◇第二百四話◇

「良いよ、しても……」


「いや……え?」


ただ警戒心を持たせるためにした事だというのに、何故か全く逆の効果を得てしまった。


困惑する稜に、春は笑顔で口元に手を当ててみせる。


「それとも、私からしてあげよっか?」


それが天然なのか、狙っているのか、世の男たちならこのチャンスを物にしないはずが無い。


だが、稜がそんな誘いに乗るはずもなく、頭をガシガシと掻いて反論する。


「あのなぁ……。俺は別にそういう意味でやったわけじゃねーんだよ。頼むから、自分の体は大切にしてくれ」


「分かってるよ。誰にでもこんなこと言わない」


一歩ずつ、ゆっくり近付いて行き、いつの間にか先程とは全く逆の立場になってしまった。


「おい……」


「あれ?雨夜くん、もしかしてした事ないの?」


優しく撫でるように首を触ると、ピクッと体を震わせた。


「あ、あるわけねーだろッ……、俺は特に女に触れねぇんだから……」


「私は平気なんだ」


「お前は、他と違うから。今だって、本気でそういう事しようって思ってねぇだろ」


「ありゃ、バレちゃった?」


イタズラ好きの子どものような笑顔で体を離す。

こんな顔して、外だというのに流されてしまった自分を殴りたくなった。


「はぁあ……おま、マジで手慣れ過ぎだろ……経験者かよ……」


へにゃりと膝からその場に崩れ落ち、体育座りのような格好になってしまった。


そんな稜に目線を合わせるようにしゃがみ込むと、優しく頭をポンポンと叩く。


「いやいや、私だってキスまでしかした事ないよ〜。けど、何か雨夜くんが可愛く見えて」


「意味分かんねぇ……」


可愛いなんて思われても嬉しく無いとまたも頭を抱える。

そんな稜の事などお構い無しに、春は隣に座った。


「んー、後ね。凄いドキドキしちゃった。今まであんな顔見たこと無かったから」


「ドキドキってお前なぁ……。何も学んでねぇじゃねーか」


「馬鹿なのが取り柄なので」


「クソが。警戒心の欠片もねぇな」


此処が密室だったら一体どうなっていたか、考えるだけで恐ろしい。


だが、春のことだ。そんなに難しいことを考えていたとは思えなかった。


「けど、うん。よく分かったよ。確かに私は油断し過ぎだったかもしれないって。分からせてくれてありがとね」


「分かったなら宜しい」


うんうんと頷く。そんな稜をよそに、春の心の中はぐちゃぐちゃになっていた。


その理由はもう、一目瞭然である。


(男の顔の雨夜くん格好良かった……!さっきの雨夜くん可愛かった……!何、これがギャップ萌えってやつ!?)


ううーと隣で頭を押さえながら唸る春に、何がしたいんだという疑問でいっぱいになる。


「っていうか、雨夜くんだって人の事言えないよね!無防備だよ、付け入る隙ありまくり!」


「あ?俺のどこにそんな隙あるってんだ」


「いっぱいだよ、いっぱい!簡単に体触らせちゃ駄目でしょ!」


「うっ……それは」


そう言われてしまうと何も言い返せない。まさかの事態に体が着いて行けなかったなんて格好悪いこと、言えるわけが無かった。


「けど、俺は別だろ。月野意外の女にはそもそも触れねぇんだから」


「あー、そうやって逃げようとするんだからもうっ!」


「いや何でそうなる」


プンスカ文句を言う隣の人物に大きめの溜め息を吐き、立ち上がった。


「ほら、帰るぞ」


「う、はい……」


少し格好良いなと思ってしまったのは、内緒だ。

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