紙とペンと恋心

野良猫のらん

紙とペンと恋心

 紙とペンと恋心。


 それさえあればラブレターは書ける。

 それは確かにそうだろう、その通りなのだろう。


 だが――――


「ほーら、手が止まってるぞ。一言目くらいさっさと書いちまえよ」


 オレは何故ラブレターの宛先である本人の目の前でラブレターを書くことになっているんだっ!?!?


 *


 艶やかな黒髪を持つ年上の女性、キョウコさん。

 それがオレの片思いの相手だ。


 オレの家は硝子工房をやっている。

 キョウコさんはそこに弟子入りしてきた若き硝子職人という訳だ。


 若い美空で硝子職人なんて偏屈なものを目指すだけあって、彼女は一般的な女性像から大きくかけ離れている。ガサツだし、男口調だし、ビールとおつまみが大好きだ。


 それでも、オレは彼女が好きだ。

 彼女の笑顔の眩しさも、ふっと真剣な表情を浮かべる一瞬も。

 いつ見ても彼女は美しいひとだと思う。


 そんなオレが彼女にラブレターを送ろうと思ったきっかけは、遂にオレの背が彼女の背丈を越したからだ。これならばオレが彼女の隣に立ってもちんちくりんに見えないだろう。望みがある。

 そう考えたオレは、どうやって彼女に告白したらいいか父に相談したのだった。

 父は「必勝法があるから任せてくれ」と答えた。


 そして……


「へえ、ついこないだ高校生になったと思ったらラブレターねえ。そんなに可愛い子がいたのか?」


 ニヤニヤと笑うキョウコさんが対面に座した状態で、オレはラブレターを書くことになったのだった。

 どうやらオレがラブレターを書きたいと言い出したから書き方を教えてやって欲しい、と父が彼女に頼んだようだ。


 父がキョウコさんに見えないようにオレにぐっと親指を立てる。

 ははーんなるほどね、ラブレターを書くならば本人に聞けば絶対に彼女が喜ぶラブレターが書けるだろう、と。なるほどね……んな状況で書けるわけあるかああああああああああああっ!!!!!!! ほぎゃああああっ!!!!!


 父をどつき回したかったが、父はすぐさま姿を消し、オレは部屋にキョウコさんと二人きりになった。


「ほら、私がどんな女の子もイチコロのラブレターの書き方ってやつを伝授してやるよ。さっさとペンを握りな」


 そしてオレは紙を睨み付けたまま長時間フリーズすることとなったのだった。


 *


 十分後。


「まだ一文字も書いてねえじゃねえか」


 隣に移動してきて便箋を覗き込んだ彼女が、呆れたように叱責する。


「しょうがねえなあ」


 彼女が溜息を吐きながらオレの隣に座る。

 隣からふわりと花のような匂いが香ってきて、心臓が煩く鼓動した。


「まず挨拶を書けって言ったろ。こんにちはでもおはようでも何でもいいんだよ、とにかく書け」


 彼女が隣にいる事実に緊張して頭が働かない。

 指図されるままに一行目に「こんにちは」と書いた。


「よし、よくできた!」


 一行目を書き出したのを見て、彼女がガシガシと乱暴にオレの頭を撫でる。ガサツだ……。


「じゃあラブレターを書く上で大切なことを教えてやる。それは『絶対に相手を怯えさせないこと』と『ストレートに行くこと』だ」


「それは……どうすればいいんだ?」


 彼女の顔を見ないように尋ねる。

 彼女の顔を見てしまったら、紙の上に何を書き散らしてしまうか分からない。


「『突然のお手紙失礼します』って謝るのは必須だな。最初に謙虚さを見せるんだ」


 彼女の言う通りに二行目を書く。


「そんで、相手はお前のこと知ってるか? よく知らない相手ならその次は自己紹介だ」

「いや……よく知ってる相手だ」


 よく知ってるどころか今まさに隣にいる。


「そうか。なら自己紹介は飛ばして、どうして好きになったかを書け」


 どうして好きになったか!? それを本人の目の前で!?

 書けるわけがない!


「あ、書き出す前に注意点を一つ」


 彼女の声がすぐ耳元で聞こえる。距離が近すぎる。


「『好き』って言葉は絶対に書くなよ」

「はぁ!? ストレートに行くんじゃないのかっ!?」


 思わず彼女の方を向いて叫んでしまった。

 彼女の瞳と間近で目が合ってしまう。

 一瞬にして頭の中が沸騰した。


「ばーかお前、『好き』って言葉は直接言わないでどうすんだよ」


 彼女は呆れた顔をしてオレを見つめる。


「え、だって、これはラブレターで直接は……」


「あのなぁ。ラブレターは呼び出す為の手段であって、告白の手段じゃねえだろ。手紙の最後に『明日の正午にほにゃらら公園でお待ちしております』とかなんとか書いて、愛しのあの人が来てくれるかどうかドキドキしながら待つっつーのが醍醐味なんじゃねえか」


 そんな。

 直接告白するなんて絶対に無理だからラブレターにしたのに、結局は直接言わなきゃならないなんて。勇気が二倍必要になるだけじゃないか……。


「あ? まさかお前、直接『好き』なんて言えねえとか思ってンのか?」


 オレの顔色から胸の内をすぐに読み取られてしまう。

 彼女はオレの頬っぺたをむんずと鷲掴みにするとぐにぐにと引っ張り出した。


「そんな体たらくじゃあ、たとえ付き合えたとしてもすぐ捨てられちまうぞオイ! 『好き』とか『可愛い』の一つも言ってくれねえ男と付き合いたい女がいると思ってんのか? っていうかなんだこの若い肌はモチモチしやがってっ!」


「い、いひゃいれふ……」


 ほっぺを彼女に揉まれながらも、彼女の言葉がズキズキと胸に刺さっていた。

 そうか、キョウコさんも『好き』とか『可愛い』とか言われると嬉しいのか。

 彼女もやっぱり普通の女の子なんだ。


「よし、話を戻すぞ。とにかく『好き』という言葉を直接使わず好意だけを匂わせて、どうして好きになったかを書くんだ」


「そ、そんな高度なことできない……」


 ラブレターがそんな七面倒くさいものだなんて知らなかった。

 誰だ、紙とペンと恋心さえあればラブレターは書けるなんて言い出したのは。

 最初からこうだと知っていれば彼女にいきなり告白する方を選んだのに。

 そっちの方が苦しみは一瞬だ。


「簡単だよ、『気づけばいつも君のことを考えてる』とか。『君の存在が日に日にオレの中で大きくなっている』とかさ。お前にとってどんな存在なのかを書けばいい」


「どんな、存在か……」


 彼女の言葉に暫し頭を巡らせる。

 そして躊躇いながらも紙の上にペンを走らせ始めた。


「ほうほう。『君はいつも明るくて、優しくて、親切で、そしてとっても綺麗だ。オレはいつしかそんな君の隣に並びたいと思うようになっていたんだ』、ふぅん、なかなかイイじゃねえか」


 書いてる傍からすぐ隣で本人に読み上げられる。

 これほどの羞恥プレイが他にあるだろうか。


「やっぱり書き直す……」

「消すな消すな! めっちゃイイ文章だから!」


 衝動的にぐちゃぐちゃに塗り潰そうとしたのを止められてしまった。

 本当にこんなのでいいのだろうか。

 でも、本人がいいと言ってるのだからきっとそうなのだろう。

 彼女の言葉に勇気づけられる。


「じゃあ次は待ち合わせ場所と待ち合わせ時刻だ。いつのどこにする?」


 彼女が楽しそうに続きを促す。

 そんな彼女の笑顔を目の前にして、オレはある決心をした。

 さらさらとその文言を書き記していく。


「えーと、『待ち合わせ場所は今、この場で』……?」


 ラブレターの最後の一文を見て目を丸くする彼女に向き直る。


「キョウコさん」


 その瞳を真っ直ぐに見据えて、告白の言葉を口にした。


「好きだ」

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