第四章 新たな旅路 1

「……すごいな、あれは」

 宿の外に出て、真っ先にシャーリーの目を惹いたのは、解体作業中の黒焦げの櫓だった。

 撤去作業は順調だったが、地面にはいまだ黒く焦げた跡が広がり、臭いも残っている。

「丁度古くなってて危なかったから、今度の冬越し祭までに作り直す予定だったらしい。だから燃やしても問題なかったんだって」

「それで、敵に対する囮にしたのか……」

 フォルテの説明に、シャーリーは溜息をついて辺りを見回す。

 あれから彼は、昨日より幾分か落ち着いたようだった。心の傷は癒えていないだろうが、振る舞いは大分自然になり、フォルテは少し安堵している。

「ああ。攻撃が成功してると思わせて、反撃に転じる作戦だったって」

「……それなんだが、フォルテ」

 女将に貰った、首の痣を隠すショールの上から頤に手を当て、シャーリーは言う。

「機会をただ待ったのではなかったな。あの時……間違いなく魔法が使われただろう」

「ああ。お前が使うのと同じような歌を、敵のに混ぜて混乱させてた。ただ妙なのはあれ、ちゃんと聞こえてなさそうな人が多かったんだよな。最後の大声は平気だったけど」

「無理もない。あの時の合唱には、行使を隠すための幻惑の旋律が混ざっていた。聞き手の体内の魔力に感応し、認識を誤らせるんだ。『祈歌』に限らず『魔法詠唱(マジックアリア)』の発声自体を伏せたい場合によく使われる方法だな」

「へえ……」

「まあ、私が最初の昏倒魔法に冒されてしまったのは、ただの油断だが……。とにかく、本当に歌ったままを聞き取れた人間は、抗魔術の訓練をした者など非常に限られたと思う」

「そうなんだ。……ん?」

 説明に、ぼんやりとした疑問が残る。だがそれを検分する間もなく、話は進んだ。

「そして、歌を乱した何者かの大声。あれは合図として『聞かせる』ことを目的としたから、敢えて聞こえるように歌ったのだろう。私も先日喉が枯れていた時に使ったが、声自体を増幅や反響の魔法で一時的に強化した雰囲気もあった。……とにかく、ここから分かるのは二つ。この村を攻めたのは……アレニアの人間。そして防衛した側にも、アレニア人はいた」

「そう……なるってことなのか……」

 シャーリーが一瞬言い淀んだのを察し、フォルテは辛うじて動揺を押し込めて答える。

「アレニアは……私の故郷は、一体何をしようとしているのだろう」

 細い声で、シャーリーは力なく呟く。

 アレニアがラングに敵対したことで、シャーリーは居場所を失った。

 フォルテにとってはそればかりが重大で考える余裕もなかったのだが――そもそも、何故アレニアはここにきて、講和を反故にする真似を始めたのだろうか。

「……アレニアには、ラングとの講和を快く思わない者は少なくない」

 シャーリーは遠くを眺め、静かに言う。

「戦争末期、アレニアは崩壊寸前だった。魔法の力を盲信し過ぎたことによる敗戦。戦乱の長期化による国力の疲弊、政治的采配の誤り……。だからアレニアは、存続のためにもラングの言うなり同然の条件で講和を飲まねばならなかった」

「じゃあ、それを不満に思って?」

「かも知れないが……。今のアレニアに、ラングと敵対するだけの力があるだろうか」

「え、でも魔法が使えるんだろう? 今回の敵だってみんなお前みたいな……」

「あのな。アレニアの全員が実戦に耐えるほどの使い手だと思うのか? 魔法だって日々の研鑽がなければ、到底実用にはならないんだぞ。それだけの力を持つのは研究機関や軍、後は優秀な血を濃く受け継ぐことに腐心する、貴族や王族くらいだ。私とて五年も使わず修練もしていないのだから、せいぜい十一の子供の力しかない」

「あれだけやれて十一の子供かよ……。でもさシャル。なんでお前、五年間なんにも魔法使わなかったんだ? あいつに言えば、ちょっとくらいは練習とか――」

 何気なくそこまで言いかけてから、フォルテはシャルの顔色が当惑に揺れているのに気付き――それで本能的に『言わなくていいことを言った』ことを察した。

「あ、ごめん! いや、別にいいんだ! そもそもあんな凄い力使われたらうちだって壊れちまうしな! 悪い!」

「……まあ、そうだな。そういうことだ」

 露骨に動揺するフォルテに、シャーリーはストールを軽く直しながら、そっと笑う。

「とにかく……アレニア人が多少魔法の素養が高いからといって、それで勝てるほど戦争は甘くない。国力そのものの大幅な増強が叶うか、それこそお前の大叔父上でもないが、図抜けた実力の英雄でも出現しない限り……」

 そこまで語り――シャーリーの顔色が、何かに気づいたようにふっと変わる。

「……どうした?」

「あ……」

 フォルテの呼びかけに、シャーリーが妙に戸惑ったような視線を向けた、その直後。

「相棒も元気そうだな。良かった」

 突然頭上から降ってきた声に、フォルテはがばっと後ろを振り返る。

 そこには相変わらず淡泊な表情の褐色の男――エディスが立っていた。

「なっ、あんた……びっくりさせんなよ!」

「別に驚かせようとはしていない。姿を見つけたから近付いただけだが」

「フォルテ……確かにそういう感じだった」

「ふうん……」

 フォルテは微妙な仏頂面で視線を泳がせる。

 そんな彼の代わりに、シャーリーが口を開いた。

「あの……昨夜はあのような状態で失礼しました。彼の連れの者です」

「ああ。エディスと言う。今回の防衛団の、団長を務める者だ」

「防衛団? 確か宿の女将は、貴方がたはロランからの旅人だと話していました。実際は違っていた、ということですか?」

「……違う、ということもない」

 エディスはシャーリーに答えてから、数拍思案の間を置き、続けた。

「我々はロランから派遣された。辺境を冒すアレニアの者から、この村を守るのが任務だ」

「ロランから? しかし、ここはカロキアです。どうしてその防衛にロランが……」

「……お前たちには、顛末を知る権利があるだろうな」

 呟くように言い、エディスは視線をフォルテたちが出てきた宿へ向ける。

「では、中に入るか。そろそろ始めようと思っていた頃だ」


 エディスに連れられ宿の広間に入ると、既にそこには十数人ほどの人間が集まっていた。

 彼らは一番大きなテーブルを囲み、険悪ではないが緊張した空気を漂わせている。

 エディスが一緒のせいか、フォルテたちは数人から少し怪訝な視線を向けられる程度で済んだのだが――逆に二人の方が、その中のある人物を見て目を丸くすることとなった。

 それは、シャーリーと同じ銀の髪を持つ、一人の青年。

「あ、エディスさんお帰りなさい。その子たちも同席を?」

「聞かせてやるべきだろう。巻き込んだ以上、説明しない方が面倒になる」

「それもそうか。……あー、やっぱちょっと責任感じてるんですね。その子に」

 フォルテを見ながらけろっとして言う青年に、エディスは棘のある視線を向ける。

 だが青年は構わず、自分の隣に椅子を二つ引き寄せると、笑顔でフォルテたちを招いた。

「ここに座って。大丈夫、話を聞いてるだけでいいからさ」

「あ、はい……」

 おずおずと椅子に座り、二人は銀髪の青年を窺う。

 華奢な面立ちと体躯は、シャーリーと同種の特徴。長い銀髪を編み込み、脛丈の旅装束を纏う。柔和な印象だが、女性的とまでは言いがたい――と思うのだが、シャーリーで見慣れていなければ、フォルテでも彼の男女の区別はつかなかったかも知れない。

 その間にエディスも椅子を引き、卓の中心に座ってから、銀髪の青年を振り返った。

「アリエル。お前がここにいるということは、術に冒された村人はもう心配ないな?」

「はい。個人差で少し頭痛は出ていますが、今日中には治るでしょう。幻惑術の後はせいぜい悪い夢を見た程度にしか感じませんし、問題は残らないかと」

「分かった。……ということで、その点については構いませんね? 村長」

「……そうですね。先に伺っていたことですし、村人もあの通り回復している」

 エディスに言葉を向けられ、答えたのは、対面に座る壮年の男性だった。

「何にせよ、村を守って頂いたこと、心から感謝いたします。後のことは市長殿の助言通りに行うつもりですが……領主やカロキア政府は、本当に動くでしょうか」

「動かざるを得ないでしょう。この辺りの街道は、西方からラング、さらに東方を繋ぐ、人と物との動脈。その危機にこれ以上カロキアが腰を上げないようなら、西方都市同盟も黙っていません。カロキアに防衛能力なしと見なして、ロラン、ひいては同盟本体が乗り出し肝煎りの警備隊の派遣と、それに伴う拠点の配置を要求することになります。……自国への要求に、他国の介入を得ることは、貴方がたには気分の良いものでないでしょうが」

「やむを得ません。こんな状況では、最早手段は選べない」

 村長は深い溜息と共に頷き、それからエディスに視線を向けた。

「我々にとっては、貴方がたの後ろ盾が全てです。……お願いして宜しいのですな?」

「勿論。我らの市長は、一度言い出したことは決して裏切りません」

 フォルテはふと、エディスの言葉に微妙な熱量の変化を感じ、思わず彼の顔を注視した。

 もっとも表情に変化はなく、その一言の後は、声色も元の調子に戻っていたのだが。

「我々はロランに戻り、今回の顛末を報告せねばなりません。ですが村の修復と、万一の場合に備え、人手は残していきます」

「助かります。市長殿に、どうか何卒宜しくお伝えください」

 村長は重々しく頭を下げ、強い信頼を伴う視線でエディスを見た。

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