KAC8 忘れ形見スーベニア

神崎赤珊瑚

忘れ形見スーベニア

 ぼくの生まれた村には一つの噂があった。

 死んだ人間と、一夜だけ話ができると言う。

 その人間が死んでから三周年、丸三年目、同月同日の夜。

 村の外れのやしろに安置された、古いけた銅の鏡に、自分の思いを伝えると、その思いが充分深いものであった場合に限り、しばらく会話をすることができる。とされている。

 もっとも、この噂を村で信じているものはあまりいない。

 子供から青年期に噂になり、壮年になる前には忘れてしまう。そんな類の日本のどこにでもあるちょっと不思議な話でしかなかった。



 村上春呼はるこが死んだのは、僕も彼女も高校三年生の時の夏のことだった。

 死んだ――というか、殺されたのだ。

 犯人は村上流行ながれとされている。同じ歳の彼女の従兄だ。

 旧盆に入る直前の八月十一日。

 彼女が一足先に十八になり、ぼくがあと追いつく直前のことだ。

 両親が公民館での地区の寄り合いに出ており、春呼と弟の二人だけが残った家に、凶器をもった流行が押し入り、春呼をめった刺しにして殺害した。致命傷は鎖骨下の背中に抜けるほどの刺傷で、失血死とショック死の判断はできなかった。弟は、押し入れに隠れていて無事だった。

 流行は、その後、裏手の川で自殺を図ろうとしているところを発見されるが、逃亡し警察は見失い、数時間後に二キロ下流で水死体で発見された。

 当時全国紙にも載った事件のあらましは、よく知られていた。閉鎖的な辺縁の地の陰惨な事件とテレビで面白半分に煽られたりもした。

 テレビは、彼女の白い夏制服が赤黒く染まった絵が大変気に入ったようで、売り物になるだろうと、繰り返し繰り返し繰り返し流していた。

 うかつな芸人がSNSで余計な発現をして炎上したりもしたので、記憶に残っている人も多いだろう。

 しかし、ぼくは、もう少し細かい事情を知っている。



 都会に出るとすっかり忘れてしまうが、田舎の夜は深い。

 星明りでも明るい。月明かりなど本当に道を照らしてくれる。

 そのかわり、月に雲がかかるだけで、すぐに闇へと全てが溶け出す。

 ぼくは、あの死者と会話ができるという噂の社へと向かっていた。

 生まれてから東京の大学へ進学するまでの三年前まで住んでいた村とはいえ、やはり人気のない場所を深夜歩くのは怖い。

 田舎と広い範囲を一言にいうが、ここは本当に文明と自然の拮抗する最前線なのだ。気を抜くと闇に呑まれてしまうかのような錯覚を覚える。

 特に誰と会うでもなく、社へとは辿り着いた。

 鳥居もなく、本殿は朽ちかけ、もはや祭神すら定かではないが、最低限の体裁だけは村の有志が手を入れて整えている。

 人の手による掃除が行き届いた本殿の入り口には、真新しい盛り塩もあった。

 鏡はすぐに見つかった。特に飾られることもなく、無造作に部屋の端に置かれた桐箱の中だった。

 確かに緑錆の吹いた文様はそれなりに手が込んでいたが、教科書で見たようなものと比べるとかなり質素で、考古学的な価値はあまり高くないことは素人の目にもなんとなくわかる。

 ぼくは、少し気が抜けてしまった。

 今夜ここに誰も居ないということは、噂を信じて彼女と話して事件の真相を知ろうとした者がいなかったことを意味する。

 鏡を取り出し、箱の上にしっかり置き直す。

 ぼくは、腹の底に息を入れ、気持ちを改めると、始めることにした。

「ぼくは、春呼、村上春呼ともう一度話がしたい」

 大声でこそないが、しっかりと、意思を込め、鏡に向かって言う。

 ここに至って半信半疑ではあったが、それでも、春呼と話がしたいというぼくの思いは本物だった。



 春呼と僕との関係は、ちょっと一言で言い表すのは難しい。

 同じ村の同じ集落の二軒隣の家で、彼女は七月、ぼくは同年の八月に生まれ、親同士が仲が良かったので、小さい頃からよく遊んでいた。

 小さい頃のぼくは、春呼の母親が大好きだった。他県から結婚してやってきた人で、あまりこの村に居ない上品さをもった人だった。

 とはいえ、弱い人では全くなく、神経質で言いたいことを飲み込んでしまう彼女の夫とは対象的に、意思をはっきり示す優しく強い女性で、その頃のぼくは、春呼の母親かーちゃんと結婚する、と良く言っていたらしい。

 春呼は、小さい頃からとても闊達な少女で、小学校に上る前から、野外で宝物を探すのが好きで、一緒に野山を暗くなるまで走り回った。宝物とは、昆虫であったり、魚であったり、あけびの実であったり、誰かが山中に落としていった猟銃の色とりどりの空薬莢であったり、価値が高いものではないが、あの頃は本当に美しく感じたし、とても大切なものだった。

 その後も成長に伴い、思春期などで多少の感情の諍いもあったものの、概ね仲が良く、彼氏彼女という関係からは遠かったが、友達関係とも姉弟関係とも少し違う、お互い欠かせないわけでもなく過干渉は避けるが、必ずそばにいる、という関係が続いていた。



 彼女が殺された日、その数時間前、ぼくたちは喧嘩別れしていた。

 とは言っても、たまにあることで、購買に売りに来る村のパン屋の最後の一個を譲らなかっただの、教師の機嫌が悪いことを教えてくれなかっただの、とてもくだらないことで言い合いになり、お互いへそを曲げてしまう。でも、すぐにどちらかが謝るなりフォローを入れてすぐに仲直りするはずだった。

 その日も、夕食が終わった後、親が出かけるというので、彼女に一言いうためにぼくも徒歩で家を出た。

 彼女の家には、まだ車があった。うちの親と同じく、彼女の両親も、

これから寄り合いに向かうのだろう。

 彼女の家から出てくる流行さんにあった。彼女の従兄だ。

 会釈して声をかけようとすると、青ざめた怯えたような顔で、走って行ってしまう。

 その時、なにか予感があったのだと思う。

 心拍数が上がっていた。少し、耳元にノイズが入る。

 元々、彼女の家に入るのに遠慮するような仲ではない。

 そして、血の海に沈む、大切な幼馴染の遺骸を見つけてしまった。

 僕は、おそらく第一発見者だったんだ。



 古い社の中の蒸し暑い空気に、冷たい風が一陣だけ、流れる。

 鏡は光ったりしない。ただ、少しだけ震えて落ち着く。

「――、く、ん? ――」

 胸の底が凍えるように涼しくなり。

 それでも、三周年。満三年。記憶は薄れるかと思ったけれども、ずっと忘れられなかった声が聞こえた。

「どう、なってるの? これ」

 確かに、春呼の声だった。

「大丈夫、苦しかったりしない?」

「うん、それは大丈夫だと思う」

「どんな感じ」

「たぶん、わたしは、死んだんだよね。うん、全部覚えてる。わかるよ。

 ずっと暗い水の中で眠ってたけど、何かに呼ばれて、ちょっとだけ水面に顔出してる感じかな」

「どうしても、声が聞きたかった」

「うん、わたしも。

 でも、これそんなに長くは続かないと思う。

 とても不自然で不安定なつながりで、今すぐ切れてもおかしくない」



「わたしの家はどうなったの」

「引っ越した。一応お母さんから連絡先だけは聞いてるけど」

「そうよね。あんなことあったんだからしょうがない」

「建屋ももう取り壊しちゃって更地になってる」

「庭の端にあった柿の木は?」

「あ、それはまだある。

 あそこも、きみんちだったの」

「地所自体は隣の村上さんち。

 でもね、あの木の下にちょっとしたもん埋めたんで、機会があったらこっそり掘ってみて」

「うん。わかったよ。東京に戻る前に見てみる」

 改めて考えてみるまでもなく、非常に異常な状況ではあったが、このままずっと話が続けられたら、と心の底から願う。

「わたしね、十歳のとき考えたんだ。

 幼稚園のときはずっと、君のお嫁さんになる、って口癖みたいに言ってたのに、どうして恥ずかしくて言えなくなったんだろう、って。

 そのときから、思ったこと、考えたこと、全部書いて、昔お土産にもらった綺麗なクッキーの缶に入れて埋めたんだ。

 本当は、読まずに焼いてーってやつなんだろうけど、まあ死んじゃったし、関係ないんで、せめてね、幼馴染の嫌な重荷になってやろうと」

「微妙に変なとこヒネてるの、全然変わらんな」



 キジバトが早朝の声で唄いはじめる。

 山の稜線が、緩やかに色を帯び始めた。

 夜が明けようとしていた。

 それまで、結局数時間話し続けることができた。

 昔のこと。あの時の真意。本当はどう思っていたのか。

「死んでから、やっと言いたいことをちゃんと言えたなんて。

 わたし、本当にばかだ。

 後悔は生きているうちにすべきだね。ホント」

 言葉が途切れる、たかだか数瞬がとても長く感じられる。

 朝でもなお残余する夏の夜の熱気が、まるで感じられない。涼しい。

 もう二度とこんなことはありえないと感じている――それどころか、今の状況すら夢で、目覚めれば全て消えてしまうのかもしれなかった。

 もっと話したいことはいくらでもある。

 でも、この奇跡の最中には必ず明らかにしなきゃならないことがある。

「どうしても聞いておかなきゃならないことがある。

 春呼、きみは、流行さんに

 鏡は一瞬だけ、吸い込まれるような沈黙をし、

「かなわないな。

 たしかに、わたしを殺したのは流行兄さんじゃ、ないよ」



 よかった。

 じゃあ、ぼくの復讐は、間違ってなかった。

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