第五章 都市国家ロラン 3

 夜は食堂に案内されての夕食の後、フォルテはまたシャーリーの部屋を訪問した。

 彼は大量の紙束をテーブルに置き、ソファで読み耽っていた。

「……。……!? え、あぁ、フォルテっ!」

「……なんだ、それ?」

 フォルテの入室に気付くのが遅れ、慌てて紙束を置きかしこまるシャーリーに、フォルテは問う。

「ああ……市政の記録だ。リタさんに借りた」

「へえ。面白いか?」

 フォルテは椅子に座り、紙束の一枚を摘み上げる。

「ああ。少し難しいところもあるが、興味深い。……西方都市国家の行政は、ラングの書物でもあまり解説されていなかったが……とても斬新な考え方だ。住民は身分の上では平等という前提で、市民議会があり、市長すら平民から選ばれる。古代には近い方法を採っていた国家もあったが、それを復活、発展させた形だな」

「ふうん……」

 熱を帯びた口調で早口に言うシャーリーに、フォルテは少し驚きつつ相槌を打つ。

「お前が、政治のことにそんなに関心があるなんて、知らなかったな」

「私も、意識したことはなかった。これまではあまり触れる機会がなかったし」

「そうなのか? 王族なんだから、アレニアで政治学とかやらなかったのか?」

「私は……そういったものから、遠ざけられていたから」

 シャーリーは少し声の調子を落とし、そっと首を横に振る。

「許されたのは実学とは遠い分野の学問と、魔法の研鑽くらいで……。広い知識を得られたのは、リンのもとでお前と学ぶようになってからかな」

「えっ……?」

「……お前は私が、庶出の身であることは知っていたな」

 驚きに顔を顰めたフォルテに、シャーリーは静かな笑みを向け、続ける。

「物心つく前から、私はアレニアの王城の離宮で暮らしていた。……弟の母方が大貴族で、そこから疎まれてな。時々の行事には王城に出向くことを許されたが、それ以外は元々軟禁同然の生活だったんだ。人質に出されたのも厄介払いのようなもので……もしあのまま祖国で成長していれば、今頃は神殿に入れられ、巫にでもなっていたのだと思う」

「…………」

「驚いたか? ……まあ、今までお前と、こういう話はしなかったからな」

 シャーリーは気を悪くした様子もなく、ふっと息を漏らして笑う。

 ――確かに、以前からフォルテは、シャーリーに彼自身のことをあまり尋ねなかった。

 それは、迎え入れる前の兄の説明から、どうも今度家族になるのは色々と大変な思いをした子らしい、と察した上での、幼いなりの優しさからだったし、成長した後は後で、現在の方が大事になったからに他ならない。

 だからフォルテは、シャーリーについては大体の境遇――即ち、兄が教えてくれたこと以外は知らないに等しかった。――つまり。

「あのさ。兄上はそれ、知ってたのか?」

「大体は。私が話したし、引き取ってくれた時に他からも聞いていると思う」

 当然といえば当然だが、フォルテは愕然とした。それではシャーリーがフォルテより兄を慕い、頼ったとしても当たり前ではないか。

「……お前には本当に、話さなければならないことが沢山あるな」

 長い溜息を吐き、シャーリーは静かに言う。

「だがフォルテ……もう少しだけ待ってくれないか。私も気持ちを整理する時間が欲しい。そうしたら絶対、お前に全てを話す」

「……一つだけ、今訊いていいか。シャル」

「ん?」

 揺れる感情を飲み込み言うと、シャーリーはフォルテを気遣う笑顔を見せ、答える。

 それが気遣われる当人の矜持を傷つけているなど、恐らく気付きもせずに。

「お前にとって……俺は何だ。俺、お前の役に立ってるのか」

「何を言っているんだ、フォルテ」

 シャーリーは一度きょとんと目を見開き、それから苦笑混じりに笑った。

「私にとって、お前は大事な弟分だよ」

「……そっ、か」

 辛うじて返事をし、笑顔を作れたことが、フォルテ自身奇跡だと思った。


 翌朝を自室のベッドで迎えたフォルテは、まず頭を枕に押し当てごろごろ転がりながら、ひたすら自己嫌悪に呻き続けた。

(――どう考えても俺が落ち込むところじゃなかっただろう、あれは!)

 これだから俺は弟分なのだと憤りつつ、ともかく起床して身なりを整える。隣室を訪問するとシャーリーは既に身支度を済ませ、昨晩に引き続きソファで資料を読んでいた。

「ああ……おはよう、フォルテ」

 シャーリーは穏やかに笑って見せてから、紙束で口元を覆い、小さく欠伸をする。

「おはよう。昨日、遅かったのか?」

「ん……。面白くて、つい」

 どうやらフォルテが朝から散々自己嫌悪した件は、彼にとっては些事だったらしい。

 顔に出てしまった複雑な感情を悟られないよう、フォルテはソファの後ろに回り込んで、後ろ向きに背凭れに手を突く。

「……今日、どうする?」

「できたら私は、これを読んでしまいたい。魔法具屋にいつ出掛けるか分からないし、読み終えて市長に色々訊いてみたくもある。……今後のことも、早めに決めねばならないし」

「ああ……」

 確かに、急かさないとは言われたが、いつまでも曖昧な態度ではいられない。

「フォルテも……自分で決めないと駄目だぞ」

「えっ?」

「これからのこと。どうするのか、自分自身で考えなくては」

「いや……何言ってんだよ。俺はシャルと一緒に――」

「それを今一度、冷静な頭で吟味するべきなんだ」

 振り返ったフォルテの言葉を遮り、シャーリーは真剣な顔でフォルテを見上げた。

「これは、お前の将来を決める選択だ。……いいか。市長は柔らかい言い方をしたが、これは言わば亡命だ。ラングが私の処刑を『国として』決定した以上、私と生きることは国家への反逆になる。行くところのない私はともかく、お前の場合市長の提案を受けるのなら、本当に、生まれ故郷とは縁を切る覚悟が要るぞ」

「え……?」

 突きつけられた言葉に、一瞬胸を突かれる。

「いや、でもそんなの分かりきったことだろ。大体もう出てきちまったんだし、今更――」

「リンとだって、兄でも弟でもなくなり、恐らくもう二度と会えなくなる」

「…………」

 ――なんで。

 なんですぐに「全然構わない」と答えられなかった――?

 黙ってしまった自分に愕然としていると、シャーリーはそんなフォルテの心を知ってか知らずか、ふっと困ったような苦笑に表情を緩める。

「そんな顔をするな。……私はな、フォルテ。別にお前の選択が私と同じになるのが嫌だとかいうんじゃない。ただ、お前が私への追随だけで運命を決めてしまい、その結果後悔することだけはあってはならないと思っているんだ」

「後悔なんか……するわけないだろ。一番大事なのはお前を守ることなんだし。それだってちゃんと自分の意志で――」

「その意志が続かなくなったら、どうする」

 不意に、シャーリーの表情が悲しげなものに変わる。

「そう思えなくなったら、道が途切れてしまうんだぞ。例えば……お前が私に失望したら」

「なっ……」

「例えば、の話だ」

 絶句するフォルテに、シャーリーは静かに首を横に振る。

「とにかく、お前はお前でちゃんと考えろ。……自分がどう生き、どう在りたいのか」

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