パブリック・エネミー
キロール
継がれる記憶
降り注ぐ雨は、黒く濁っている。人の際限のない欲望はこの星を著しく傷つけている。それでも、人々は享楽から遠ざかる事も出来ず、防護服をレインコート代わりに過ごす。
防護服を着飾った紳士淑女が、エコロジーの為にと徒歩で雨の中を行進するデモをマイケルは眺めていた。ソフト帽にトレンチコートと言った姿で出歩くマイケルは、今では絶滅危惧種だ。本来は電子煙草を持ち歩いていたが、生憎と今の世界では煙草は姿を消してしまった。今の辞書によれば煙草とは旧国家が国民に売りつける毒であるそうだ。
「自己加害も立派な権利の一つだろうが」
小さく呟くマイケルの姿を、遠巻きに見るデモ行進の紳士淑女たち。彼等は党本部も認める寛容な人々なので、雨の日に古臭い服装で出歩くマイケルを咎める事はない。筋金入りの
スラムでは、貧困に喘ぐ子供たちが餓死していく中、彼等の懸念は遠方のナントカと言う動物に自然破壊の余波が向かっている事だった。故に雨の日は防護服を纏い歩くことで、動物の危機を救おうと言うのである。平和で穏やかなデモは党本部が求める理想的市民の抗議の仕方であり、有権者である彼らの声には党本部は耳を傾ける……等と言うお題目がまかり通る腐った世の中には、この黒い雨がお似合いだとマイケルは唾を吐いた。
紳士淑女の脇を通り過ぎるビーグルのボディに描かれた紋章は、敬愛すべき党本部の治安維持部隊の紋章である。デモ行進をしていた防護服の市民達は深くお辞儀をしてビーグルを見送る。
ふと、ビーグルが不意にマイケルの傍で止まり、中からダークスーツの男達が降り立つ。治安維持部隊のヤクザだ。
「マイケル=2258だな。ウォッチャー法抵触の疑いで逮捕する」
顔に傷のある強面の男が告げると、ヤクザ達は刀を抜いた。抵抗すれば斬殺も辞さない構えだ。いや、そもそも逮捕と言いながら逮捕する気はないのは明白だ。マイケルは過去に八度殺されている。全記憶が書き込まれた脊髄チップをコピーしておらねば、こうして活動できていない。今や、肉体はチップを乗せる為のハードに過ぎない。
「俺に下された判決は何だったかな?」
「理想的市民になるか、刑の執行だ」
「俺は俺が掴んだ真実を捨てる気はない」
その答えを聞くや否や、ヤクザは刃を鞘滑らせ、マイケルの首筋を断った。迸る鮮血は噴水の様だとマイケルは思った。
居場所がばれた以上、党本部から逃れる事は出来ない。だから、マイケルは死ぬのは構わなかった。これまで調べた事は全て脊髄チップに記憶され、全てコピー済みだ。死の間際が蓄積されない事だけが口惜しいが……。
走馬灯のように脳裏には数々の記憶が過る。党本部のトップである国父が犯した罪。真実を掴みかけたマイケルを家族もろとも党本部は粛清し、難を逃れたかに見えた。だが、マイケルは脊髄チップをコピーしていたのだ。誰に顧みられることなく百年の月日が流れたが、スラムの若者がこのチップを解析し、チップ破損で記憶をなくした男に埋め込んだ事でマイケルは甦った。
家族を殺されたマイケルは、甦った後は党本部を打倒する為だけに奔走し、真実を暴きスラムの若者を鼓舞した。紙にペンを走らせ書き上げた真実は、スラムの若者を鼓舞し、彼らはネットを通じて世界に発信した。
今はまだフェイクニュースとして潰されているが、何れは党本部とて引っくり返る様な大きな波に、革命にしてやると途切れがちな思考でマイケルは嗤う。
そうだ、次のマイケルは上手くやると。
そう信じていたマイケルだが、脊髄チップをヤクザの一人が抜き取る瞬間に、膨大な真実が流れ込む。脊髄チップに負荷がかかり、閲覧禁止項目まで彼は垣間見てしまった。
現在の国父の名前を。党本部のトップにして、この歪な世界の元凶の一人、その名を。
マイケル・カーティアス。
とある新聞の記者であった男と全く同じ名前を。彼は知ってしまった。
(今の国父は、俺だ! 何十、何百と言うコピーの結果、僅かなノイズが混じり、党本部側に寝返った俺がいるんだ!)
書かねばならない。スラムの者達に力を与えてきたように、この真実を。
しかし、マイケル=2258の意識はそこで途切れてしまった。だらりと垂れさがった腕にはペンを握り紙に垣間見た記憶を書くだけの力は既にない。真実を掴んでおきながら、誰にも知らせる事が出来ない無念すら、マイケルは感じる事が出来なくなった。
党本部のとある一室にて、壮年の男と年若い男が会話をしている。
「マイケル=2258の件ですが、無事に処理いたしました」
「良くやった兄弟。だが、他のマイケルの動向も抜かりなく追跡したまえ」
「分っております、国父」
「兄弟、君には期待しているよ。党本部に反旗を翻すような輩を浮かび上がらせるのには、マイケルを泳がせなくてはいけない。だが、決して見失うな。真の公衆の敵となれば厄介だ」
「全ては仰せの通りに、マイケル・カーティアス様」
期待していると頷くと、若い男は退室していく。壮年の男は執務席に座り、両手を組み合わせて面白げにつぶやいた。
「しかし、党本部にもすでに入り込んでいるとはな、マイケル・カーティアス君。やはりマイケルは何れ公衆の敵と呼ばねばなるまい」
その先は、革命だろうか。それは面白いと、一人呟き国父は嗤った。どちらにせよ、マイケルは勝ち続ける事に変わりはないのだ。
<了>
パブリック・エネミー キロール @kiloul
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