◇第百八十一話◇

花火大会から数日が経ち、朝霧家の前には少女が一人立っていた。


「よし……鳴らすぞ、逃げるな私……」


震える人差し指でインターホンを鳴らしたのは、遊馬茅鶴である。


ガチャリと扉が開かれ、出てきたのは兄の蓮だった。


「あ、茅鶴ちゃん!ようこそようこそ!」


初めて会った時もそうだったが、なんて軽薄そうな兄なのだろうかと思ったのは内緒である。


しかし、顔の造形はどこか妹に似ている。やはり兄妹なのだと不思議な感覚に陥った。


「おじゃましまーす」


家の中に入ると、桜が玄関まで走ってやってきた。


「ちづるぅ〜!会いたかったよー!」


飛び込むように、勢いよく抱き着いた。その言葉と行為に、茅鶴の顔はみるみるうちに赤くなっていく。


「さ、桜離れて……」


「あっ、ごめんごめん!暑いもんね!」


「う、うん……」


本当のことなんて言えるわけもなく、頷くしかなかった。


「ねぇ聞いて聞いて!この間稜くんがね!」


愛おしさを覚えてしまうくらい、満面の笑みを浮かべながら、桜は好意を寄せている男の話をする。


(またアイツの話)


どうでも良い。聞きたくない。そんなことを心の中で思いつつも、笑顔で相槌を打つ。


「本当にお前は稜のことが好きなー。俺の方が絶対稜のこと好きだけどー」


「うわ出た、ホモマウント」


「ちょ、ホモとか言うな!!せめてゲイに――いやいや、そういう話でもねーけど!!」


どうツッコめば良いのか、言葉の道を探す。

あーだこーだと言い争う兄妹は、見ていて何だか微笑ましかった。


だが、二人がそんなに熱を上げるほど、あの雨夜稜という男は魅力的なのか、甚だ疑問であった。


「あの、桜のお兄さん」


「ん?俺?」


ポカポカと、まるで漫画のように殴って来ようとする妹の頭を軽々抑えながら、茅鶴の方へと向く。


「その稜っていう人のこと、何でそんなに大切なんですか?」


理解し難かった。周りも明るく出来るような、太陽的な人間でもなければ、誰とでも上手く出来るような人間性も無さそうなあの人間が、何故そこまで慕われているのか。


蓮が幼馴染みだということは桜から聞いていたが、わざわざ同じ学校を選び続けたり、桜に取られたくないと反対してみたり、ただの友人にそこまで出来るだろうかと思ってしまった。


「もしかして本当に……」


「俺はノーマルだぞ????」


自分と同じ同性愛者なのではないかと疑ってしまったが、言うより早く否定された。


「まぁなんつーか、難しいけど……。アイツ、分かり辛いけど優しいとこもあってさ。いつの間にか絆されてたって感じよ」


そんなことを言いながら、桜の座っていたソファに腰をかける。


「ちょっと、邪魔なんだけど」


「えー、良いじゃん。俺稜の話ならいくらでも出来るよ」


「うわ……さすがにキモイわ……」


「我が妹よ、兄に対してキモイは酷いぞ?」


確かにその通りである。

しかし、自分の聞きたかったことはそんな事じゃないと、また質問をぶつけた。


「お兄さんにとって、あの人って何なんですか?」


その問いに、すぐには答えられなかった。

数秒悩んだ結果出た答え。それが問いに対して一番間違いの無い物だと、確信を得る。


「酸素、かな」


「酸素?」


言葉の意味を理解しようと、頭の中を整理するが、思うように理解出来なかった。

そんな茅鶴を見て、分かりやすく答え直す。


「要するに、俺は稜がいねーと生きていけないってこと」


またさっきみたいな冗談かと思った。

なのに、蓮の顔は何一つおふざけを含んでいなかったのだ。


(あんな奴が、何でそこまで……)


それが茅鶴にとって、不思議で仕方がなかった。

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