第四章 新たな旅路 2

「つまり……予め襲撃に備えていた、ということですか?」

 話が一段落し、人々が動き出した直後、テーブルに残るエディスにシャーリーが問う。

「ああ。ここ三月ほど、各地でアレニア人と思しき連中が、辺境の集落を襲う事件が多発している。北西の遊牧民族の土地では、一部族が一夜で壊滅させられたという話もある」

「そんな……」

 小さく呟き、シャーリーは口元を手で覆う。

 フォルテが背を支えようとすると、彼は大丈夫、と手で押し止める仕草を見せた。

「当然、アレニアと国境を接する各国の住人は不安を抱いた。だがここカロキアは重要な街道を擁するにも関わらず、土地の領主も王国も、住民の保護要請を捨て置いた。……そこで住民は、思い切って街道を使用する他の土地に、救援を要請した」

「それがあんたたちのロラン……ってわけか」

「ああ。ロランはここから西へ向かい、ユニス湾を北に迂回した先にある。カロキア、それにラングとの交易には、この土地の街道は欠かせない」

「事情は分かりました。ですが……依頼とはいえ、随分遠くから応じたものですね」

「鎌をかけるなら、もう少し言いたいことを顔に出さない練習をした方がいいな」

 胡乱げに声を落としたシャーリーに、エディスは感情を動かさずに言う。

「だが察しの通りだ。ロランはアレニアによる辺境蹂躙の情報は当然得ていたし、街道が危機に晒された場合の対応も複数想定していた。今回はその一つが的中したことになる」

「想定して……警備隊の常設と、拠点の設置を考えてたってのか? よその国に?」

「ではお前は、無能な国家に任せたまま、この村が滅亡した方が良かったと思うか?」

「なっ……」

 鋭く言葉を向けられ、フォルテは口を噤む。

「加えて、仮に我々が無償で救ってしまえば、カロキアは他国の援助に甘え、益々辺境の警備を疎かにするだろう。……そもそも、こちらとて背負うものがある以上、親切心のみでは動けん。お前たちのような若い者には納得できないかも知れないが――」

「おやエディスさん。『若い者』だなんて、まるで貴方がおじいちゃんですよ」

 突然明るい調子で投げ込まれた言葉に、一同は声のした方を振り返る。

 それは先程のアレニア人の青年、アリエルだった。彼は軽い足取りで場に加わると、改めてエディスに視線を向ける。

「エディスさん、ロランへの連絡の早馬、出立しました。我々も午後には発てます」

「そうか」

「……ロランへ帰られるんですか?」

「ああ。事後処理に必要な人員を残しひとまず戻る。市長に報告もせねばならん」

「そういえば、君たちはこれから?」

「えっ……」

 アリエルの屈託ない問いに、フォルテとシャーリーは顔を見合わせた。

 昨日からの騒ぎで考える余裕もなかったが、結局、全く行く当ては決まっていないのだ。咄嗟に上手い答えが捻り出せず、視線を彷徨わせてしまうフォルテの前で、アリエルの表情が不思議そうなものに変わっていく。

 と、フォルテが妙なことを口走るのを阻止するように、シャーリーが先に口を開いた。

「すいませんが、お答えできません」

「そうか。だが、こちらとしては興味がある」

「どうして……ですか」

「だから、ただの興味だ。その魔法剣にしても、結局起動したままのようだが――」

「え? 起動、したままって……?」

 腰の剣に、そして自分に視線を向けられ、フォルテは驚きと当惑に顔を歪める。

「それも分からないか。……剣の色がただの金属と違っていただろう。魔法剣として起動され、魔力の影響を受けている証拠だ」

 普通でないのは分かっていたが、それが魔力のせいとまでは考えなかった。

「それは子供の玩具には、いささか荷が勝ち過ぎる代物だ。しかも魔力を起動したままでは、知識や感知力さえあればすぐ魔法剣と分かる。どこへ行く気か知らないが、そのまま鎮める方法も知らずに提げていくつもりか?」

「そうだね。それにもしかしたら、誰か悪い人が取り上げようとするかも知れない。強力な魔法の道具を蒐集目的で高く買う人はいくらでもいるから」

「それって、持っていたら危ないってことか……?」

 二人の話の意味を理解し、隣で心配そうな顔をするシャーリーを見て――その瞬間、フォルテは大変な可能性に思い至った。

 このままでは、この剣のせいでシャーリーを危険に晒しかねない。

「……魔力を鎮める方法はあるのか?」

「普通はある。……そもそも、その質問自体がおかしい」

 エディスは少し呆れた様子で目を眇める。

「本来魔法剣は、使用者の意志で力の出し入れをするものだ。お前が使い手として条件を満たしているなら、鎮めることはできる。いずれにせよ。それはお前自身がこの剣の構造を知り、何とかするべきことだ」

 フォルテは絶句する。ついシャーリーを窺うと、彼は申し訳なさそうに首を横に振った。

「ごめん、それは私でも分からない。魔法が使えることと、魔法の道具の扱いに長けていることとは、全く別なんだ」

「そ、そっか……」

 傷つけないよう相槌を選びつつも、声には落胆が出てしまっていた。

 そのまま言葉を失っていると、エディスが軽い溜息の後、数秒の沈黙を置き、口を開く。

「……ここから先は、提案だが」

 切り出された声色には、一種粗暴にも聞こえる、不器用な感情の揺れがあった。

「お前たちにその気があるなら、ロランまで来れば腕の良い魔法具師のあてがある。今回の仕事を手伝った見返りとして、紹介と、剣の鑑定料を出してやってもいい」

「えっ?」

「言っておくが、これはお前たちのためだけではない」

 露骨に意外な顔で目を丸くしたフォルテに、エディスは不愉快そうに眉を顰める。

「自分でもう分かっているとは思うが、その剣はとても強力だ。さっきアリエルが言った通り、何者かに悪用されてしまえば事だからな」

 エディスの言葉を呼び水に、脳裏に昨夜の、いまだ直視することを拒んでしまう記憶が蘇る。

 顔を歪めたフォルテには何も言わず、エディスはシャーリーに視線を移した。

「この先どうするのか言いたくなければ、別に構わん。だが大人の親切には素直に乗るのも、処世術ではあるぞ」

「それが本当に親切だと、証明できますか」

「うん、確かにそれは難しいね」

 フォルテ以上の警戒心を露わにしたシャーリーに、アリエルがあっさりと答える。

「でも少なくとも、さっきの村長さんとのお話で、僕らの身分は証明できてるよね? 僕らが人買いや強盗じゃなく、ロラン市長のもとで働くちゃんとした大人だって。……あのね。エディスさんはこんな言い方しかできないけど、単に君たちのことが心配なんだよ」

「おい、アリエル……」

「あれ、僕嘘言ってないでしょう? さっきだって会議の前だっていうのに、隙を見てこの子たち探しに出て行っちゃったくらいだし」

 睨み付けてくるエディスに、アリエルはけろっと返す。

「勿論僕だって心配。大人が子供を心配するのに、理由なんて必要ないんだよ。……ね。だからこれも何かの縁だと思ってさ。ロランまで来てみない?」

 フォルテはアリエルとエディス、そして思い詰めた表情のシャーリーを見る。

 シャーリーはフォルテの視線に気付くと、不安げな顔を向けてきた。それは拒絶というより――提案を前に迷っている顔。

 正直、無防備に信じる気にはなれなかった。

 だが一方で、エディスたちの話は筋が通っている。何より唯一の武器であるこの剣のために今後に支障が出るなら、解決しなければならない。

「……ロランに行けば、この剣の魔力を鎮める方法が分かるんだな」

 フォルテはエディスに念を押して問う。

「恐らく。それに正しい使い方も分かるだろう。そうなれば、今後は強力な武器として利用もできるだろうな」

「フォルテ。私は、お前がいいなら構わない」

 声に振り向くと、シャーリーが硬い、だが意を決した表情でフォルテを見ていた。

「他に行動の見通しがないのも事実だ。私は、お前の判断に預ける」

「シャル……。うん、分かった」

 その瞳を見つめ、信頼を受け取って頷き、フォルテは再びエディスに向き直る。

「その見返り、受けさせて貰う。ロランまで連れて行ってくれ」

「了解した」

 エディスはフォルテの視線を受け止めると、軽く頷き、改めて二人を見た。

「では、出発は食事の後だ。馬車とはいえ次の宿場までは長旅だから、よく食べておけ」

「決まりだね。あーでも良かった、やっとこれで僕も普通の資料室のお兄さんに戻れる! ほんと警備隊でも軍人でもない人間まで動員するなんてどうかしてるよ! ねえエディスさん、帰ったら今度こそどこかから魔法使いを警備隊に正規雇用して僕はお役御免に」

「何を言っているアリエル、お前は居残りだ。今後はともかく現在唯一の魔法使いが、事後調査と村人の体調観察にあたらずどうする」

「えっ」

「そもそもロランでもアレニア人は希なんだ。寧ろ天賦の才を活かして警備隊に転属しろ。給金も多少は増やせるように交渉してやる」

「いや増えたって肉体労働は嫌ですから! ああもうこうしてる間にも行政史の編纂が遅れてうああああ」

「では、お前たちも支度を急げ」

 頭を抱えて悶絶するアリエルを無視し、エディスは戸惑うフォルテたちに視線を向けた。

「改めてになるが、フォルテと――そっちが、シャル、だったか」

「あ……ああ」

 一瞬焦ったが、フォルテがシャーリーを日頃愛称でしか呼んでいないのが幸いした。

 微妙な相槌にエディスは怪訝な顔をしたが、それ以上追求されることもなく、結局その場はそれで区切りとなった。


 その後、ロランの防衛団は居残りの人員を残し、予定通り村を出立した。

 二十人ほどの人間が、使い古された二台の幌馬車に分乗し、荷物と共に詰め込まれる。

 フォルテたちはエディスと同じ馬車に乗った。彼とは特に会話は弾まなかったが、他の同乗者たちには興味を持たれ、一斉に囲まれ構い立てられた。

 エディスに言われているのかあまり突っ込んだ話は聞かれなかったが、これまでの反動のように人見知りを発揮し出したシャーリーは勿論、それを庇って会話を繋いだフォルテも相当に消耗し、一段落してめいめいが休憩や、二、三人での雑談に落ち着いた頃には、二人は疲れ果てて声も出なくなっていた。

「……大丈夫か?」

 馬車の隅の座席部分に並んで座り、フォルテは呆然と中空を見るシャーリーに問う。

「ああ。一度にこんなに大勢と話したことがないから、すっかり混乱してしまった。これから生きていくなら、対人にも慣れなければ駄目だな……」

「そっか……」

 思えば、シャーリーはフォルツァートの家に来て五年間、外部の人間とはあまり接触していなかった。突然大勢の市井の人間に揉まれれば、疲れるのも無理はない。

「しかし……この人たちはアレニアの人間を見ても、何ともないんだな」

 シャーリーは車内に視線を流し、どこか不安げに言う。

 本来彼は、外で姿を晒すことに強い抵抗を持つ。昨日普通にしていたのは、状況的な問題に加え、精神的に不安定だったせいもあるだろう。

「そうだな。アリエルさんとかもいるし、慣れてるんじゃないか。そもそもここの人たち、随分色々な顔が混ざってるし……」

「そういうものなのかな……。そうだフォルテ。落ち着いたら話そうと思ったんだが」

「何だ?」

 フォルテは居住まいを正す。シャーリーは二人の足元で、荷物と纏めてある剣を見た。

「その剣について、私の知ることで、幾つか教えてやれることがある。まず……それは恐らく、あの時リンが使っていた方の剣なんだ」

「……えっ?」

「変な話だと思われるだろうが……あの時、私の見ていた限り、崖から落ちたのはリンの剣だ。寧ろ、リンは剣を意図的に投げ落としたのでは、と思うような不自然な振り方をしていた。お前にすれば剣を払われたのだから『落とされた』という意識の方が強かっただろうが。まあ、私たちが川下で過ごす間に、落ちなかった剣が何らかの理由でこちらに来た、という可能性までは否定できないが……」

 言葉に、フォルテは唖然とした思いで、剣を引き寄せてしげしげと眺める。

「本当は、もっと早く言えたら良かったんだが、だが私も、昨日はまともな思考ができる状況ではなかったから……」

「いや、それは本当に、シャルが悪いんじゃないし……。でも……待ってくれシャル。俺は魔法のことはよく分からないんだけど、これがあの時の剣じゃないって、どうしても思えないんだよ。昨日も言ったけど……この剣、なんか不思議な感じがするんだ」

「そこなんだ。私もそう言われて、つい自分がおかしいのではと思ってしまった」

「……俺がおかしかったのか?」

「違う。……仮説だが、私たちは恐らくどちらも正しいんだ」

 シャーリーは少し怠そうにしつつも身を起こし、剣の柄に触れる。

「多分、二振りの剣は対の魔法具。そしてお前が不思議に感じるような、同じ性質を持っている。……ほら。私がこうして触れても、何の反応もしないだろう」

 柄を握り、数度何かを念じるような顔をしてから、シャーリーは改めてフォルテを見る。

「つまり、この剣はお前やリンに関わる何らかの条件で、使用者を限定しているんだ。もう一方の剣も、あの時のお前には力を発揮できなかったようだが、何らかの魔法具ではあるんだろうな」

 ……確かに、その通りなら大体のことには説明がつく。

 兄と戦った時はそんな気配もなかったのに、昨夜いきなりあんな力を使えたのも、それぞれが別の剣で、全く違う力を持っているのだとすれば、筋は通るだろう。

「じゃあ……この剣、今は別の鞘に入ってるってことか?」

「いや。多分、お前が持ち出した時点で、組み合わせが逆になっていたんだ」

 シャーリーは手を鞘に滑らせ、僅かの間、憂うような表情で沈黙する。

「この鞘……強く光ったから。恐らくお前が魔法剣の力を行使した時に」

「あ……」

 ――それでお前は、俺が人を斬ったと察したのか。

「それに、どうも剣と鞘自体に、互いの場所を感知できる魔法がかかっているようだ。昨晩触れていたら、お前の居場所が何となく分かった。この中身がリンのもとにあるなら、そうはならないだろう。川に落ちた後、勝手に鞘に戻ってきたのも、もしかしたら魔法の力のせいかも知れない」

「とんでもない話だな、それ……」

「高度な魔法具には、そのくらいの魔力が編み込まれていることは珍しくない。つまり……この魔法具は、それだけ強力だということだ」

 シャーリーは指でそっと鞘の文様をなぞると、どこか思い詰めた瞳でフォルテを見る。

「だから、お前が正しく使えるようになるなら、それに越したことはない。……その身に過ぎた力に振り回されるなど、不幸でしかないのだから」

「……そうだな」

 フォルテはシャーリーを安堵させようと、敢えて笑って頷き、座席の背に身を預けた。

「それにしても、うちにこんな魔法の武器があったとはなあ。俺うちにある銘剣は大体把握してたはずなんだけど。……って、いや待て。さすがにこんな凄い武器のこと知らないって、おかしいよな……?」

 武門の子弟として、それ以上に自分自身の興味として。家で保有する謂れある武具類は、ほぼ把握していたはずだった。だがこの剣は、その中でも群を抜いて希な品に違いないのに、兄と話した夜まで一度も見たことがない。

 最近手に入れたのか、あるいは兄の私物か。――だが、彼に対する疑心を抱えたままのフォルテは、ごく自然にもう一つ可能性を導き出していた。

「……あいつ、この剣のこと、俺に隠してたのかな……」

「フォルテ……その、そろそろやめないか?」

「えっ?」

 唐突な言葉に振り向くと、シャーリーがどこか済まなげに笑っていた。

「少し疲れてしまったから……休ませてくれ。私から言えることは、話し終わったし」

「あ……うん。ゆっくり休めよ」

 ――もしかして、兄のことを掘り起こしたのが、良くなかったのか。

 そう判断し、フォルテはシャーリーの申し出に優しく頷くと、彼が瞼を閉じるのを見守ってから、再び考えを巡らせる。

 ――思えば、両親を早く亡くした自分にとって、兄は世界の全てだった。

 子供にとって、世の中は広いようで狭い。後から思えば当たり前なことも、知らなければそこだけ知識に穴を開けたまま過ごせてしまう。事実、シャーリーが魔法使いだったことも、アレニアが魔法の国だったことも、フォルテは知らなかったのだし――。

(なんだよあいつ、本当に大事なこと、俺に全然教えてくれてなかったじゃないか……)

 行き着いた考えに、胸の奥をぎゅっと掴まれるような痛みが走る。

 だが気分を変えようにも、シャーリーは既に小さな寝息をたてていて、話をすることはできない。

 ならばせめて、とその手に触れて、存在を感じることで気分を紛らわせながら、フォルテは座席に凭れ、シャーリーと同じように目を伏せる。

 昨夜からまともに眠れていないこともあり、蓄積された疲労は瞬く間に全身を這い上って、馬車の揺れと同乗者らの会話の響きを感じながら、フォルテは温い水面に沈むような気分で眠りに落ちていった。

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