109:魔女からのお誘い

 ぜんぶ芋のせいだ。


「おうう……えうう……」


 荷台の幌から頭を出したウツキのえずく声が、ゴロゴロと舗装された街道を走る車輪の音に交じっている。「ロリがゲロ! ゲロリりす!」とキーキーはしゃぎながらウツキの尻をぱしぱし叩いていたタミコだが、反撃も反論もないのを見て嗜虐心よりも憐れみが勝ったようだ。今は甲斐甲斐しく酔っ払いの背中をさすっている。


「ほれ、ふつかよいにはドングリりす」

「ゴリゴリ」


 苦いのですぐに吐き出される。


「ちっちぇえ姉ちゃんよお、もうちっとで着くかんなあ。荷台で吐かんでけろなあ」


 御者台で馬車ならぬダチョウ車を操っているのはリクギ村の村長、カヤ・マツコだ。彼女自身もスガモで諸々用事があるとのことで、ダチョウ車に乗せてもらうことになった。


 リクギ村に着いたのは昨日の昼頃だった。実際の時間より何十倍も濃厚な体験を経てきた愁たちには実感はなかったが、カヤたち村人やクラノたち駐留中の狩人衆にとっては愁たちが一日足らずで戻ってきたことは驚きだったようだ。


 バフォメットのコロニーはすでに壊滅していること。ボスは愁たちが退治したこと。だが壊滅から逃れた残党は少なくないようで、今後も警戒が必要なこと。四階の危険なトラップの存在など、一通り彼らに報告したあと、愁たちは狩人用の小屋で倒れるように眠った。すでに疲労と眠気がピークだったのだ。


 目を覚ましたら西日が綺麗だった。村人たちの「ぜひ祝宴を」という声もあり、その日のうちにスガモに帰還することは諦めざるをえなかった。芋焼酎を片手に引き止められたら、王様に友を人質にとられた男でも「友よすまぬ」となるだろう。あの男スケ管ガバガバ説。


 というわけで、夜間警備に就いていない老人たちとともに酒宴が開催されることとなった。


 死地から帰還したばかりの戦士たちを骨抜きにせんばかりの勢いで、たくさんのおいしそうな料理が並べられた。カヤ手製の漬け物、すいとん汁、だし巻き卵。じっくり煮込まれて柔らかホロホロになったバフォメットの時雨煮。そして今朝とれたてグラコスのタコ刺し、タコわさ。


「あっさりふうみ! やさいホクホク、とりにくやわらか! ダシのうまみがしろいのにしみしみ! すべてがほおぶくろのなかでチョーワしてる! ううう、うまたにえぇんっ!」


 タミコはお待ちかねのすいとん汁のお椀に顔を突っ込んでべちゃべちゃになっていた。確かに絶品なのだ。根菜も練り粉もほどよい柔らかさに煮込まれ、鶏の脂はさっぱりとしている。仄かに生姜の香りがして食欲増進、無限にいける。付け合せの漬物やおにぎりにも合う。ノアがレシピを請うたのもうなずけるクオリティーだった。


 「村の恩人」「救世主」と老人たちに持て囃され、代わる代わる酒を注がれ。

 楽しくなったジジババによる謎の歌の大合唱が始まり、前々村長による高らかな村の歴史講座が始まり。

 泥酔したウツキが男衆を誘惑しはじめ、任務を交代して顔を見せに来たクラノら童貞狩人を誘惑しはじめ。


 愁は【不滅】のおかげで酩酊したりはしない、多少酔ってもすぐに体内のアルコールが浄化される。だから日に焼けたしわがれ顔をピンク色に染めた老人たちと偽ロリが繰り広げる痴態を冷めた目で観察することができた。


 愁自身に変な気は起こっていない、つまりウツキは【魅了】を使っていないようだった。それとなくボディータッチをし、的確な相槌と絶妙な感嘆詞で相手を乗せる。上目遣いで蕩けた視線を送り、甘い声を投げかけ、熱い息を相手の肌に届かせる。長年に渡り積み上げてきた経験とたゆまぬ努力、そして彼女自身の素養をぎゅうっと凝縮させたかのような手管。つまり菌能に頼らずともウツキはウツキだった。


 その毒牙を向けられたクラノらがもじもじしはじめ、男どもを侍らせてすっかりご満悦のウツキがゲスい笑みを隠さなくなってきたところで、愁もさすがにストップをかけざるをえなくなった。彼女の【魅了】が効きづらいらしい年齢とはいえ、あのビッチなテクニックの前ではいたいけなさくらんぼなど骨抜きにされてしまう。


 その恐ろしさを事前に知ることができたのは愁にとって僥倖と言えた。さくらんぼでも初見でもないから今後は付け入る隙は与えないはずだ。きっと。


 そのまま日付が変わる頃まで酒宴は続き、翌朝。


 【自己再生】も【毒耐性】も持ち合わせていない偽ロリ四十八歳は、前夜の所業の報いを受けるかのごとく、二日酔いによる頭痛と吐き気に苦しむ羽目になった。それは昼になっても回復せず、今はダチョウ車による揺れで追加のスリップダメージを受けている。


「だって……何年ぶりだったんだもん……お酒も男も……しかもあんなチヤホヤしてもらえて……」

「単に調子乗って本性剥き出しになっただけに見えたけど」

「ジジババどもも喜んどったでなあ。これでようやくヤギザルの被害も収まるだろうってなあ。ほんにアベさんたちのおかげだべなあ」

「そうっすね、バフォメットのほうは……」


 だが、心配の種がすべて取り除かれたわけではない。そのあたりはアオモトたちと話をしておく必要がある。そうしているうちに、堀と壁に囲まれたスガモの街が近づいてくる。

 

 

    ***

 

 

「……バフォメットコロニーの裏で、そんなことが……」

「……魔人の〝眷属〟の胞子嚢、それを操るならず者集団ねえ……」


 狩人ギルド営業所、スガモ支部。


 応接室で愁たちの向かいに座る支部ツートップ――アオモトとシモヤナギは、そろって神妙な面持ちをしている。並んでみると目元がちょっとだけ似ているように見えるのは、二人が姪っ子と伯父という血縁関係だと聞かされたからだろうか。


 とりあえずここまでの経緯を話し終えた愁は、内心ヒヤヒヤしつつお茶を口に含む。隣にちょこんと座るウツキも顔全体から緊張がにじみ出ている。一方タミコは空になったお茶請けのカゴにゆったり寝そべっている。ビスケットを詰め込んだ頬袋は限界まで膨らんでいる。


 スガモに到着してすぐには支部に向かわず、小一時間ほどウツキと打ち合わせを行なった。ギルドにどこまで正直に報告し、なにを隠しておくかということだ。


 まず第一に、サトウのことは内緒にしておく。彼自身とウツキの要望で、愁としてもそれは了承している。今回の件とは直接的には関連がないし、話せば無用にこじれるからだ。合わせてウツキがサトウの弟子であることも秘密だ。


 また、魔人絡みの情報についてもそのまま正直に打ち明けるわけにはいかない。オウジでの魔人との邂逅はギルド総帥から直々に口止めされているし、「黒い胞子嚢=魔人の〝眷属〟の胞子嚢」というごく一部しか持たない知識をそのまま披露してしまえば余計な疑いを持たれることにもなる。


 とはいえ、新たな魔人出現の可能性については、それを自分たちの都合だけで隠しておくわけにもいかない。スガモ市やリクギ村だけに留まらない大きな脅威にもなりうるのだ。


 そういった事柄を、隠したい部分はぼかしつつ、必須の部分はきちんと報告する。そのへんの塩梅を事前に合わせておく必要があった。チームのブレーンであるノアがいてくれたらそれほど難航しなかったかもしれない。


 そんなこんなで意を決してギルドに乗り込み、アオモト(と勝手についてきたシモヤナギ)へ報告を行なった。大まかには実際に起こったことをそのまま話した形だ。


 バフォメットコロニーの調査に向かい、変異個体のボスを発見。先遣の討伐隊は全滅した模様で、愁たちも思いがけず戦闘する羽目になった。


 偶然その場に居合わせたウツキの力も借りてどうにか仕留めたものの、間髪入れずに謎の集団に襲撃された。〝呪いのナイフ〟とやらに菌能を封じられ、苦戦を強いられたが、メトロのトラップのおかげで無事に逃げおおせてきた。その代わり、彼らを捕まえることもその目的を聞き出すことも叶わなかった――。


「はっ、そんな修羅場にたまたま居合わせるたあ、相変わらず間が悪い女だなあ。ウツキちゃんよ」

「えへへ、まあね。つーか久々だよね、ヘイやん……」


 互いに苦笑いするシモヤナギとウツキ。二人は知り合いのようだ。

 隣町の同業者同士、見た目は親子だが実年齢的にはそう変わらない。顔見知りでもおかしくはないだろう、だが――彼らの微妙な表情からして、愁の目にはなにかもやもやとした過去があるように見える。男と女的なナニカが。


「その黒い胞子嚢とやらだが」とアオモト。「魔人の〝眷属〟のものであるというのは本当なのか?」

「えっと、オウジでギランさんと一緒したときに、そんな話をちょろっと小耳に挟んだだけなんで。真偽というのはちょっとわかんないですけど……」


 多少強引だが、そう言うほかない。あとでギランとも口裏を合わせておかないと。

 ともあれ、これで愁たちが話せることはすべて話した。筋は通っているはずだし、隠し立てした部分も恣意的な思惑はない。

 これで問題ない――はず、だったのに。


「……あの。ちょっといいですか、アベさん?」


 彼女――カイケがこの場にいなければ。


 せっかく別の職員を捕まえたのに、「アベ・シュウ専属の担当は彼女です」と言わんばかりに勝手に選手交代されてしまった。【心眼】持ちである彼女の同席を拒めば疚しいことがあるとカミングアウトするも同じことで、結局愁とウツキは青い顔のまま、しどろもどろ度三十パーセント増で報告せざるを得なくなったのだ。


「私が【心眼】を持っているということは、以前お伝えしたと思います。憶えておられますか?」

「……はい」

「なので……すいません、はっきり言っちゃうと、なにか隠してることがあるんじゃないかって、そういう色に見えたんですけど……」

「……えっと……」


 頭からお茶請けにダイブしたくなる。他人事のようにげぷっと息を吐くデブリス。


「まあちょっと、いろいろありまして……」


 しなをつくってあざとく言い淀むウツキ。なんだか別方向の隠しごとのように聞こえなくもない。


「なんだよ、そういうことか。もういい年なんだからそろそろ自重しろよ、ロリババア」

「ヘイやんより年下なんだけど。クソジジイめ」

「しっかしアベくん、これで晴れて〝スガモ最強の童貞〟卒業か。筆下ろしがそいつって、変な性癖がつかなきゃいいんだけどな」

「全然違いますし童貞でもないです」


 噂はどこまで浸透しているのだろうか。発信源を突き止めて紙面での謝罪と撤回を要求したい。


「伯父さ……シモヤナギ氏、そういう下世話な話はあとにしてくれ。ここはクエストの報告の場だ」


 アオモトはそう言いながらごく自然に、なんでもない風に、そろっとお茶請けに手を伸ばす。自身の腹を撫でようとしたその手をタミコの尻尾がぴしゃっと払いのける。打ち据えられた手を引っ込め、ちょっぴり嬉しそうに頬を赤らめるアオモト。


「えっと……すいません、カイケさんの言うとおりです。ちょっと個人的なこととかで、言いづらいことがあったりして……」


 愁は素直に認める。認めざるを得ない。


「でも……ギルドやスガモ市に不利益になるようなことはなにもないです。そこは誓います、マジで」


 そこに嘘はない。そのはずだ。動揺したらますます疑心を与えてしまう。


「まあ、さっきのは冗談として。お前さんの気持ちはわからねえでもねえさ」


 思わぬ方向からの助け舟。シモヤナギだ。


「大方、お前さん自身の能力の件だろ? お前さんがまだまだ実力を隠してるのはわかってる。菌能か菌性か、それとも俺らみてえな凡人には計り知れねえナニカか。並みの狩人なら百偏は死んでそうな窮地も、お前さんの身に秘めたそのナニカで乗り越えてきたんだろ?」


 思わぬ方向からの図星。核心の部分とは違うがご名答。


「はっ、わっかりやすい顔だなあ。カイケの嬢ちゃんみてえな目がなくても見え見えだぜ? いやいや、別に気にするこたあねえ。真の切り札はギルドにすら明かさねえってのが本物の狩人ってもんさ。かくいう俺だってそうだしな」

「支部代表としてはあまり聞き捨てならないが……」とアオモト。「確かに、個々人の菌能や菌性の内容まではギルドへの申告義務はない。君は面接時に菌能を見せてくれたが、それがすべてでなければならないというルールもないしな」

「はあ」


 偽っているのは菌能ではなく菌職で、それはれっきとしたアウトなので言えない。


「……わかりました」とカイケ。「ギルドや市に不利益はないというお言葉を信じます。というか、信じなきゃバチが当たりますもんね」

「……ありがとうございます」


 若干心苦しさもあるが、そういうことにしておきたい。こういうときにもう少し図太さがほしい。


「いえ、むしろお礼と……それにお詫びも、言わなきゃいけないのは私のほうですから」

「へ?」

「ありがとうございました。無事に帰ってきてくれて、任務を達成してくれて、本当によかったです。それと……申し訳ありませんでした。私が無理にお願いしたばっかりに、そんな危険な目に遭わせてしまって……」

「いや、それはカイケさんのせいじゃないし」

「でも……」

「そうだぜ、嬢ちゃん」とシモヤナギ。「クエストが当初の難易度と違う、蓋を開けたら想定外の危険がやってくる……そんなんは狩人稼業にゃつきものさ。嬢ちゃんだってわかってんだろ? まあ、今回のはそれにしたってハードすぎたかもしれねえがな」

「達人クラスの菌才の少女を含む襲撃者と、菌能封じの呪い……そんな悪夢のような状況では、私を含め並みの狩人など無事に生還することすら至難だろう。疑うわけじゃないが、君たちがそんな窮地を乗り越えたということが信じがたいほどだ」

「まあ、そういう意味じゃ、俺らでよかったかもしんないっすね」

「へ?」


 きょとんとするカイケに、愁は小さく笑ってみせる。


「討伐隊の人たちは残念だったし、俺らもぶっちゃけ死ぬかと思ったけど……結果的にこれ以上の犠牲者を出さずに済んだわけだし。今回もカイケさんのグッジョブ! なんじゃないっすかね?」


 以前の彼女自身の言葉にかぶせるようにそう言うと、カイケはぽっと顔を赤らめ、目を逸してしまう。思っていた反応と違って戸惑う愁。


「おいおい」シモヤナギがにたっとする。「うちの看板娘をたぶらかすたあ、ルーキーのくせに慎みってもんがねえんじゃねえか?」

「え、あ? いや別に、そういうつもりは」


 慌てて首を振る愁。まさか、こんなゆるふわ美人をどうこうなど、元洞穴暮らしの原始人には恐れ多い。そんな風に意識してしまうとそわそわ不可避。しーしーと歯クソをほじっているデブリスでも見て落ち着こう。


「アベシューはドーテーのくせにヤリチンりす」

「タミコ黙ってろ」

「メトロでもあたしの尻を撫で回すような目で」

「ウツキ黙ってろ」

「まったく、ふしだらな話だな」とアオモト。「君のところにはもう一人女の子がいただろう? ウツキ氏といい、手当り次第に粉をかけるような真似は感心しないな。スガモでは重婚は認められていないし……そうだな、しかたない。タミコ氏は私が娶ろう」

「意味がわからない」

「へっ! あたいをヨメにしたきゃ、ちったあそのへにゃテクをみがいてくるがいいりすよ! ……ああっ、こいつこのまえよりうまくなって……こんなはずじゃあ……うくぅっ!」

「うくぅっ! じゃねえよ」


 話が逸れたのでティーブレイクを挟んで軌道修正。キノコ緑茶うめえ。


「それにしても――」とアオモト(肌ツヤツヤ)。「〝眷属化〟の能力を持つ謎の集団か……にわかには信じがたいが、本当に魔人が現れたんだろうか……」

「ひとまずですが」とカイケ。「魔人に関しては調査を進めるとして、現時点ではっきりしている部分だけコマゴメ支部にも伝達して、リクギ村の警備を強化したほうがよさそうですね。バフォメットの脅威が去ったとはいえ、今度は村が襲われないとも限りませんし」

「もちろんスガモの警備もな。本部からも応援を要請して、近隣のメトロも捜索しよう。生誕祭が間近に迫った大事な時期だしな、可能な限り憂いは断っておかないと」


 壁掛けの日めくりカレンダーに目をやると、今日が七月七日、七夕か。

 生誕祭は今月二十六日開催と聞いている。もう二十日を切ったわけだ。


「なんか物騒な気もしますけど……中止とかにはならないんすかね?」

「もちろん市長にも通告はするが……どうだろうな。その襲撃者の存否について疑われるようなことはないと思うが、そいつらがスガモを狙っているという確信でもない限り、警備体制の強化で対応する流れになりそうだ」

「そいつらの身元について、なんか他に手がかりはねえのか? 何者かわかりゃあ、そいつらの望みってやつも見当がつくかもしれねえ」


 愁はウツキと顔を見合わせる。


「あたしの勘だけど、東側出身ってのは間違いないと思う。あとは……たぶん自由民だろうね、どこかの集落の孤児とか?」

「なにもわからねえのと同じだな、それだけじゃ」

「『いとわじゅ』って、いってたりす」


 一同の目がお茶請けに向けられる。タミコがカゴに寝そべって頬杖をついている。


「タミコ、なにそれ? いとわじゅ?」

「わかんないりす。あのグラサンヤローが、アベシューをうとうとしたときにブツブツいってたりす。いまおもいだしたりす」

「なるほど」


 いとわじゅ。なんだろう、「糸」? 「糸はジュ……」?

 シモヤナギがどかっと背もたれに身を預け、口元に手を当てて黙りこくる。なにかを思案するかのように。


「……なんかわかったんすか?」

「……いや、どうかな。昔どっかで聞いたようなフレーズだったんでな……」


 いつになく歯切れが悪い。シモヤナギ自身も記憶の引っかかりに戸惑っているようだ。


「トロコって娘の話を信じるとしたら、あいつらの目的は『特定の個人への復讐』だと思います。どこの誰かもわかんないけど、スガモが直接標的になるようなことはないのかも……と思いたいっすけど……」


 ――それでも嫌な予感が拭えないのは、自分たちが巻き込まれた当事者だからだろうか。


「……君の懸念は理解できる。実際にそいつらと相対したのは君たちだけだしな。とはいえ……謎の集団の背後にちらつく魔人の影、か……正直私でも信じがたいところだし、果たして市議会がどこまで真剣に聞き入れてくれるものか……」

「そっすよねえ」


 魔人なのか、それとも魔人に類する能力を持つ何者か。どちらにせよ、ギルドや都庁を含めた本格的な調査と対応をお願いしたいところだ。どちらの組織も上層部はオウジでの一件を把握しているはずだから、そう無下にはしないと思いたい。


「ともあれ、今年の生誕祭は例年になく各都市各トライブの重鎮を多数招待している。まさにスガモの威信をかけた祭りになるわけだ。市長としてもおいそれと中止の判断は下せないだろう。開催の是非については今後も市長や市議会と相談するとして、市の警備に当たる我々としてもいっそう気を引き締めないとな」


 愁はうなずく。うなずくことしかできない。うまくまとめられてしまったが、どちらにせよこれ以上自分たちにできることはないのだ。ギルドや都庁の判断に任せるしかないだろう。


「とまあ、クエストの件は今後も引き続き、ということで……」


 こほん、と小さく咳払いするアオモト。


「大変なところから帰ってきて早々、こんな話をして申し訳ないんだが……実はアベ氏、君に一つ頼みがあるんだ」

「へ? また新しいクエストっすか?」

「いえ、そういうわけじゃありません」とカイケ。「今回の件もありますし、しばらくはこちらからクエストをお願いすることはないと思います」


 アオモトをいじめた件の禊は済んだようだ。ノアが帰ってくるまでは市内でゆっくりすごしたい。ところだが――。


「じゃあ、頼みってのは?」


 シモヤナギがまたにやにやしはじめる。


「――隣町の偉大な魔女さんからのお誘いさ、ゴールデンルーキー」

「は?」


 ひゅう、と隣でウツキが奇妙な喉の鳴らしかたをする。顔が引きつっている。


「……まさか……」

「なんすか? 魔女? え、怖い」

「世俗に疎いとはいえ、〝コマゴメの魔女〟さえ知らないのか。さすがはアベ氏だな」

「あたいはしってるりすよ」

「嘘つけ」


 もちろん褒め言葉ではないことはわかる。そして先ほどの件以上に嫌な予感がしている。


「では、御前試合については?」

「あ、えっと……アレっすよね? 生誕祭の前日にやるっていう、狩人の試合?」


 御前とは都知事のことだ。その人の前で、スガモ所属の狩人と他所の狩人が一対一でぶつかり合うスモー大会、もとい菌能ありのガチンコ決闘大会だ。

 前日祭の最大の催事らしく、出場する狩人のラインナップによっては生誕祭以上に盛り上がるという。試合の勝敗を当てるトトカルチョも行なわれるとのことで、情報源である大家のパン屋の主人は結びの一番(メインの最終試合)に小遣いを注ぎ込むのが毎年の楽しみなのだそうだ。


「スガモ三十周年ということで、礼年以上に著名な狩人を招待することになってね。全部で七組七試合、かくいう私も出場することになっている」

「俺はパス」とシモヤナギ。「ルール上〝狙撃士〟にゃあハンデがきつすぎるんでな。おとなしく会場の警備に回るさ。あー残念無念」


 半笑いで言われても無念さは伝わってこない。


「えっと……なんで今その話?」

「いきなりこちらの都合を押しつけるようで大変申し訳ないんだが、君にも出場してもらいたいんだ」

「やっぱり」


 嫌な予感的中。


「んで、その相手が〝コマゴメの魔女〟って人ですか」

「おお、学習してるじゃねえか、ルーキー」


 そしてきっと、その魔女は有名な狩人なのだろう。達人級で二段とか三段とか。わかっている。


「今大会の結びの一番にふさわしいゲストとして、彼女に声をかけたんだ。先方からは『噂のゴールデンルーキーが相手してくれるなら』という返事をもらっている」

「わお」


 ご指名ありがとうございます。光栄すぎて身に余る。


「え、待って待って。結びの一番って、大トリ……?」

「ああ、当日の最終試合、メインマッチだ」


 一気にのしかかってくるプレッシャー。そんな大舞台など平成時代にも一度として経験してきていない。中継開始からさんざん流される煽りVTR、逐一報告される控え室での様子、今か今かと待ち望む観客……そんな大晦日の格闘技イベントのような想像をして一気に気が重くなる。


「というか、スガモで彼女と渡り合える可能性があるのは君だけなんだ。我々としてもぜひ君に出場してもらいたい……もちろん勝敗に関わらず報酬ははずむつもりだし、君の望むものを最大限融通させてもらうつもりだ。引き受けてはもらえないだろうか?」

「相手はあの〝コマゴメの魔女〟ですが……」カイケが言葉を引き継ぐ。「私たちスガモ支部としても、スガモの狩人の実力を世に知らしめるチャンスなんです。正直、他の支部から結構なめられたりしてて、組合員さんたちにも……アベさんのお力をお貸しいただけませんでしょうか?」


 アオモトとカイケがそろって頭を下げる。しばらく部屋が静まり返る。


 愁は返答に詰まり、思わず周りを窺う。シモヤナギは頬杖をついてニヒルに笑っている。タミコは自分の出番だとテーブルの上でウォーミングアップを始めている。そして――ウツキと目が合うと、彼女はぶるぶると必死の形相で首を振っている。


「……あの、その前にいいっすか?」

「ああ、なんでも訊いてくれ」

「その魔女さんって、どういう人なんすか? どんくらい強いんすか?」

「……〝聖銀傀儡〟……」


 答えたのはウツキだった。こわばった声でぽつりと。

 アオモトとカイケがうなずき、説明を継ぐ。


「……ああ、〝コマゴメの魔女〟は俗称みたいなもので、狩人としての正式な二つ名はそっちだ」

「〝聖銀傀儡〟のハクオウ・マリア……コマゴメ支部最強の狩人、レベル78。現役最高位の四段にして全国狩人ランキング六位のレジェンドです」


 愁は晴れやかな笑みとともに顔を上げ、ぴしゃっと膝を打って答える。


「無理っす」

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迷宮メトロと糸繰りの狩人 佐々木ラスト @sasakilast

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