美文字バトラー、鮫沢ァ!

太刀川るい

打倒書道部! 鮫沢登場!

「漫研は今日でお終いだ~~~~ッ!!」書道部の怒号と墨汁が狭い部室に飛んだ。


「そ、そんな! まだ生徒会長は期限があるって……!」唯一の漫研部員、紙川ときわは、丸メガネの奥の可憐な目をうるませて抗議するが、書道部の屈強な男たちは取り合わない。

「その生徒会長様が考え方を改めてくれたのだよ! 漫画なんて世の中の役に立たない非生産的なことに部室をくれてやるなら、我々書道部のような社会の役に立つ、誇れる部活動に、より多くの活動場所を与えるべきだと!」

「そ、そんなぁ……」

「大体漫研はお前一人ではないかァ! この部室はもうオレたちのものだということを見せつけてやる必要があるようだな! オラ! ここであのでっかい筆で書くやつやってやる!」

 書道部のメンズは学生服を抜ぐと、モップのような大きさの筆を取り出した。

「やめて! 作者が名前を知らないから微妙な書き方になっているアレをやらないで!」

「俺達の知ったことかーッ! ほーらほら! 特大の半紙だ! 書いてしまうぞー! 何が書かれるかなァ~~! ほーら『永』だァ!」

「きゃあああああ、基本的なやつうううううう」


 その時である。

「やめときな!」空中をペン先が手裏剣の様に飛び、特大半紙にカッと音を立てて突き刺さる。

 一人の少女が部室の入り口に立っていた。

 明るいラインの入った髪を肩辺りで切り揃え、首にはブルーのヘッドフォン。制服の上には黒いパーカーを着込み、二本の腕を豊かな胸の前でしっかりと組んでいる。

 ギロリと睨む目は異様に鋭く、捕食者のようだ。


「さ、鮫沢ァ!!!」書道部員が一斉に色めき立つ。

「こいつ、A組の鮫沢だ! あの西洋書道カリグラフィの!」

「もう書道部が何人もやられたって言うぜ!」

「同じペン使いがやられて黙っているわけにはいかねぇな! オレが相手だ!」鮫沢は尖った歯をむき出しにして吠えた。


「ちきしょう! 勝負を挑まれて書道部が逃げられるかーッ! 喰らえ!」書道部員の一人が、果敢にも勝負を受ける。

 半紙を懐から取り出すと、ぺんてる筆ペンを握りしめ、一心不乱に「戦」という文字を書くと、それをかざした。一瞬ほとばしり出た「圧」が鮫沢の軟らかい髪を揺らす。だがそれだけだ。

 鮫沢はパーカーをマントのようにばっと広げた。その内側には多種多様なペン先がついている。


「オレの番だなッ!」鮫沢はそう叫ぶと、ペンを一本手に取り、懐から取り出した小さなカードに流れるような筆跡で「殲滅」と書いてそれをかざす。

 たちまち、書道部員が柔道の投げ技を食らったかの様に真後ろに吹き飛び、黒板を叩き割って壁にめり込む。

「うぎゃあああああああ!!」

「な、なんて画数だ! こいつ、漢字の知識も伊達じゃあねぇ!」

「カリグラフィって言ったら西洋の書道だろ? なんでこいつ漢字で勝負してんだァ?」

「お前らにも読める様に勝負してやってんだ!」鮫沢はペン先で書道部員達を指し示すと啖呵を切った。

「さあ、これ以上オレと美文字バトルをする気がないなら、とっとと帰りな!」


 美しい文字には魂が宿る……。驚くべきことにそれは事実なのだ。

 美しい文字は人の心を引きつけ、そしてその内容を精神にダイレクトに伝える。今、鮫沢が書いた文字が書道部員を吹き飛ばしてみせた様に。熟練の美文字使いならば、相手を意のままに操ることすら可能とまで言われている。


 この事実は人類が文字というものを発明した初期の頃から知られていた。古代バビロニアを始め、文字を発明した文明はその力で他の文明を圧倒し、覇者となったのだ。

 その後も古代ローマ帝国の崩壊、カロリング王朝の成立、大英帝国の栄光、第一次世界大戦などの歴史の激動を乗り越えて美文字使いは脈々とその戦いの技術を受け継いでいった。そして、現代の東アジアでもその戦いは変わらない。多くの企業が手書きの履歴書を採用していることは、この事実とは無関係ではない。文字とは文明、力そのものなのだ!


「一体何の騒ぎだ?」長身の男が部室に入ってきた。

「す、菅原さん!!! 来てくれたんスか!」

 菅原と呼ばれた男は、鮫沢を見るとほう……と目を細めた。

「鮫沢かァ……なるほど、これは困ったことになったなぁ。俺は書道部 総代代理の菅原だ。以後よろしく。それはともかく、書道部に美文字バトルを挑むってことは、当然『覚悟』しているってことだよな」

「覚悟も何も、最初から叩きのめす気だぜ。オレは」鮫沢は前にぐいっとでると、菅原を下から見上げる。

 菅原は、ふふっという笑いを漏らした。

「失礼。なかなか面白いことを言う奴だ。しかし、この菅原が美文字バトルを受けることはできない。大事な試合があるんでね。ここは一つ、フリースタイルバトルということでどうかな?」

 菅原が提案したフリースタイルバトルというものは、出されたお題に対して即興で美文字を書き、オーディエンスの反応で勝敗を決めるという伝統的な勝負方法だ。

「フリースタイルバトルゥ? しゃらくせぇな、それでもいいぜ。オレは勝つ!」

「同意と見てよろしいかしらーっ?」突然、甲高い声が響いた。

 部室に現れたのは、縦巻きロールの派手な髪型をした女生徒である。

「勝負の匂いにつられて参上! 国際ジャッジ連盟所属の盟神探湯くかたちみそぎですのー! フリースタイルバトルならこのわたくしにお任せあれ! ふさわしい舞台を用意いたしますわ!」

「面白い!」「望む所!」菅原と鮫沢が声を揃えて答えると、みそぎは満足げな笑みを浮かべた。

「では、勝負は一週間後! 楽しみにしていますわー!」


「ありがとう。鮫沢さん。あたしなんかのために……」

 書道部が帰った後の部室で、漫研部員のときわは鮫沢にお礼を言った。

「気にするな。書道部のやつは前から気に入らなかったんだ。あいつらはカリグラフィを認めやしねぇ」

「でも、勝負は棄権したほうがいいです……菅原さんの力は凄いんですよぉ! この前なんて対戦相手を場外にしちゃったんですから」

 場外というのは文字通り、対戦相手が場外に吹き飛んでいき対戦が不可能になったという状況を表す。鮫沢の顔に一瞬不安そうな表情が浮かぶ。

「たしかにあいつは強ぇ……オレの書いた文字を見た時、表情一つ変えやがらなかった。相当困難な戦いになる……」鮫沢はきっと唇を結んだ。

「だが、オレは逃げない。オレはあいつを倒し、カリグラフィが日本書道に勝てるってことを証明してやる!」


 そして一週間後! 体育館! 全校から集まった見物客を前に二人の美文字バトラーが睨み合っていた。

「お二人とも用意はよろしいかしらー? それではお題発表ですわー! お題は、『わたくしのお誕生日の招待状』それにふさわしい文字を書いてもらいますわー!」


「なっ!招待状だと!?」

「ふむ……そうなると、この勝負、どちらにも有利だな……一方の鮫沢はカリグラフィ、つまり英文のグリーディングカードなどに強い適性を発揮する。しかし、もう一方の菅原はなんと言っても伝統的な筆文字! あの縦ロールがどれほどの家柄かはしらないが、フォーマルな場では筆文字が圧倒的に強い! この勝負、どう転ぶか解らな無いぞ!」なんかその道の識者っぽいオッサンが早口で解説する。

 ときわは、明らかにこの人生徒じゃないよね……と思いつつも、鮫沢に声援を送る。

「がんばって……鮫沢さん!」


「それでは……勝負スタート! ですわー!」みそぎが手を振るうと同時に二人の戦士が動き出した。


「は、早い! あの手を見ろ! 菅原の野郎、筆とは思えないスピードだ!」

 菅原の筆は、残像を残すほどの速度で、巻いた和紙の上を滑っていく。プリンターのような精密さでたちまち美文が紙の上に現れる。

(どうだ! 鮫沢! 筆の限界を越えた俺の速度は! 俺たちの実力はほぼ拮抗していると見た! 美文字力が互角ならば、速度に勝る俺の方に分があるッ!)

 菅原はちらりと、鮫沢の手にしたグリーディングカードを覗き込む。その手付きは素早いが、菅原の人智を超えた速度には及ばない。


 菅原は稲妻のような素早さで結びの署名を書き入れると筆をくるりと回した。

「俺は書き終わったぞ! どうだ鮫沢ァ!」

「っち、なんて速度だよっ!」鮫沢は悪態を付きつつ、それでも菅原に少し遅れてカードを完成させた。

「お二人とも、素晴らしい美文字ですわ……」みそぎは書き上がった招待状を並べ、難しい顔して悩む。


(ならば、勝つのは先に終わった俺の方!この勝負、貰ったッ!)

 菅原が心の中でガッツポーズを決めた次の瞬間、みそぎは宣言した。


「勝者は、鮫沢さんですわ!!」


「な、なにィ!! 一体どういうことだ!」菅原は思わず声を張り上げた。

「なぜなら、鮫沢さんの方は、三枚ありますの」

「なんだとォ!!」菅原は顔色を変えると、みそぎの手にしたカードを覗き込んだ。確かにそこには三枚のカードに、美しい字で同じ文面が微妙に色合いを変えて書かれている。

「バカな! 一体どうやって! あの時間で? っは! 貴様そのペンは!」菅原は鮫沢の手にしたペンを見て目を丸くする。そのペンにはついている。


「カリグラフィ用の特殊ペン、トライデントって言うんだぜ。もともとは特殊な飾り縁を書くもんだが、幅を広げれば、同時に同じ内容を違う紙に書ける」鮫沢はペンを手で掲げると、ニヤリと笑った。


「そ、そんなものが実在していたなんて……」菅原は肩を落とす。

「美文字は日本書道だけじゃない。世界に目を向けなかったお前らの……負けだ!」

 オーディエンスが沸き立ち、菅原は自らの敗北を悟った。


 勝敗が決し、去ろうとする鮫沢を菅原が呼び止めた。

「まて、聞いたことがある。日本書道会の重鎮、墨鉄郎すみてつろうには一人娘が居たが……家を嫌い出ていったと聞く。おまえは……」

「昔の話だ。その重鎮に伝えておけ。お前の首を、食いちぎりに行くと」

 鮫沢はそう言い残すと、足早に去っていった。

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美文字バトラー、鮫沢ァ! 太刀川るい @R_tachigawa

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