おねショート

成瀬川るるせ

おねショート

 バンッ! と銃声が響き、セットした空き缶が吹き飛んだ。

 視界に一瞬、砂嵐が舞う。

「ジャミングか……? いや、違う、傍受だ」

 このアナログなブラウン管式電脳世界にいる限り、思考の傍受は避けられない。

 自分の思考が傍受され、全裸にされる気分は正直、気持ちが悪い。どこの変態が好んでおれの心を読み取ろうとするのか。

「ま、今のおれは幼稚園生のガキだからな、そういう性癖の野郎もいるってことか」

 おれのアバターは青い園児服を着た幼稚園児。男子だ。今は、的を撃つ練習をしていたところだったのだが。

「見てくれはこんなだが、とっとと現実世界に戻らないと。園児のままじゃ格好がつかない」

 空中に浮かぶアイテムホルダのバツ印をタップして銃をしまったおれは、園児服のポケットからZIPPOライターとショートホープを取り出す。

 十本入りのその紙のボックスからショートホープを一本抜き取り、ZIPPOで火をつけ、口にくわえた。

 このアバターには若干強すぎる、煙草の煙を宙に吐く。

「さて。変態野郎のおでましのようだな……」

 吸いさしの煙草をすこし躊躇ってから地面に捨てたおれは、火を足でもみ消す。

「ショートホープを踏みつけるたびに希望がすり減っていく気分だぜ。少しばかりしかない希望が、な」




「一望監視型監獄で、視る側ではなく視られる〈だけ〉の気分はどうかな、ナズナくん」

「どうもこうもねーよ、カスが」

 男子幼稚園生。だが、歪んだ唇と充血した目は、相手が極度のクソ野郎だということを物語る。

 アバターはおれと同じように幼稚園生だが、中身は一体何歳だか知れたもんじゃない。




 おれは唾を相手に吐きかけるように言う。


「一望監視型監獄。ジェレミー・ベンサムが提唱した、一点から全ての檻が見渡せるタイプの監獄。

いつ視られているか、檻のなかの人間は知ることができず、常に視られていることを意識しながら生活することを余儀なくされる。

それはミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』で分析され、規律型権力と呼ばれることになる」


 充血したそいつの定まらない目の焦点が、ぐるりと回ったかと思うと、おれの顔に点を結ぶ。

「ベンサムを語る園児とは。おいしそうな獲物だよ……ナズナくん」

 舌なめずりする歪んだ唇の男。

「ナズナくん。このブラウン管式電脳世界はそれ自身が」

「〈殺す権力〉から〈生かす権力〉へ。『生権力』。言いたいことはわかるよ、園児の皮を被ったオッサン。

愉快・不愉快さなどの〈感情〉や〈気分〉でひとを操る環境管理型権力と、〈ディシプリン〉で縛る規律型権力の複合体。

それがこのブラウン管式電脳世界の網の目の秘密だって言うんだろう?」

「わかってるようじゃないか」

「てめぇがさっき盗み見た空き缶みたいに、潰されたいのか?」

「あいにく、私は空き缶ではないのでね」




 相手が両腕をクロスさせて、両手の掌を広げ、構えを取る。

 そこには合計、八本のオペ用メスが、指に挟まっている。


「申し遅れ」


 バンッ。


 脳天に穴が開いた。


「悪いね、自己紹介を聞いてる気分じゃないんだ」


 破裂。


 えぐれた頭蓋から、血液と脳漿が飛び散った。

「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」

 脳みその上半分はなくなっているそいつは笑う。

「〈ブラインドタイプ〉ですね、ナズナくん。ずっと視ていたからわかりますよ。『見えないガンマン』くん。

本当は銃なしで相手を〈撃ち抜く〉ことができる、のですよね」


 バンッ。


 バンッバンッバンッ。


 撃つ。〈ブラインドタイプ〉の、指鉄砲を。


 顔がぐしゃぐしゃになって、仰向けに崩れ落ちた。

 その腹に、何発も連続で〈ブラインドタイプ〉を撃ち込む。


 バンッバンッバンッ。


「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」

「肉塊が」

 笑っているのではない。顔は吹き飛んでいる。ギミックだ。

 どうせこいつもナノマシンで制御されたからくり人形だろう。ほかに本体がいる。

 これは〈ナノ笑い袋〉が音声を出しているだけ。


「一望監視……か」

 おれが〈見えない妄執〉によって、ここに放り込まれてからずいぶん経つ。

 何人ものクソアバターどもを〈処理〉してきたが。

 どうやら電脳の〈網の目〉は、対策を練ってきている。それは確かだ。


 特に今回のこいつ、メスを握っていたことから解剖狂の〈マッド野郎〉と呼称することにするが、このマッド野郎は厄介だ。

 おれがチート技〈ブラインドタイプ〉を使って事なきを得ているように、こいつは〈視る側〉の奴だ、というのがわかるからだ。

「見るー見られる」の関係は、残酷だ。

 見られる奴は自分が見られる主体だ、ということを意識していなければならない。

 そのうえ、思考まで読まれているのだから、手に負えない。反射で行動するしか、おれには道がないのだ。

 相手は有利どころの話じゃない。掌握されている、と言って良い。

 過去のささやかな蓄積がなかったらおしまいだった。


 バンッ。


 おれは空中に向けて〈ブラインドタイプ〉を放った。


 視界をまた、アナログの砂嵐が襲う。

 こめかみが痛くなる。おれは目を瞑った。


 無心。


 空即是色。


 この世のすべては空である。

 そして空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理である。


 真か偽か。否、その問いは無効化される。それが、空即是色。


 感じろ。感じるんだ、この〈気味の悪さ〉を。


 押し殺せ、〈自分〉の〈心〉を! 殺した先に〈解放〉が待っている!




          **********




「……ズナ……、ナズナってばっ!」


 お湯の撥ねる音。おれは湯船から飛び上がった。


「乃理お姉ちゃん!」


 乃理お姉ちゃんの家のお風呂の中。

 そうだった。おれは乃理お姉ちゃんと一緒にお風呂に入っているんだった!

 乃理お姉ちゃんもおれも、もちろん全裸で。

 おれは乃理お姉ちゃんに後ろから抱きしめられるかたちで湯船につかっていて。

 湯船に潜って、今、飛び上がったところだったんだ。


「どうしたの、ナズナくん? 顔が真っ赤だよ?」

「そりゃお風呂の中だからだよ、乃理お姉ちゃん!」

「あー、やだぁ。湯船に潜ってごまかしたでしょー、顔が赤いのを。私がいないとダメな子だもんね、ナズナくんは」

「どういう意味だよ、乃理お姉ちゃん!」


 浴槽の中で立ち上がっているおれを、うしろからまた抱きしめる乃理お姉ちゃん。


 大きな胸がぷにぷにと、おれのおしりに押し付けられる。

 乃理お姉ちゃんがまわした両腕はおれのデリケートな部分に触れているかたちになっている。


「お、おれはもう大人だもん!」

「わかってるよー。男の子だもんねー」

 デリケートな部分を撫でさすりながら、乃理お姉ちゃんは「うしししし」と声を漏らした。


 尾てい骨のあたりに、乃理お姉ちゃんは口づけをした。


「ナズナくんも、もう年長さんも終わって卒業したもんねー。立派な男の子だよねー」

「いつの話をしてるんだよ、乃理お姉ちゃん。学校では、おれ、強いんだぜ!」

「ナズナくんは、私の自慢なんだよ? みんなに自慢できる、男の子」

「の、乃理お姉ちゃん……」

 撫でさする手で、押し付けられる胸で、おれはとろけそうになる。

「やっぱり男の子だね、ナズナくんも」

「だからどういう意味だって!」

「視てたんだよ、ずっと。今も視てる。ねぇ、乃理って呼んでみて?」

「うん?」

「だから。名前で呼んでみて」

「…………」

「ほら! 早く名前を呼んで」

「の、……乃理」

「ナズナきゅーーーーーーーーん♡」

 おれの身体にまわした腕にぎゅっと力を入れて、抱きしめる乃理お姉ちゃん。「うしししししし」と、肩を上下させて笑む。



 おれが乃理お姉ちゃんのほうを振り向くと、お姉ちゃんは目がぐるぐるになっていて、おれの顔を見あげていた。

「おっと。……じゅるり」

 よだれを腕で拭く乃理お姉ちゃん。




「ずっとずっと……狙っていたよ? もう、……いいよねっっっ?」




          **********




 願望? そう、この世界は願望の監獄の中なんだ!


〈網の目〉の正体は……。いくつもの襲い掛かるアバターの正体、その〈人格〉は。




「お姉ちゃん! 視てるんだろ、〈乃理お姉ちゃん〉ッ!」




「バレちゃったかぁ。やだなぁ、もう」


 乃理お姉ちゃんの声が遠くから「うしししししし」と聞こえた。


「私の心がオッサンなの、ナズナくんにバレちゃったぁ」


 気味の悪いその正体は、乃理お姉ちゃんだった!


「乃理お姉ちゃん、一体どうしてこんな世界を?」




「だって……」




 おれの耳の奥に、息を吹きかける乃理お姉ちゃん。

 乃理お姉ちゃんの身体が、実体化する。

 その囁く声は艶があって。そして見つめる瞳はぐるぐる回る目で。




「ずーっと、狙ってましたー。だからですー。おねショタ道を一緒に進もうねっ? ナズナくん」




〈視られる〉世界は爆ぜた。おれの心はずっと〈視られていた〉のだ。


 だからこれは、乃理お姉ちゃんの願望であって、同時に、〈おれの願望〉。


 視られたかったんだ、乃理お姉ちゃんに。ふさわしい男の子になりたかったんだ、乃理お姉ちゃんの。




 おれと乃理お姉ちゃんは。


 こうして今。


 心までもが、ひとつにつながった。




〈了〉

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おねショート 成瀬川るるせ @ukkii

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