愚息(KAC4:紙とペンと○○)

モダン

日曜日

 穏やかな昼下がり。

 自宅に持ち帰った資料をチェックしていると、珍しく息子が話しかけてきました。

「忙しいの?」

「いや、別に暇潰しみたいなもんだ。何か用か」

「親父は家にいても仕事ばかりしてるから。なかなか世間話もできないじゃん」

「そうか。そりゃ悪かったな。じゃ、これ、もうやめて片付けるわ」

「あ、いい、いい。そんな真っ正面から向き合うような話もないし……。

 ただ、ちょっと酒付き合ってほしいだけ」

「昼間だぞ」

「素面で親と話すってのもなんだかさあ……」

「わかったわかった。まあ、たまにはいいかもな」

 私がそう言うと、息子は冷蔵庫から500mlの缶ビールを2本持ってきました。

「グラス使う?」

「いらないよ。けど、何かつまみになるようなものも用意してくれ」

「うん」


「何かあったのか」

「そう言われると困るんだけど……。じゃあ、まず、最近の話ね」

「ばあちゃんに金せびったんだろ」

 息子はぎょっとした顔を見せました。

「なんだ、もうチクられてたのか」

「結局、金は渡さなかったからって心配してたよ」

「やっぱ、自分で何とかしなきゃダメかと思ってさ」

「で、水商売の女とは別れたのか」

「別れるもなにも最初から付き合ってなんかないし。ただ、俺がのめり込んでスナックに通いつめただけのことだよ」

「それが悩みなのか?」

「いや、もう何もかもだよ。こんなこと聞くのおかしいけど、親父から見て俺ってどうなの」

「その質問の意図自体がわからないなあ。今のお前は自分に自信がないんだろう。

 そこで自分がクズだってはっきり自覚したいのか、環境や境遇に阻害要因があると思いたいのか……」

「何言ってるのかわかんない」

 少し不機嫌そうな息子はすでにビールを飲みきっていて、また、冷蔵庫から2本のビールをとってきたのでした。

「おいおい、俺はまだほとんど飲んでないぞ」息子はビールを2本とも自分の前に置き、こちらを見ました。

「両方、自分用」

「ああ、そうか」

 私はせっかくの休みを無駄にしたくないなあと、ぼんやり考えてました。

「親父は自信をもって生きてきたんだろ?そんで、自信を持ったまま死んでいくんだろ?そういうのは遺伝しないものかなー」

「そういうことか。ふうん、そんな風に見られてたとは意外だったな……」

 うつむいてた息子が顔をあげます。

「え?何か違ってた?」

「俺はてっきりダメな親父に愛想をつかしてたのかと思ってたよ。

 仕事ばかりに追われて何もしてやれず、父親として認めてもらえてるのか不安だったし。そんな仕事人間なのに出世もできず、自分自身情けなかったし。

 すべてあきらめて、開き直ったのはつい最近だなあ。

 それでも、仕事は嫌だし会社にも行きたくない。それが、本当の姿だ」

「へえ。そうなの。じゃあ俺とおんなじじゃん」

「まあな。でも、違うのは毎日幸せを感じてるところかな。家族がいて、食事ができて、好きなときに風呂にも便所にも行ける。夜は快適な環境で寝ることもできる。そんな当たり前のことがさ、本当に嬉しいと思えるんだ」

「好きな人と結婚して家庭があるから?」

「そんなんじゃない。この歳になると亡くなる人や苦労してる人が身近に現れてくるし、自分自身、体調を崩したり老化を感じたりするだろ。そうすると今の自分は幸せなんだって実感できるもんなんだ」

「ん?

 とすると、俺は充実してる連中と自分を比較してるから落ち込んで、親父は自分より不幸な人と比べてるから喜んでるってこと?」

「全然違う。でも、俺にはこれ以上うまく説明できないよ。

 とにかく結論としては心の持ちようって話なんだけど、それは自分でコントロールできるようなもんでもないんだよな。

 お前が、どこの女を好きになろうがあきらめようが、借金作ろうが貯金しようが、事業を起こそうが会社を首になろうが、そんなことはどうでもいいんだよ。そこで落ち込もうが苦しもうが、それもかまわない。ただ、その時、残りの人生をどうやって生きるか、そこにフォーカスして目を背けるなってことだ」

「命を大事にしろと」

「そう単純でもないだろ。時には命より大切だと思えることもあるんだし」

「んー。親父の話は難しすぎてちっともわかんないよ……」


 沈黙が続くので、気になって息子を見るとテーブルに突っ伏して寝ているようでした。

 30過ぎてても、やはり子供は子供です。

 こいつも今、辛い時期なんだろうなあと思うと愛しさが込み上げてきます。

 私は起こさずに、先程の作業を続けることにしました。

 伝票をめくって計算したものを書類に記入します。最終的には他の資料もまとめてパソコンのフォーマットに入力するんですが、伝票計算や下書きにキーボードは使いません。

 息子が小さい頃はよく電卓のボタンを押したがったり資料に落書きをしたりするので、怒鳴り散らしたものです。

 考えれば、息子はもう、あの頃の私の年齢に近づいています。

 何もおかしくはないのですが、不思議な感情がわき起こってくるのをおさえることはできませんでした。


「あれ。俺、寝ちゃってたね」

「一気に飲みすぎなんだよ。あっちに行って寝てな。どうせ用事なんかないんだろ」

「こうしてるとさ。何だか昔を思い出しちゃって……」

 私は作業を続けながら、先を促しました。

「何を思い出すんだ?」

「紙とペンと電卓の音。邪魔して怒られたなあって……」

「また、怒られないうちに早くあっちに行って寝ろ」

「はいはい。……あのさ」

「ん」

「付き合ってくれてありがとう」

「ああ」

 私は何故か目が潤んでいました。

 そして、幸せになってほしいなあと、しみじみ思うのでした。

 久しぶりに、嬉しい日曜日を過ごすことができそうです。

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