第五章 都市国家ロラン 2
――言葉の意味を理解するのに、数拍かかった。
だが理解できた瞬間、フォルテの頭の中は真っ白になる。
シャーリーも顔を引き攣らせ、場の空気が一瞬で変わった中、市長が苦笑を見せた。
「ああ……いや、ごめん。そんなに警戒しないで。ていうかエディスも落ち着いて」
言葉にエディスを見ると、彼も思わず身構えていたようだったが、表情には状況への動揺――寧ろ当惑が浮かんでいる。
「驚かせてごめん。でも、落ち着いてくれるかな。少なくとも僕らは君たちの敵じゃないから。……ラング帝国フォルツァート侯爵の弟君、フォルテ君。そして君は、アレニア王国の王子殿下、シャーリー君だね」
「どうして、貴方がそれを……」
シャーリーは警戒と動揺がぐちゃぐちゃになった顔で、愕然と言う。
「実のところ、完全な確証があったわけじゃない」
ダレンは眼鏡の奥の瞳を眇め、落ち着いて続ける。
「ただ、フォルテ、という名は最近では珍しい。君の大叔父上、つまり大フォルテ卿がご活躍の頃はラングで流行したようだけど、何十年も前だろう? それでも敢えてつけるとしたら、余程の信奉者か――或いは縁者。そんな可能性は否定できないと思うし」
フォルテは呆然とダレンを見る。……まさか、大叔父の名がラングを出てまで意味を持つとは思わなかった。寧ろ、シャーリーのことにばかり気を取られ、考えもしなかった。
「とはいえ、そこまでならただの偶然かも知れない。けど……そこに同世代のアレニアの子まで一緒となると、もしかして例の行方不明の侯弟と王子では――って考えてもおかしくはないよね」
「お待ち下さい。『例の』とは……」
シャーリーがはっとして問う。
「僕らも独自に情報は集めている。だから知っていた。……ラングでフォルツァートの侯弟と、預かっていたアレニアの王子が行方不明。どうやら三ヶ月前に人質の処分が決定されたことと関係がある模様、と」
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください!」
今度はフォルテが慌てて腰を浮かせた。
「なんでうちにシャル――シャーリー王子がいたことを知って……」
「国レベルの諜報力があれば、容易に知れたことだよ。それに……そもそも侯爵には、そこまで本気でシャーリー君を隠すつもりはなかったんじゃないかな」
「へっ……?」
フォルテが目を丸くする横で、ダレンはシャーリーに視線を送る。
シャーリーはぴくりと震え視線を泳がせ、やがて逡巡の色を湛えたまま、口を開いた。
「それは……私も分かっていました。侯爵は私に、自邸の庭で遊ぶことや、外出まで許してくださいました。いくら哀れに思っていても、本当に隠さねばならないならあり得ないことです」
「うん、現に僕らに発見されてるしね。多分よその間諜にも露呈していたはずだ。フォルツァートほどの重鎮一族ともなれば、行動は常に諜報活動の対象にされていると思って間違いない。外からも、勿論内側からも」
「で、でも……。それならシャルは、どうして中途半端に隠されてたんですか?」
ダレンの話には愕然とする他なかったが、だとすればフォルテは、どうしてもそれを問わずにいられなかった。――話の通りなら、彼が五年間強いられたことは何だったのだ。
「隠す必要がないなら、自由にさせれば良かったんだ。なのにどうして……」
「流石にそこまでは建前上難しかっただろう。それに……全く意味のないことではなかったと思うよ。侯爵は一体、何からシャーリー君を隠そうとしたのか。言い換えれば……彼は君を、何から守ろうとしたんだろうね?」
静かな問いに、シャーリーは小さく身じろぐ。
そして白い頬の血の気を益々薄くするが、結局何も言えず、無言で俯いた。
そんな彼に労るような微笑を向けてから、ダレンは軽く息を吐き、場の空気を変える。
「ま、何にせよ。僕、というかロランとしては、帝国にもアレニアにも中立の立場だし、君たちをどうこうするつもりはない。とりあえずエディスの客としてゆっくりしていってくれて構わないけど……。もし君らが望むなら、僕のもとで身柄を保護することもできる。どうかな」
「えっ……?」
フォルテとシャーリーは、驚き顔を見合わせる。
「勿論、他に行くところがあるならいい。でも、もしないなら、考えてみてくれないか」
「……いきなり、信用しろって言うんですか」
フォルテは市長に警戒の視線を向ける。
「難しいのは分かる。でも、ここは自由都市ロランだ。既存の権力構造から独立した存在であるのが大前提だし、君たちを政治的に利用する真似はしないよ。あくまで人道的見地から、放っておけない、ってだけ」
「…………」
「まあ、すぐに決めろとは言わないよ。判断材料がいるなら質問してくれていいし、仕事を見学したって構わない」
ダレンは微笑を湛え、すっとソファを立ち上がり、身を翻して窓際へ向かった。
壁の高い位置には、鮮やかな黄色と水色を組み込んだ紋章の旗。恐らくロランの市章であろうその下で、彼は窓の外を一望すると、一同を振り返り、明るく降り注ぐ光を背に受けながら、両手を広げ、笑う。
「なんにせよ、太陽と海に抱かれた自由都市、ロランへようこそ。この出会いを心から歓迎するよ。お客人」
その後、リタが運んでくれた紅茶と菓子を振る舞われたが、いまいち味わった気のしないまま解散となった。
二人はエディスに連れられ、廊下を歩く。
「驚かせて悪かった。……流石に俺も、あれは予想していなかった」
「……あの市長、いつもあんな感じなの?」
少々動揺の気配を残したエディスに、フォルテも緊張の疲れを残したまま問う。
「そうだな……。時々独断で驚くような真似をされる。判断に間違いはないと思うのだが」
「こっちはびっくりさせられたよ……」
「済まん……」
やがて三人は、庁舎の職員寮に案内された。長滞在になるならこちらの方が便利だろう、という市長の提案だった。落ち着いた建物で、どことなく生活感も漂っている。
「隣り合う二室で空きがあるのは一階の隅だけだが、それでいいか?」
「……別々の部屋なのか?」
「心配なら、どちらかが布団を持ち込みソファで寝ればいい」
「…………」
気を悪くしたふうもない淡々とした返事が、却って気まずさを誘い、フォルテは黙る。
「二部屋で大丈夫です。……まあ、どう寝るかは、彼とよく相談します」
「そうしろ。掃除は空き部屋も行われているはずだから、まず適当に寛いでおけ。管理人に言って、早めにシーツと備品を運ばせる」
案内された寮の部屋は、客室よりは狭いものの、生活に必要な家具類は揃っていた。エディスが庁舎へ戻った後、建物隅の裏口に近い側に部屋を定めたフォルテがシャーリーの部屋へ向かうと、全く同じ家具ではないが、似た内装だった。
「……こちらで寝るのか? フォルテ」
疲れた様子でソファに身を預け、シャーリーは視線を上げてフォルテに問う。
フォルテはシャーリーの対面に位置する小さな椅子に腰を下ろし、息を吐いた。
「できればそうしたいけど。でも……実際さ。どう思う。シャル」
「手放しで信用するのは……難しい」
視線を落とし、シャーリーは憂い顔でぽつりと言った。
「旅の間、みんな良くしてくれた。だが……政治的な問題が絡むとなれば、話は別だ。市長の話は筋が通ってはいるが、それでも絶対信じられるとは言い切れない」
「結局、何とも言えないよな……」
フォルテも溜息をつく。道中、ロランの人々は随分二人に親切にしてくれた。あの市長にしても、自分たちを騙しているようにはとても見えない。だから信じてもいいのではないか――その言葉も思いも喉まで出掛かっていたし、態度を見る限り、シャーリーも同じだと感じていた。
――だが二人には、どうしてもその感情に心を委ねられない理由があった。
「人を疑うのは……疲れるな。フォルテ」
シャーリーは重くソファに凭れたまま、消え入りそうな声で言う。
「私だって、彼らを信じたい。……でも」
「うん……」
それきり二人は口を閉ざし、部屋の中は澱のような沈黙で満たされた。
「……きっと、随分辛い思いをしたんだろうね」
市長の執務室。執務机に山積みの書類を脇にやってエディスの報告を受けながら、ダレンは椅子の背に寄り掛かり、呟いた。
「簡単に人の手を取れなくなるくらいに、心を傷つけてしまったってことか。……しかしそれにしても、子供にああ警戒されるというのは、ちょっと傷つくもんだねえ」
「今回の場合、市長の話の持っていき方もまずかったように思いますが」
「いやいやエディス、僕は十分親しみやすいお兄さんだったと思うよ!?」
机の前に立つエディスに素っ気なく言われ、ダレンは反動をつけて椅子から背を起こす。
「ああでも「お兄さんって歳か」って突っ込みだけはなしね。それは人によって価値観が……いや、ごめんそんな顔しないで。久々に君が帰ってきて、僕は多分少し浮かれてる」
渋面のエディスに言い訳を述べ、ダレンはひとつ息を吐いて、空気を切り替えた。
「でも……実際、どうだろうね。彼らは」
「あの様子では、そう簡単には話を受けないと思いますが」
「いや、そこはクリアするよ? だって他にどこに行くっていうの。そうじゃなくて、心の問題。あれじゃあ可哀想じゃない。少しでも元気にしてあげられればいいけど……。とはいえ、僕らもあまり余裕はないんだけどね」
「……ええ」
「アレニアとラングは、恐らく完全に敵対するだろう」
理知の宿る声色で、ダレンは断言する。
「そうなれば都市同盟にも動揺が走る。あの規模の戦争の再来となれば、被害を恐れ、大国に阿ることを望む加盟都市も出るかも知れない。都市同盟議会も益々忙しくなるだろうな。……けど」
ダレンはそこで言葉を区切り、物思うように中空を見つめ、そっと溜息を吐いた。
「それは大人の都合。それでも僕は、子供には笑っていて欲しいと思う。……贅沢かなあ」
「彼らの立場を考えると、難しいことかも知れません」
エディスは静かに言う。
「ですが市長。子供にだって立ち上がる足はあるのです。……彼らには過酷な現実でしょう。しかし、なればこそ。その中で自ら立てねば、未来はありません」
「……君にそれを言われると、重たいね」
「ただの事実です。……しかし、そのための手助けは、我々にもできるでしょう。貴方が望むのであれば、俺も力は惜しみません」
「素直に助けてあげたいって言えばいいじゃない」
ダレンはくすくすと笑うと、机上に肘を突き指を組んで、エディスを見上げる。
「まあ、望んではいるからね。頼んだよエディス。僕もできる限りのことはするから」
そう言ってダレンが浮かべた微笑には、部下への確かな信頼が宿っていた。
結局、フォルテはその晩シャーリーの部屋で寝た。
もっともそんな心配は杞憂だったとばかりに、翌朝は何の問題もなく訪れた。昼辺りまではお互い心身の疲労で動けなかったが、やがて遅い朝食に呼びに来たエディスに、市長の提案だという庁舎の見学に誘われる。
シャーリーを窺うと、寧ろ彼は積極的に情報を欲し、首肯した。食堂で食事を取り庁舎に向かうと、一階の玄関ホールで昨日の女性職員、リタが待っていた。彼女は金の髪を緩く結い、昨日より柔らかい印象だった。
「秘書として市長の無茶の相手をしているうちに、態度も格好も気が抜けなくなってしまって。でもエディスが戻りましたから、負担が軽減されます」
「俺は身辺警護であって秘書ではないし、貴方ほど強くは市長に出られないんだが……」
朗らかに微笑むリタと、複雑な顔をするエディス。
それから一行は、リタの先導で庁舎を見学して回った。関係者にはエディスの客ということで話が通っているようで、仕事の合間にではあるが、面白そうに話をしてくれた。
特にシャーリーは行政の事柄に強い関心を抱き、彼が話を聞いて回るのを待つ間、フォルテは上階の廊下の窓から、敷地内の広い庭で、戦士たちが訓練をするのを眺めていた。
「あれは、警備隊の訓練だ」
フォルテの後ろから、同じく廊下にいたエディスが言う。
「身分的には市職員と同じで、庁舎や要人の警備防衛が主な仕事だ。市長の独断で動かせる小回りの良さから、リコでの件のように外部に派遣されることもある。言葉を選ばずに言えば、行政府の私兵のようなものだな」
「結構……っていうか、凄いやり手ばっかりなんじゃないか?」
「ほう、見ただけで分かるか」
エディスは感心の息を吐く。
「あれが警備隊ってことは、軍隊は別にあるんだよな?」
「ああ、常備軍が存在する。戦が少なくなってからは街の治安維持活動や公共工事などが主な仕事となったが……今後はどうだろうな」
「えっ?」
「フォルテ、待たせて済まない」
声をあげ、エディスを振り返った直後、シャーリーとリタが戻ってきた。
「あ、シャル。楽しかったか?」
「ああ。とても興味深い話ばかりだ。フォルテも一緒に来ればいいのに」
「後でお前が要約して教えてくれ」
軽い興奮を見せるシャーリーに、フォルテはぽつりと言う。
正直フォルテは、政治の事柄は理解こそできてもそこまで強い関心は持てず、こうしてみると、同じ教育を受けながらも、実は興味の対象は全く違うのだな、と実感させられる。
「大体回りましたね。このくらいにします?」
「そうだな。俺たちも市長の様子を見に行かないと、また何の冗談を企むか分からん」
「寧ろ、それが今日の狙いかも知れませんね」
リタは軽く苦笑し、それから改めて、フォルテたちに笑顔を向けた。
「では、お二人とも。今日はここまでですが、他にも知りたいことがあれば、情報の提供は惜しみません。いつでもご相談くださいね」
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