ラメ入りのペン、私の教科書に落書きされた美しい風景

近藤近道

ラメ入りのペン、私の教科書に落書きされた美しい風景

 私がまだひねくれた性格をしていた、五年前の話だ。


 高校一年生の時、うちのクラスに留学生が来た。

 金髪の少女だった。

 彼女は、とても流ちょうな日本語で挨拶した。


「清水 桜子さくらこです。好きな食べ物はシーフードカレーで、好きなペンはラメ入りの青色のボールペンです。どうぞよろしくお願いします」


 名前、めちゃくちゃ日本人っぽくね?

 って思ったら、彼女には日本人の血が流れているのだそうだ。

 親が日本語を喋るから、それで日本語も普通に話せるのだと桜子は言った。


 彼女は一ヶ月の間、私たちの学校に通うことになっていた。


 新しいクラスメイトの登場は、クラスを騒がせた。

 だけど私にとっては、なんてことのないイベントだった。

 思春期は私の性格をひねくれさせたし、私には目下、物珍しい人間よりも大切なものがあった。


 それは、進路志望のプリントだ。

 どこの大学に行きたいのか書いて提出しなければいけない。

 締め切りは本日。

 っていうか、実際にはもう締め切りは過ぎていた。


 本当は昨日のうちに出さなきゃいけないプリントを、私はまだ提出していなかった。

 担任の先生には軽く怒られて、今日中に出せと言われていた。


 言われているんだけど、いまいち進路を決めかねていた。

 大学がはっきり決まっていないなら、将来なりたい職業なんかを代わりに書いてもいいってことは、プリントが配られた時に言われたのだが、それも込みで私は将来のことを決めかねていた。


 決めかねたまま、また放課後になってしまう。

 逃げようと思ったのに、提出してから帰りなさいと言われて、居残る羽目になった。


 そんなだから、留学生が私の隣の席に座ることになっても、それは私の人生において、どうでもよいことだった。


 そう思っていたんだけども、


「進路志望なんて、面倒くさいよね」

 と桜子は話しかけてきた。


 いや、話しかけてきたどころではなかった。

 彼女はラメ入りの青色のボールペンで、私の進路志望のプリントに落書きしてきた。


「ちょっと、なにしてるの」

 と私は怒った。


 怒ったけど、声を上げただけだった。

 私は一切プリントを守ろうとはせず、そこに海賊船が描かれていくのを見ていた。


 ドクロの描かれた大きな帆。

 海賊船と言ったら連想するお馴染みのそれを、桜子はとてもリアルに描写する。

 細かく線を引いて、船全体が写実的に描かれていくのだった。


「がーっはっはっはー。吾輩は海賊になるのだー。スパーッ」


 桜子は、右手では船を描きながらも左手で葉巻を吸う仕草をする。

 さらに変顔を私に披露した。


「あんた、海賊になりたいの?」


 そう私が聞くと、桜子は鼻で笑った。


「そんなわけないじゃん。絵理栖えりすちゃんは、海賊なりたい?」


 私は首を横に振った。


「いいや、全然」


「だよね。私の夢はねー、秘密だ」


「えっ?」


「本当に大切なことは、口には出さない」


 桜子は一転真面目な顔をして私の目を見つめた。

 冗談を言っているわけじゃないよ、と目で訴えている。

 そのまま桜子は言葉を続けた。


「なぜなら言葉にして空気に触れさせてしまうと、大切な気持ちが酸化してしまうから。そして、口に出さないでも誰かに伝わった時、とても嬉しい気持ちになるから」


 そして桜子は海賊船の続きを描いた。

 海賊船の船長が登場する。

 サーベルを掲げ、もう片方の手で銃を撃っている。

 船長さんは漫画っぽい省略がされていて、よく描き込まれた船と比べると物足りない感じがある。


 だけど桜子は満足そうに、


「よしできた」

 と言った。


「できた、じゃないよ。こんなのもう提出できないじゃん」


 桜子はなにも返してこなかった。

 期待する目で私を見て、うかがっている。


「まぁ、いいや。本当に大切なことは口に出さないものだからね」

 と私は言ってあげた。


 大切な将来の夢って、特にないけども。

 でも桜子の言うとおりだと思い込むことで、私の底にある気持ちが守られるような感じがした。


「よかったぁ。怒られたらどうしようかと思った」


 桜子は安堵の声を漏らす。


「そんならこんなにがっつり落書きするんじゃないよ」


「あはは」

 と気の抜けた笑い声を上げる。


 そして桜子は、


「あのね。私、実は髪の毛、黒いんだ」

 と私に打ち明けた。


「え?」


「お父さんもお母さんも、日本人だから。これは染めてるの」


 綺麗な金髪の髪に触りながら、桜子は悪戯っぽく笑った。

 たったの数分で、私にとって進路志望はどうでもよいことになり、桜子を大切なものに変えられてしまった。



 桜子との思い出は、極めてワンパターンで、だけども濃密だった。


 桜子は、落書き魔だった。

 とりわけ私の教科書に落書きをしまくった。


 教科書を持っていなかった桜子は、いつも隣の席の私に教科書を見せてもらっていた。

 だけど桜子はその教科書に落書きをしていまうのである。

 もちろんラメ入りの青いボールペンで。

 と言うか、桜子はそれ以外の筆記用具を使わなかった。


 桜子は町の景色をひたすら私の教科書に落書きした。


 大きな木箱に、見たことのないような果実や野菜が山盛りに積まれている青果市場。

 海がすぐ近くに見える道には、白くて真四角な建物が天日干しされているみたいに整列していた。

 背の高い教会が奥にそびえ立つ、なだらかな坂道。

 その教室よりちょっと低いけれど、町の全体と海が見渡せる塔。

 風車と、その向こうにある丘に建っている赤い屋根の一軒家。


 ラメ入りのペンで描かれる風景は、どれも光り輝いているようだった。

 こんな素敵な場所が存在していたらいいのに、と思うような。

 桜子が落書きをする様を見ていると、まるで外国に旅行した気分になった。


 だから授業の時間がとても楽しかった。

 授業を聞いているわけじゃなかったけど。

 私は数学や英語を学ぶ代わりに、桜子のボールペンに導かれて、遠いどこかの国を旅していた。


 桜子は様々な風景を落書きして、そして一ヶ月後、私たちの学校を去った。


 彼女はどこに住んでいるのか。

 電話番号は。

 メールアドレスは。


 あらゆる連絡手段を桜子は残していかなかった。

 まるで恥はかき捨ての旅人みたいだったね、とクラスメイトと話した。

 そしてクラスメイトたちの記憶からも桜子は消え去った。



 本当に大切なことは口には出さない。


 私は桜子の落書きまみれの教科書を持って、飛行機に乗った。

 ラメで輝いていた落書きの光景は、実際に目の当たりにすると、太陽の光に美しく照らされていた。

 そして教室で落書きを見ていた時には想像していなかった、心地よい風が吹く町だった。

 一ページずつ景色を追いかけて、見知らぬ町を歩いてゆく。

 その先の丘に、懐かしい香りのする家を私は見つける。


 あれから五年。

 今日、私は桜子と再会する。

 桜子は私と同じように五年分成長していた。

 彼女の髪の毛は本当に黒かった。


 一方でひねくれが直って、前よりも明るい性格になった私は、そのことがよく伝わるように満面の笑顔を彼女に見せた。


「久し振り。桜子」

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ラメ入りのペン、私の教科書に落書きされた美しい風景 近藤近道 @chikamichi

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