◇第百八十話◇
「ねぇ」
一言を発したのは、隣にいた彼女である。
「アンタ、桜の何なの?」
圧をかけるように、声はさっきよりも一段階ほど低くなった。
さすがに稜でなくとも分かる。この人間は、信用してはいけない存在だと。
稜の嫌いな存在だった。
「何、私には関係無いとでも言いたいわけ?」
沈黙を反論と捉えられたのか、茅鶴は眉を顰める。
何故こうも毎回のように、面倒事に巻き込まれるのか、不思議で仕方がない。
だが、茅鶴は更に言葉を重ねた。
「アンタみたいな奴に、桜は渡さないから」
その言葉が放たれた瞬間、また何かを感じた。
それは、先程までとは違う何か。
強いて言葉にするのなら――
(強い、意思……?)
嫉妬、或いは執着心。
信用は出来ない。だが、それ以上に自分へ向けられたその敵対心は、大切な者を想う一途そのものの証明だ。
足を止め、少し後ろにいた彼女へ振り返った。
「お前、桜が好きなのか」
そう尋ねると、みるみるうちに顔を真っ赤にさせた。
「ち、ちが、いや別に友だちとして好きっていうか、その」
モゴモゴと段々声を小さくさせていく。
なるほど、そういうことだったのかとこれまでの言動を思い返す。
「何で誤魔化すんだ。自信持てよ、大事なら」
誰かを好きになるという感覚が、稜には分からない。それでも、大切な人を胸張って大切に出来ないのは、それこそ愚かである。
だが、茅鶴は同性を好きになってしまった自分自身が嫌で嫌で堪らなかった。
「おかしいでしょ、気持ち悪いじゃん!!こんな、友だちのフリして、優しいフリして……何で……自信なんてどうやって持ってって言うんだよ……っ」
自分は至ってまともだと思っていた。きっと将来は、格好良い男性と結婚して、子どもを産んで、両親のように仲睦まじい家族になるのだと。
何故友人を好きになってしまったのか。桜の存在は、まだ幼い彼女の初恋を奪うのには充分だった。
今にも泣いてしまいそうな彼女に、一歩近寄る。
「好きに性別って、無いんじゃねーの」
「……え?」
ただ思ったことを口にした。
本当はどうなのか分からない。でも、それがまともではないと決めつけるのは、もっと理解出来なかった。
「これは俺の感想。好きならそれがお前の感情なんだと思う」
男なら、女なら、そんなものは端から重要じゃない。
大切なのは、誰を好きなのかということ。それだけだ。
「好きでいて良いの……?私、桜のこと好きでいて、良いのかな……」
「それを決めんのは、俺じゃねーよ」
たった一人で悩み続けていたこと。誰かに打ち明けたのは初めてだった。
心の奥に溜まっていた物が、一気に軽くなった気がした。
自分の想いを肯定されたみたいで、嬉しくて堪らなかった。
そんな彼女の顔を見て、恋とはそんなに人の心を左右出来る物なのかと、ふと羨んでしまった。
「羨ましい。俺には……一生出来ないものだろうから」
「え、どうして?」
反射的に言葉を返す。だが、自分のことで精一杯で気が付けなかった。
稜の顔を見た瞬間、茅鶴はその言葉を理解した。
「……俺の心は、もうとっくに死んでんだ」
切れかけの電灯が、チカチカと点滅している。
もう二度と、笑うことが出来ないのかもしれない。
ふとした瞬間思い出す。幼少期の頃の記憶は、今も尚稜を蝕み続けていた。
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