◇第十九話◇

場所は屋上の踊り場。下の階からザワザワと声が聞こえて来るが、さほど気になるボリュームではない。


「雨夜くん、キミにどんな事情があるか、僕は知らない。でも、昨日のアレはきっと何か、理由があったんだよね」


昨日のアレ、とは恐らくだが、稜が奏の腕を振り払った件だろう。たったそれだけで顔色を変えられては、誰であろうとただ事ではないと感付ける。


「僕はキミにあんな顔をさせてしまった。ただ腕を掴んだだけでも、雨夜くんにとっては、鳥肌が立つほど嫌なことだったんだよね」


何一つ理解不能なこと。しかし裏を返せば、理解不能だからこそ誠心誠意謝らなければならないと、奏は昨日からずっと考えていたらしい。


「ごめんね」


たった四文字を、頭を下げながら言葉にする。ただ触れただけ、日常生活で誰しもがすることだ。それだけなのに、奏は疑問に思うことなく謝罪する。


が、稜は稜で、悪いのは自分。この男は何も悪いことはしていないと、罪悪感が心の底から湧き上がってきた。


「……お前は悪くねぇよ」


随分と小さい声。だが、それでも奏の耳はしっかりと言葉をキャッチしていた。まさか、昨日はあれほど話しかけても答えてくれなかったこの男が、形はどうであれ会話してくれる気になるなんて。


「悪いのは、俺だ。すまなかった」


身長は十五センチ差で、圧倒的に稜の方が高い。それなのに、奏と同じくらいかそれ以上頭を深々と下げたせいで、頭の高さがほとんど同じくらいになってしまった。


稜が人と会話をすることは、天地がひっくり返っても有り得ないことだった。にも関わらず、自分の意思で受け答えをした。即ちそれは、己の中の嫌悪感を押さえ付けなければ出来ないことなのだ。


まさか逆に謝られることになるとは思ってもみなかった奏は、少し狼狽える。


「じゃあさ、今回のことはお互い悪かったってことで良いんじゃないかな」


このままギスギスした雰囲気で今後の学校生活は送りたくない。そう思った奏は提案をする。自分も相手も自分自身が悪いと思っているのなら、いっそのこと互いが悪かったとしてしまえば、早く事が済む。


初めはキョトンとしていた稜だったが、そんなんで済ましてもらえるのなら寧ろありがたみすら感じてしまう。勿論了承し、今回の件は幕を閉じた。


「いやー、良かった良かった。実は僕ちょっと雨夜くんと仲良くなりたかったから、一時はどうなるかと思ったよ」


仲良く……。日本語を間違えているのではないだろうか、この男は。ろくに会話も成立しない稜と仲良くなりたいとは、全く世の中は広い。


「調子に乗んなチビ」


「チビ!?」


奏と稜の身長差はピッタリ十五センチ差。少し背の高い女子生徒とほとんど同じくらいの身長である奏がチビなのは頷ける。


容赦なくコンプレックスを馬鹿にされ、奏は目に見て分かるほどしょんぼりとする。その様子を横目で見た稜は、傍から見ればとてつもなくくだらない件で謝りに来てくれたことも含めて、一応悪い奴では無いと感じたようだ。


「皐月だったな」


「皐月林だよ」


「お前のことは嫌いだが、まぁ勝手にすれば良い」


「あれ、聞こえてないのかな。今はディスっても問題無いと思ってる?」


それはオッケーということで良いのだろうかとも思ったが、稜は稜なりに罪の意識も芽生えていた。此処で断ってしまうほど薄情者ではない。申し訳ない気持ちを抱えながら、渋々了承した。

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