの、一つお訊きしたいことが」

 シャーリーは酷く緊張した面持ちで、アニタを見据え切り出す。

「その剣に溜められた魔力は……魔晶石に換算すると、幾つ分くらいだったのですか」

「ん? そうだねえ、軽く千個は越えてると思うよ。あの土地じゃあ魔晶石もなかなか手に入らないだろうから、相当大変だと思うけどね。下手したら何年もかかっちまう」

「では、消費された魔力量は……」

「痕跡から見るに、八割ぐらいかね。一瞬でぶちまけたみたいだし、ただの攻撃魔法じゃこういう使い方にはならないと思うけど。例えば……結界や封印の破壊くらいはしてそう」

「……シャル?」

「いや……分かりました、ありがとうございます」

 心配になって声をかけたフォルテを遮り、シャーリーはアニタに礼を告げる。

 その声も随分硬く、フォルテとしては気にならないはずがなかったが、そもそも会話の内容が分からない以上、口を挟みようがない。

「さて、あたしが今鑑定してやれるのはこのくらいだ。預かって時間をかければ詳しい鑑定もできるけど、ここから先はあんまり安くはできないからねえ。折角説明書付きなんだし、坊やが自分で勉強すればいいと思うよ」

「あ……はい」

 そういえば、鑑定料はエディスに出して貰うのだった。

 目的だった使い方は分かったのだし、これ以上の金銭的負担を要求できるほど図々しくはない。フォルテは素直に頷き、隣のシャーリーもまだ硬い表情ながら同様の所作をした。

 それを認めてから、アニタは剣を丁寧に鞘にしまい、フォルテへと返す。

「じゃ、お客さんの前でお代を払って貰うのもなんだし、つけとく?」

「それで頼む。では、世話になったな」

 言うと、エディスは座っていた椅子を辞し、フォルテたちにも視線で退出を促した。


 既に日は傾き、流石にこの時間になると、街の活気も昼間ほどではなくなる。

 余韻のような橙の光が影を伸ばす中、三人は市庁舎への帰路についた。

 フォルテは道すがら、確かめるように幾度も腰の剣に触れていた。ずっと不思議な、或いは不気味な剣だと思っていた。だがそこに、また違った重みが加わったように思う。

「大丈夫か? フォルテ」

 物思いに耽り歩みが遅れると、気付いたシャーリーが振り返ってそばに寄ってくる。

 だがその態度は明らかにぎこちない。そもそも、先程までシャーリーもすっかり押し黙っていたことくらい、フォルテも知っている。

「あ……でも、ほら。良かったじゃないか。お前には使えるそうだぞ、その剣」

「……お前は、どこまで知ってた?」

「えっ……?」

 ぽつりと落とした問いに、シャーリーの声が強張る。

「家宝の剣とか、うちの人間に魔力がないこととか……。俺、何も知らなかったんだ。けど……もしかしたら、実は知らないのは俺だけで、お前は兄上から聞いてたりするのかなって。さっきもなんか、俺より色々知ってそうだったし」

「…………」

「あ……いや、いい。気にするな」

 シャーリーが顔色を失い沈黙してしまったのを見て、実質責める格好になっていたことに気付き、フォルテは発言を打ち消す。

 しかしシャーリーの表情は晴れず、その後は会話らしい会話も続かぬまま、一行は市庁舎に帰り着いた。


 夕食後、フォルテと別れ、シャーリーは自室に閉じ籠もっていた。

 フォルテは珍しく訪問してこなかった。普段なら気掛かりだが、今のシャーリーにそんなことを考える余裕はなかった。

(もう限界だ。フォルテは不審に思っている)

 ベッドに身を投げ出し、答えの出ない――いや、既に見えている答えに辿り着くのが怖いだけの、不毛な煩悶を繰り返す。

 ――今はもう、この苦悩は誰とも共有できない。

 もっと時間があれば。或いはあの人がいてくれたら上手く話せたのかも知れないが、今はどちらも叶わない。包み隠さず、自分で全てを話す以外に方法はない。

 そしてきっと――その時フォルテは、シャーリーに失望する。

 想像ですら耐えられず、苦悶の息を吐いていると、不意に部屋の扉が叩かれた。

 まさか、という思いで弾かれたように身を起こすが、外から聞こえてきた声は、今最も怖れる相手のものではなかった。

「……シャル君、いる? 今いいかい?」

 穏やかで屈託ないそれは、紛れもなくダレン市長のもの。

 驚きつつ髪と衣服をざっと整え、扉を開くと、確かにそこには市長の姿があった。

「や。リタから聞いたよ。昨日はごめんね? 時間とってあげられなくて」

「いえ、あの……こんな時間に、お一人でここまで?」

 市長の私室は、警備の関係もあって職員寮にはないと聞いている。

「うん、そこの角からはね。あっちの奥で警備の当番が待ってるけど、まあいつものことだから。用事がある時は極力自分で出向くようにしてるんだ。……あ、いや別に意識的に運動しようとかそういうんじゃなくてね?」

 後半は無視し、シャーリーはともかくダレンを室内に招き入れる。

 昨日の朝食後、フォルテがエディスと出かけた時、シャーリーは部屋に戻って資料を読んだ後、区切りの良いところでダレンに会いに行っていた。だが執務室に彼は不在で、偶々在室だったリタに言付けを頼んだのだ。

 部屋に入ったダレンは興味深げに室内を軽く見回し――シャーリーはベッドの乱れを少し悔いた――それから改めてシャーリーに視線を据えた。

「さて。僕と話したいっていうのは、やっぱり市政のこと?」

「あ……いえ、それもあるのですが……」

 ――市長を訪問した時、シャーリーの中には、二つの目的があった。

 一つは当然、資料を読んでの質問。

 そしてもう一つは――今はそちらを優先するべきだと、シャーリーは思った。

「市長に、お願いがあります」

「なに?」

 真剣に見上げると、ダレンは穏やかな笑顔で首を傾げる。

 不安や恐怖――様々な思いが心を怯ませるが、それでも意を決し、シャーリーは言った。

「医者を紹介して頂けませんか。できれば魔法の知識もある、信頼のおける方を」

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