第16話「開演前」

「うわぁ、中もすごい豪華ですね。というか、よく予約取れましたね」

 スタッフの誘導に従って席に向かう途中、堀合が思わず感嘆の声をもらした。


「意外とすんなり取れるんですよ。まあ、来る人が限られてるんでしょうね」

 会場は待合同様に控えめな明るさに設定されており、天井に設置された多数のシルクハット型のシャンデリアが、客席に過不足ない光をもたらす。


 ステージ正面に六人掛けのテーブル席が八卓、二列になってセットされており、これらが自由席だ。それ以外は指定席で、テーブル席の左右端や後方、あるいはステージの左右にも多数用意されている。

 指定席よりも自由席の方がよりステージに近いが、テーブル席は六人いっぱいに座ると狭い。また、他の客との距離も近くて落ち着かないので、少し値は張るが、ゆとりのある指定席を選ぶのが賢明だろう。会場はさほど広くないので、どこの席からでもステージはよく見える。

 

 今回、俺は自由席の後方に位置する二人用のペアシート席を確保していた。

 ボックス席と比べると他の客と距離が近いが、テーブルはそれぞれ別になっている。今回は偶然にも一番端の席だったので右側にひと組別の客がいるだけで、ほとんどボックス席に近いような落ち着いた空間だった。さすがに初デートでいきなりボックス席というのは、今回だけで落としてやります感がありありと露呈しているようで気が引けたが、良い席に当たったものだ。堀合を奥に案内し、俺がその横に座る。


「お酒は飲まれないんでしたっけ?」

 スタッフから渡されたメニュー冊子を広げながら訊く。

「そうなんですよ。下戸ではないんですけど、お酒の味が好きじゃなくて。お子様なので」

「いやぁ、飲まないほうがいいですよ。健康的だし、金かからないし」

「あっ、でも私に構わず飲んでくださいね。遠慮なく」

 

 コットンクラブはライブレストランなので、ライブ前はもちろん、ライブ中でさえも飲み食いする人がほとんどだ。少なくとも、ドリンクは一人ワンオーダー以上しなければならない。

 ひと通り注文を終えてから約十分で、グラスの白ワインとカモミールティーが先に運ばれた。


「仕事のほうはどうですか?」

 何を話そうかと思っていたところで、堀合がティーカップに手をかけながら尋ねる。

「そうですねぇ……まあ、入社当時よりは慣れて、いろいろやりやすくなりましたね」

 たいしてやりがいも感じないつまらない仕事だと言いたいところだったが、同い年とはいえ先輩にあたる人を前にして、ダイレクトに毒をぶっ放すほどには性格がゆがんでいなかったことに安堵を覚える。

「仕事早いですもんね、大賀さん。皆さんすごいなって言ってますよ」

「いえいえ。上がわかりやすく仕事振ってくれますから。堀合さんにも、入社した頃にいろいろと教えていただいて感謝してます」

 それほど厄介をかけた記憶はないのだが、いくら俺が器用貧乏な人間であっても入社したての時は業務の流れや動きがわからないので、基本的な仕事内容を堀合から教わった。

「いえ、とんでもない」

 そういえば俺は入社して五年経つが、彼女のように新人へのレクチャーを任されたことは一度もなかった。上司たちが、なかなかどうして俺の性格をよく把握している証拠だ。


「お待たせいたしました」

 しばらくして、本日のパスタ(秋刀魚さんまのペペロンチーノ)が二人分運ばれた。一人分が二千円弱もするわりに量は少ないが、この手の店ではよくあることだ。味はなかなかしっかりしており、塩気が強すぎず食べやすく、白ワインにも合う。

 

 デートにおいて、食事中にどの程度会話を要するかという点については、学生時代から俺の中で難題としてぶら下がっていた。最近はそんな機会がなかったので考えることもなかったが、数年ぶりにそういう状況に直面した今も、依然として難題は難題のままだ。

 俺としては、飯を食うときは目の前の料理に集中すればいいと思っているので、余計な会話はさほどしなくても問題ないという立場なのだが――もちろん、美味しいねとか、いい場所だねとか、それぐらいのコメントは俺とて自然発生的に口にしている――、人によっては、どうもそれでは配慮なり誠意なり心遣いなりが欠落していると思い込み、それだけで相手に対して悪印象さえ抱くようなケースも少なくはないようだった。

 

 学生時代にデートした女の中には、俺のそういうところが合わないとか、ひどい時には気の利いたトークができない男はつまらないとかほざく奴もいたものだった。

 俺自身、確かに女をタイミングよく喜ばせられるような諧謔かいぎゃくに富んだコミュニケーション力は持ち合わせていないからその指摘がまったくもって的外れかというとそんなことはないが、それを言うならお前のほうは、その場を楽しくできるような創意工夫や努力はしているのかと聞きたくなる。そうやって文句を言う奴は、たいてい自分は求めるだけで怠っているんだがな。実際、そう聞いて女を痛憤つうふんさせたこともあった。


「美味しかった。私パスタ好きなんです」

 そんな瑣末さまつなことを思い返している間に食べ終わり、そんなのは結局人によるから考えても仕方ないという結論をまとめたところで、堀合が満足げな表情で簡潔に感想を口にした。

「それはよかった。足りなければ、何か追加しますけど」

「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

 仮に食い足りなくても、首を縦には振りづらいだろうなと感じた。俺は食い足りないので、あとで近所の居酒屋で一杯やることになるだろう。


「もし差し支えなければ、連絡先交換しませんか?」

 うっかり忘れるところだったが、この手順を踏んでおかねば次回誘おうとしたとき、またメールボックス作戦を使わねばならなくなる。

「はい、全然いいですよ」

 “全然いい”という、違和感満載の日本語を使う人の心理がわからないと思いつつ、連絡先(LINE)の交換という目的を達成した。


「そろそろ始まりそうですね」

 スマートフォンのロック画面には、二十時五十八分と表示されている。


 それからまもなくして、ほぼ時間ぴったりにライブが始まった。

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