◇第百七十話◇

ガヤガヤと賑やかな居酒屋に入ると、仕事終わりらしい会社員たちが飲み会を開いていた。


「店員さーん、生四つ!」


紗香の一件があってから、誠は碌に食事すら出来ていなかった。

アルコールなど以ての外、水以外飲み物は何も口にしておらず、店内に蔓延しているタバコの臭いすら少しだけ懐かしく感じた。


席に着くや否や、鳴海はメニュー表を手に取る。


「まこっちゃんは何食いてー?因みにオススメは全部!」


「そんな食えねーよ!」


この感じ、高校時代を思い出す。まだ教師に夢を抱いていた、あの頃を。


「んじゃー、取り敢えず枝豆と鳥皮の塩と……麦茶で」


「え、酒じゃねーの?」


「うーん、今日は良いや」


これ以上鳴海に気を使わせるわけにはいかない。

彼は優しい。とても優しい。だからこそ、関係無い彼まで巻き込むわけにはいかなかった。


鳴海と話していると、まるであの事件は夢だったのではないかと錯覚する。

あんなに衝撃的だった出来事を、忘れることなど一生出来ないだろう。


「そんでさー、この間鉛筆の芯出そうとして出っ張ってる方に指刺しちゃって。穴空いたかと思ったわ」


「シャーペンじゃねーのかよ」


こんなんで教師が務まるのかと疑問を抱く。

そんな誠の心を読んだかのように、鳴海は少し間を置いて話し始めた。


「まこっちゃんはさ、何でも背負い過ぎなんだよ。俺みたいにとは言わないけど、肩の力抜いても良いんじゃないかな」


「え?」


生徒のことを第一に、自分のことは二の次に。そういった考えが、誠の心を下へ下へと連れて行っていた。


鳴海には気付かれていたのだろう。今この時間も、ずっと脳裏にはあの時の光景が流れ続けていたことを。


「生徒想いの先生が悪いってわけじゃない。ただ、思い詰めすぎるのはやめよう」


その通りだ。自分を責め続けたところで、もう死んだ人間は還って来ない。

頭では分かっていても、そんな簡単に切り替えられたら苦労はしない。


「……出来ねぇよ。俺は、生徒を守れなかった……。最低な教師なんだから」


自分が余計なことさえしなければ。何をしていても、ふとした時にそんな思いが誠の脳を支配し続けた。


それから数年経った今も、この最低で最悪な事件のことだけは、一度も忘れたことは無い。

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