第二章 夏の日の流転 1

 鋭い金属音と共に、一振りの長剣が陽光を反射しながら宙を舞った。

「うわっ……!」

 武器を失い、フォルテは思わず声をあげる。

 だが悠長に焦る暇もなく、目の前のシャーリーは稽古用の刃を潰した長剣を翻し、さらに斬り込んできた。何とか数度の剣撃をかわしてから、フォルテは両手を挙げ、声を張る。

「分かった、降参っ! 今回は俺の負けっ!」

 シャーリーは突きの構えで止まり、数拍フォルテを見据えてから、剣を下ろす。

 呼吸に浅く肩を上下させる顔には、しかし明らかに不満の色があった。

「フォルテ……お前、今の本気出してたか?」

「えっ? あ、ああ。でもあそこであの攻め手で来ると思わなかったな……」

 数度息を弾ませ、後は平然と落とした剣を拾いに行くフォルテを、シャーリーはいまだ呼吸の整わないまま複雑な顔で見据える。フォルテはそんな彼の様子はあまり気に留めず、拾い上げた剣を軽く振って土や草を払い、鞘に収めた。

 そこに、中庭の少し離れた場所で見守っていたリンが、笑って歩み寄る。

「よし、今日の稽古はこのくらいにしよう。お互い課題は分かっているだろうから、よく研究するように。それと、二人に伝えたいことがある」

「えっ?」

「何ですか、リン?」

「……そこで揃って不審な顔をすることはないんじゃないかな。流石に傷つくんだが」

 つい不安を顔に出してしまった二人に、リンは少々困ったように笑った。

「執務も一段落したから、近いうちにミルザに出かけたいと思って。私の多忙で今年の夏はどこにも連れていってやれなかった、では可哀想だし」

「え?」

 フォルテとシャーリーは顔を見合わせた。

 ミルザはフォルツァートが所有する領地のひとつである。首都からは西北西の方角、西側は隣国と国境を接しているものの、複雑な地勢の山林で実質行き止まりのため、主な街道には大きく迂回される。

 良く言えば平穏、悪く言えば過疎の土地柄だが、自然が豊かで静かな環境は、昔から一族の避暑旅行や療養先として好まれていた。

 ちなみに、帝国においてそんな旅行先を持つ人間は、そういった場所では日頃の喧噪を忘れてのんびり過ごすのが普通なのだが――、

「それに、早くしないと湖で泳ぐにも寒くなるだろうしな」

(って、やっぱり訓練かよ!)

 爽やかな笑顔の兄に、フォルテは心の中で突っ込む。

「あの……私も行っていいんですか? リン」

「勿論だよ、シャル」

 躊躇いがちに尋ねたシャーリーに、リンは笑って頷いた。

「毎年連れて行っているじゃないか。今年に限って留守番なんてことはないよ」

「あ、……ありがとうございます」

「うん。――というわけだから二人とも、早めに準備を頼む。……特に今回は、これまでの訓練の総決算のつもりで。教えたことをちゃんと思い出し、忘れないように」

「はいっ」

「……はい」

 歯切れ良く返事をしたシャーリーの横で、フォルテは無意識に返事を遅らせてしまう。

 この時フォルテは、リンの様子に妙な引っ掛かりを感じていた。『血縁者の直感』――そう言っていいなら、そういうものかも知れない。態度に声色、それに話の内容だっていつもと変わらないはずなのに――それでも。

「……フォルテ?」

「えっ? あ。……は、はい、兄上」

 だが念を押すリンの声でフォルテは慌てて我に返り、そうしてこの瞬間の疑念は、ひとまず彼の中から忘れ去られることとなった。


「それにしても、本当に急だよなあ」

 屋敷の廊下を歩きながら、フォルテは隣のシャーリーに言った。

 部屋に入って汗を拭い、着替えた後は、座学の時間が待っている。

「お前何持ってく? シャル」

「何って、せいぜい着替えくらいだろう。余計なものを持ち込むだけ労力の無駄だ」

「まあ、そうだよなあ」

 フォルテは頷く。ここ五年、フォルツァート家のミルザへの夏の旅行には『泊まりがけでリンが弟たちを鍛える』という意味合いしかない。

 朝は日の出の頃に起床。朝餉の支度を自分たちで整えることから始まり、日のあるうちは武術や馬術に加えて、山林での野外活動実習。当然夕食も自分たちで準備して、夜にはすっかりくたびれ、寛ぐ余裕もなく寝床に倒れ込む――というのがおおよその内容である。

「またいきなり林の中に放り出されて「帰ってこい」とか言われんのかなあ……」

「あり得るな。今度は「一日で」とか条件がつくかも知れない。私はあの後一応、方角の見方と食べられる野草の見分け方は学び直しておいたが……」

「俺も地図の読み方、勉強し直しておくかな……」

「いや、お前にそれは期待しない。もっと向く分野があるだろうから、そっちを伸ばせ」

「どういう意味だよ……」

 軽口を交えつつも、蘇る過日の思い出に、二人の間の空気は重くなる。

 シャーリーもリンの言うことなら何でも嬉しそうな顔をしているように見えるが、流石にこの『旅行』には躊躇うのだなと、フォルテは場違いな安堵を覚えた。実際、数年前にはこの暴力的なまでに投げっぱなしの訓練に、二人揃って現地の別邸の竃の影に隠れて泣いたこともある。もっとも、兄はそれで怒りもしないが、決して許してもくれないのだが。

「……無事に帰ろうな、シャル」

「ん……」

 取り繕うような言葉と生返事を交わし、後は二人とも黙って廊下を歩いて行った。


 その数日後、三人は予定通りラングの首都を出発した。

 例年そうするように従者は連れず、兄の運転で三人だけで馬車に乗り、街道の宿場町で休息をとりながら、日数をかけてミルザに入る。

 別邸の管理を任せる集落まで着くと、三人は馬を休ませがてら、最後の休憩をとった。

 村長への挨拶を済ませると、リンは他にも用事があるからと別行動になり、フォルテたちは村長の家の一室で、彼を待ちつつ寛ぐ。

「……シャル。それ、今は外してもいいんじゃないか?」

 ベッドに腰掛けたフォルテは、椅子に座るシャーリーの姿を見て、控えめに提案した。

 彼は鍔のある帽子を深く被り、髪も中に隠していた。纏う衣服も、極力人より白い肌が他者の目に触れないよう気を遣っている。

 旅行の度に接する現地の人間には、一族で預かる関係者、ということで話は通っており、まだ別邸に着く前といえ、兄の所領内であるここまで来れば多少は気を抜いても良いのでは、とフォルテは思うのだが、シャーリーは頑として首を縦に振らなかった。

「誰か入室してくるかも知れない。私の姿を見られるのは、やはりまずいだろう」

「でも……」

 確かに、慎重に考えるならそれが正しいのかも知れない。シャーリーを預かっていることは秘密なのだし、領主の関係者とはいえ数年前まで戦争をしていた国の人間を見れば、快い顔をしない者がいるだろうことは、歯痒いながらも想像はできる。

 だが、フォルテはそれとは別に、どうもこういう時のシャーリーの頑なな態度には、それ以上の感情――他者の目に姿を晒すことへの、強烈な『怯え』が存在しているような気がしてならなかった。

 結局それ以上強く勧めることもできないまま、戻ってきたリンと三人で軽食をとった後、食料などを積み込み出発となる。

 村外れの高台に向けて緩い坂道を上り、ほどなく一行は草原や林に囲まれた、小さな石造りの館に到着した。

 百年以上前、当時の当主が引退後の生活を送るために建てられた館は、都の屋敷と違い、昔の荘園邸宅のつくりをそのまま残した佇まいだった。暖炉のある大広間を生活の中心とし、後から部屋を建て増している。

 また国境の山脈の中腹に位置するここは、麓への眺望も美しく、来た方を振り返ると、遠く広がる草原や林といった光景を見渡せた。

「ああ……変わらないな、ここは」

 馬車を降り、昔から馴染みの風景を眺めながら、リンが懐かしそうに呟く。

「荷物を置いたら、早速夕食の支度だ。材料は荷物の中から好きなものを使いなさい。本当は材料を調達するところからやりたいところなんだが」

「兄上、それじゃあ夕食どころか夜食になりますからね?」

 荷下ろしを終え、フォルテとシャーリーは馬車を厩兼倉庫に移動させに向かったリンと別れて、屋内に入った。

 館の手入れは集落の住人が定期的にしているため、清掃は済んでいた。本邸より狭い廊下を通り、二人は上階にある相部屋の寝室に荷物を置いて、旅装束を解くと、懐かしい邸内の探索を始める。

 一階の奥には小さな厨房と食間があり、最後にそこに入った二人は、窓の外にいつの間にか夕焼けが滲み始めたのを見てから、無言で視線を交わし、玄関先から食料の荷を運び込むと、早速その中身と調理器具の物色を始めた。

 この旅行では、待っていたところで、誰も食べ物を用意してはくれないのだ。

「野菜と香草、干し魚があるから、煮物が作れそうだな」

「魚も?」

「多分……集落の人が気を利かせてくれたんじゃないか。リンは「ああ今から釣ってきなさい」だとか平気で言うから」

「うん……」

 爽やかな口真似を交えて言われた内容が真実を突き、フォルテは遠い目で頷く。

「だが明日以降はそうなるだろうな。フォルテ。去年お前が作った仕掛け網、まだ倉庫にあるだろうか」

「多分。明日の朝にでも林に行って、川に仕掛けてくる。朝食は任せていいか、シャル?」

「分かった」

 避暑地で貴人の子弟がする内容でない会話をしつつ、二人は食事の支度を進める。

 その後は特に問題なく夕食の支度が調い、普段より少し遅い程度の時間には食間で卓を囲むことができた。リンに「これなら合格だな」と言われ、二人は手を叩いて喜び合う。――「だが魚は明日から獲ってきなさい」という、予想通りの言葉もついてはきたが。

「明日から野外訓練を行うから、今日はしっかり休んでおくように。……それと、館を離れる時は武器の携帯を忘れるな。山林にいるのは人を襲わない動物ばかりではないからな」

「あ、はい」

 明日の朝一番に川に向かうつもりだったフォルテは、顔を上げて頷く。

 とはいえいつ何の訓練が始まるか分からない以上、剣は最低限の野外で使う道具と共に、携帯品としてベルトに纏めてあった。こういった気の回し方も、兄が無茶苦茶を言う環境だからこそ育ったと言える。


 こうして、夏の訓練旅行は始まった。

 武術は勿論、林に入っての野営の方法や食料の得方まで、出発前のリンの言葉通り、これまで得た全ての知識と経験を試された。

 それを日が暮れるまで続け、夕食後はくたくたになって就寝する。

 大変だったが、フォルテは課題を成し遂げる達成感は好きだったし、何より隣にはシャーリーがいた。時に競い合い、時に協力し、感情を分かち合う彼がいるからこそ、こんなに充実するのだと思っていた。


 そして、別邸に到着してから、およそ七日が過ぎようとしていた頃。

 夕食の片付けを終えたフォルテは、シャーリーの後に身を濯ぎ、寝室へと入った。

 訓練では、久々にリンと剣の手合わせをした。一人の剣士としての兄の技量は天才の名の通りで、大分手加減もされていただろう中、結局観戦するシャーリーに何らいいところを見せられないまま、完敗を喫していた。

 そんなわけで体力だけでなく精神的にも大分疲労したフォルテは、ランタンの灯りで明日の着替えの準備などしながら、強い眠気に襲われる。だが明日は西の林を抜けて湖に行くと行っていたから、準備はきちんとしなければならない。

 どうにか荷物を纏めてテーブルに置き、この上シャーリーに笑われてはたまらないと地図をしっかり見直していたフォルテは――ふと、何気なく顔を上げて、異変に気が付いた。

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