紙とペンと魔法術式

塩大福

虹のペン

──幼い頃、村に旅の魔法術師だという男の人がやってきて、僕に魔法を見せてくれた。


ガラスのような、石のような不思議な質感と、虹を閉じ込めたような輝きを持つ素材でできたペン。何もつけていないのにインクが出て、男の人の指がくるくるとペンを走らせる度に色が変わった。


魔法生物の素材を織り込んであるという、ところどころがチラチラと輝くパルプ紙。どんなに千切ってもすぐに元通りになって、なくなることが無かった。これに関しては、大人達が「羨ましい」と言っていたのを覚えている。


そして、ペン先から溢れ出して紙の上に綴られる、不思議な模様。


「とても精密で美しい、これ一つで完成された式なんだ」


とか男の人は言っていたけれど、僕は三つの綺麗なものが織りなすキラキラとした世界と、それらが生み出す魔法の美しさに見惚れていた。



その日から、僕は魔法術師を志すようになった。


魔法と魔法術式ばかり見ていて話なんて全然聞いていなかったけれど、男の人──僕の最初の師匠の、


「美しい世界を、美しい人々を、美しい自然を守るために、魔法術師は魔法を振るうんだよ」


という言葉に動かされて。


「魔法は自然から生み出され、自然に還るものでもあるんだ。自然は、災害はあってもむしろ人を守ることのほうが多いだろう?魔法も同じことなのさ。

──守るために魔法を使いなさい、エリル」




□■




「──フ、──、!



エリル・ガットフ!起きなさい!」


「ふあっ、はっ、はいぃっ!」


白いローブに包まれた小柄な体がびくりと跳ね上がり、机と椅子がガタリと揺れる。

その衝撃でようやく目を覚まし、幼い頃の記憶を夢で辿っていたのだと理解したエリルは、恐る恐る教師の顔を窺った。


「す、すみません……」

「まったく……君は特待生なのだぞ。他の生徒に示しがつかないだろう!」

「すみませんでした……」

「今は謝罪はいらん。後で私の教務室に来なさい。抜けているところは隣の人に見せてもらうように」

「はい……」


教師の言葉と教室のあちこちから上がるクスクスという笑い声に縮こまりながら、エリルは教科書のページを何枚か捲った。


「ごめんリット、見せてくれる?」

「ふひ、いいぜ。珍しいもの見せてもらったお礼な。お前よだれ垂らしかけてたぞ」

「もー、見てる暇あったら起こしてよ……」


エリルは隣に座る友人のリット・ジェンキンスに椅子を寄せると、彼はエリルをからかいながらもノートを見せてくれた。それに礼を言って居眠り中に進んでいた内容を写しつつ、こっそりと欠伸を漏らす。


「眠そーだな。何かあったのか?」

「面白い魔法書見つけちゃって……読み進めてたらいつの間にか朝でさあ。だからもう寝不足で」

「自業自得じゃん」

「うぐっ」


こそこそと話していると、教師──魔法生物科担当であり、このクラスの担任でもあるリーシェン・トルクリアン・スードがぎろりと二人を睨みつける。エリルとリットは首を竦め、内緒話をやめてノートに向き直った。


「──であることから、ウィル・オ・ウィスプは光の精ではなく沼の精ではないかとする説もある。では最後に、遭遇した時の対処法を復習するぞ」


朗々と教科書の内容を読み上げながら授業を進めていたスードが、白墨を取って黒板にカツカツと絵を描いた。白い丸に小さな体が生えたような絵だが、教科書を読んでいる者ならそれがウィル・オ・ウィスプだと分かる。


「まず、ウィル・オ・ウィスプはこちらを森の奥へと誘い込もうとする。この段階であれば、まだウィル・オ・ウィスプのテリトリーには入っていないため、対処はそこそこ容易だ。ガットフ、教科書を伏せて立ちなさい」

「はいっ」


指名されたエリルは教科書を閉じてから立ち上がる。


「この時の対処法を簡潔に」

「はい。ウィル・オ・ウィスプは臆病な性格なので、『閃光フラッシュ』や『爆音エクスプロージョン』などを使えば退散します。魔法が使えない状況なら、大声を出したり大きく手を叩いたりするのも有効で──」


エリルの言葉の途中で、教室の入り口横に設置されているベルがひとりでに揺れ出し、授業の終わりを示すチャイムが鳴り響いた。


「よろしい、続きは次の時間に回します。いつも通り、最初に前回の授業の復習をするので、誰が当てられてもいいように全員が復習をしておくこと。予習も忘れないように。挨拶!」

「起立!」


スードの号令を受けて学級委員長が声を上げ、全員が立ち上がる。


「礼!」

『ありがとうございました!!』

「はい、よろしい。ガットフは荷物を片付けたら教務室に来なさい」

「はい」


エリルはスードの言葉に頷き、席に着く。エリルの前の席に座っている友人のジェイク・フリースが椅子に反対向きに座り、にやにやと笑った。


「初ペナルティ頑張れ、エリル」

「まだ決まってないし!」

「ほぼ確定っしょ、スード先生厳しいし……ってか昼飯食べたら魔法歴史じゃん!予習してねえ、ジェイク見せて!」

「え、嫌だけど」

「悪魔かァ!エリル、助けろ!」

「無理。自業自得だね」

「ちくしょー!」


授業中にからかわれた仕返しにエリルがリットを突き放すと、喚きながら机に突っ伏す。


「じゃあ僕ちょっと行ってくるね。ご飯は先に食べてて。あ、でも席取っといてくれたら嬉しい」

「りょーかい」

「うぐぐ……ペナルティやらされろ……」

「次の時間はリットのほうが重いペナルティもらいそうだけどね」


エリルは机の上を片付けると、友人二人に手を振って教室を出た。

渡り廊下を渡って教職員棟に入り、階段を上がって、教師が個別に与えられている教務室が並ぶ中で、スードの教務室の扉を叩く。


「エリル・ガットフです」

「入りなさい」

「失礼します」


扉を開けて部屋に入り、執務机の前まで進むと、書類に何やら書き込んでいたスードが顔を上げ、ペンを置いてエリルを見た。


「さて、君への要件は二つある」

「は、はい」


てっきりペナルティのことだけだと思っていたエリルは、スードの言葉に面食らいながらも返事をする。


「一つは、もちろん先程の居眠りに対するペナルティだ。しかしまあ、君にしては珍しいので軽めだがね。魔法始語の書き取りを一つにつき百回やってきなさい。期限は明日の朝会まで」

「はい、分かりました」

「二つ目は、これについてだ」


スードは執務机の引き出しを開け、中から細長い箱を取り出し、エリルに渡した。

エリルは促されるまま箱を開け────絶句し、満面の笑みを浮かべた。


箱の中に入っていたのは、エリルが待ち望んでいた魔法術師が使う魔道具の一つ。クリスタルペンと呼ばれる魔法術式を書くためのペンだった。


「これ……っ、できたんですか!?」

「ああ、君の特異体質・・・・に合わせて作り上げた特注品だ。大事にしたまえ」

「もちろんですっ!でも試し書きとか……」

「まあ、私も結果は気になっていたし、よかろう。魔法紙は持っているな?」

「はいっ!」


元気よく返事をしたエリルは、ローブの内ポケットから手帳を取り出し、ビリッと一枚破り取ったが、紙はそこからじわじわと再生していく。

これは魔法紙、または手帳そのものがインフィニティ・ノート──実際には無限ではないのだが──と呼ばれる魔道具で、魔法術式を書き込むためのものだ。魔力を可視化し、インクとして排出する機構を備えたクリスタルペンがあれば、普通の紙に魔法術式を書いても魔法は発動するが、効果は魔法紙に書いた時に比べてかなり弱くなるため、魔法紙を使用する。


エリルは頬を紅潮させながら真新しいクリスタルペンを握りしめ、しかし筆跡は滑らかに魔法紙に術式を綴った。魔法術式を書く際は、すらすらと書くことが魔法を淀み無く発動させるコツなのだ。


「『踊る光源ダンシング・ライト』──浮遊アーヴァ


様々な色の光を舞い踊らせる魔法が、『浮遊せよ』というエリルの言葉に従い発動する。

エリルの黒い革手袋──魔法を安全に発動するための補助魔道具──に包まれた手の上で魔法紙がチリチリと端から焦げていくと、色とりどりの光が浮かび、野原に舞う蝶のような気まぐれな動きで踊りだした。


「成功、だな」

「──っ、はい!こんなに、スムーズに魔法を発動できたのは初めてです!」

「…そうか、よかった。ではそれはもう君のものだ。しっかりと管理するように」

「はいっ!あ、でも、本当に追加の代金は良かったのですか?特注品なんて……」

「生徒に魔道具を与えるのは学園の役目。既製品で君に合うものがなかったから注文した、ただそれだけだ。こちらこそ入学して三ヶ月も待たせたことを謝らなくては」

「いえ、そんな!」

「では、もう戻ってよろしい。ペナルティは忘れないように、だがそのペンで書くんじゃないぞ」

「う、大丈夫です。今日はすみませんでした。それと、ありがとうございます!」

「うむ」


ペンを丁寧に箱に入れ直し、大事そうにローブにしまいこんだエリルが、ぺこりと一礼してスードの教務室を出ていく。その後ろ姿は実際に弾んではいないがそう見えるほど高揚していた。

その様子を見送り、扉がきちんと閉められてから、スードは長いため息をついた。


「まさか、本当に不純物を混ぜ込んだ・・・・・・・・・ほうがうまく発動できるとは。ガットフの魔力の純度・・はやはり異質だ。もし、今より技術が進んであの魔力をそのまま使える魔道具ができたら……」


呟き、ぶるりと背筋を震わせる。それきりスードは口を噤んで書類に没頭し始め、先程の言葉は誰にも聞かれることなくスードの心中にだけ残り続けた。

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