歌は短し救えよ未来

幻典 尋貴

歌は短し救えよ未来

 そいつは、よく分からない奴だった。

 突然よく分からない事を語り出したり、突然笑ったり、突然怒ったり。

 そんな彼の言葉の中にたった一つだけ、確かに頭に残っているものがあった。

「紙とペンと音楽さえあれば、世界は救える」

 何たら理論がどうだとか、何とかが何とかで何とかだとかぶつぶつ言っていた中にたった一つだけ、これだけは僕にも理解できた。

 いや、日本語として理解出来ただけで、やっぱり意味は分からないけど、何故かずっと心に住み着いている。

 紙――幾重いくえにも繊維が重なって出来たものだ。折り方や枚数によってはとても頑丈にはなるが、火や水には弱い。とてもじゃないけど、人を守れるようには思えない。

 ペン――紙よりは頑丈で、ある程度であれば火や水には耐えるだろうけれど、あの小さなペンでなにが守れると言うのだ。

 音楽――言うまでもない。形のないもので、何が救える。

 中学を卒業してから、彼とはめっきり会わなくなった。

 そもそも、彼と友人であったわけでも、中が良かった訳でも無かった。

 変人扱いされる彼を、僕も変人扱いし突然怒る原因を作っていただけだ。

 僕ももう二十歳はたちになった。今考えると最低極まりない行為だったなと、自分を恥じる。

 そんな彼から電話があったのは、二日前だった。


 突然家の電話が鳴り、番号を見ると公衆電話からだった。

 怪しみつつも一応出る。

「多田だけど」とあの声が聞こえた。「君に弄られていた、あの」

 まるで人も物も全て景色という様な目をしていた多田が、僕の事を覚えている事が驚きで、少し黙ってしまう。

「――あの時は悪かった」

「別にいいよ。僕も変だったことは分かってる」

 その喋り口調は昔の多田からは思い付きもしない、とても人間らしいもので、本当に多田かと思い始めた。実際、口にも出ていた様で。

「本当に多田だよ。ちょっと声変わりと考え方は変わったけれども」

 そうか、考え方が変わるだけで、人はこんなにも変わるんだなと納得した。

「それで、どうして電話なんか」

「ちょっと君に、世界を救って欲しいんだ」

「は?」やはり彼は変わっていないなと、微笑がこぼれる。「ちょっと何言ってるか分からない」

「じゃあ、言い方を変えるよ」

 その声音は、真剣なものだった。彼はコホンと咳払いをして、続ける。

「君に歌って欲しい」


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 散歩をしていると、歌が聞こえる。

 どうやら高校の学園祭の様で、敷地の中央のステージでバンドらしき人たちが演奏をしている。

 中央のその人物に見覚えがある事に気付いたのは、演奏が終わったあとだった。

 フリートークをする彼の声は、かつて僕を怒らした空村の声だ。

 小学校の頃から時々クラスが一緒になっていて、高校でやっと別れた。嬉しいとも悲しいとも何も思わなかったが、が伝わったかだけがずっと気がかりであった。

 どうやら彼のバンドはそこそこ有名な様で、友人でさえないのに、少し嬉しく思った。

「世界救えよ、神様!」と歌う彼の声が、妙に耳の中に残った。


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 多田は、義務教育時代は何者かに操られていたと言った。僕はそれを笑い、一つの言葉を口に出す。


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 空村から発せられた言葉は、僕がずっと忘れていた言葉だ。記憶に鍵がかけられていたかの様に、ずっと出てこなかった


 ――紙とペンと音楽さえあれば世界は救える。


 そして全てを思い出した。

 数年後の第三次世界大戦を止める方法を。


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「君が作った曲を、ステージの上で歌えば良い。君が今まで曲を書いていないことは知っている。僕がこれを言わなければ曲を書かなかっただろうことも分かっている」

 急に早口でまくし立てる彼の勢いに圧倒され、言葉が出ない。

「だから、今こそ君の歌を世界に響かせるんだ」

 確かに僕のバンドならば、世界まで言えずとも日本中には音楽を届けられるだろう。

 それだけ頑張って来たのだ。がむしゃらに。

 でも、

「僕が歌を書いて何が変わる」

「バタフライエフェクトって言葉を知っているか。小さな事が様々なことを引き起こし、だんだんと大きくなっていくことだ」

「それが何だよ」

「君が君の歌を歌う事で、誰かの心の持ちようが変わる。その内それは第三次世界大戦を止めるんだ」

 意味が分からない。それでは僕の質問に答えていないだろう。僕の心の中でそんな苛立ちが沸々と湧いて来た。

「紙とペンや音楽じゃあ、何も守れないし救えない!」

 ずっと思っていた事だった。僕らは何のために歌っているのか。僕らの歌で何が変わるのか。良い良いと言っている人間の何を変えたのか、と。

「守らなくて良い。救えなくても良い。――戦うんだ」

「いつまで言って…!」

 彼は僕の言葉を遮り、続けた。

「少なくとも僕は、君の歌声で前を向ける様になった。そんな風に人々の心と戦って、心って言う陣地を奪い取るんだ」

「それは…ありがとう。でも」

「僕にだってよく分からないけど、君の歌声を聴いた時、確かにこれは世界を救うなと思った。君がペンを持ち、紙に向かって書いた歌を、君の声で歌うんだ。それがいつか、世界を救う」

「あぁ!分かった。やってみるよ」


 電話の後、時代外れの紙とペンを持って来て寝ずに歌詞を書いた。

 二日かけてパソコンのDTMソフトで伴奏も作り、仮録音もした。

 バンドメンバーはその曲を一週間後のライブで演奏する事を賛成してくれ、必死に練習した。


 ライブの日、会場の端の方に多田を見つけた。軽く手を振ると、周りの女の子達がキャーと叫んだ。そっちじゃないと苦笑をしつつ、セットリストの次の曲名を叫んだ。

 それは、僕が初めて書いた曲。僕の思いを詰め込んだ曲。未来を救うための曲。

 新曲発表に会場は揺れ、湧いた。


 未来がどうなるかは分からない。

 けれど、


 ――僕の歌は世界に放たれた。

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