◇第二百一話◇

「そういえばさっき薫のバイト先行ってきたんだけど、そこで働いてる人が雨夜くんのお兄さん、人気者だって褒めてたよ」


何となく先程の出来事を思い出し、春は稜に話を振る。

すると、十分ほど前の桜同様に顔を曇らせた。


「あぁ、確かに人気はあるだろうな。あの性格なら。頭もちゃんと良いからな」


「へぇ!自慢のお兄ちゃんって感じ!」


「……それにはノーコメントで」


「え、何で!?」


聞く限りでは完璧にしか思えない兄の像だったが、何故ここまで否定されているのか不思議でならない春だった。


そんな彼女の様子を見ながら、朝の心配になるような春はいないようで、蓮は安心した。が、やはりまだ少し疲れが滲み出ているようで、足元が覚束無い。


「月野、補講明日もあんの?」


と、補講の話を持ち掛けるやいなや、肩をビクッと震わせ冷や汗を流し始めた。


「あるよ……再々テストが……全部落ちたよ今日……」


「うわ、変わってあげてぇ」


あまりにも可哀想な状況に、自分なら一回で受かれるのにと、同情するしかなかった。


「同情するなら頭脳くれ!」


「どっかで聞いた名台詞!」


うわーと喚く彼女の肩を、薫は軽くポンッと叩いた。


「帰ってテスト内容全部暗記すれば余裕で受かる」


「あっ!成績トップが何か言ってる!!」


「聞け聞け人の話を」


まるで何語を話しているのか分からないという顔をしながら、意味を理解出来ないふりをした。


「まーこのまま一人で帰らせるのも怖ぇし、稜送ってってやれよ。どうせ暇だろ?」


「心外だな。何で俺なんだ。お前らも暇だろ」


面倒臭い。そういうならお前が連れてけよと、そんな酷い言葉が聞こえてきたのか、春はショックを受けた顔をする。


「雨夜くん酷い!!私の事なんてどうでも良いって言うのね!!」


「お前は面倒臭い彼女か」


おいおいと泣くふりをすると、ペシッと軽く頭を叩かれた。


「いたいっ」


「送ってやるから喚くな」


そんな二人の会話を横で聞いていた桜は、複雑な感情で話し掛ける。


「え、二人で帰るの?」


不安そうな桜を見て、ハッと気付いた。

と同時に、確かに二人きりになってしまうとやっと理解したようで、みるみるうちに顔が赤く染っていく。


「ち、違う違う!!そういうアレじゃなくて、違うアレだから!!」


「どういうアレ??」


照れているようにしか見えない春の顔を見ると、何かを察したかのように桜は更に眉を下げた。


「もしかして春ちゃん……」


「え!?何!?」


そこまで言うと、これはこの場で言ってはいけない言葉だと理解した。


聞いてしまいたくなる言葉を飲み込んで、首を振った。


「ううん、何でもない。気を付けて帰ってね」


「え?う、うん……?」


反対しきらない桜を不思議に思うが、そんな彼女の胸の内など当然の事ながら分からない。


(私、やっぱり……嫌なはずなのに、嫌じゃない……)


昼に薫とした会話を思い出す。


やはり自分は、稜のことを人として、兄のような存在として好きなんだと。


もう、認めるしか無かった。だが、悲しいなんて気持ちは全く無い。寧ろ、心の中のモヤのようなものが無くなり、楽になったくらいだ。


そしてきっと、春は――


「春ちゃん、私応援する!」


「え、ん!?何を!?」


満面の笑みで二人を見送る。

稜が見ず知らずの人に奪われるのは嫌だったが、春なら何も嫌じゃなかった。


「頑張って、春ちゃん」


小さな声で、誰にも聞こえないように言葉を零した。

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