紙とペンに思いをのせて
シャロウズ
紙とペンと先輩
僕はいつも不思議そうにその境界を覗き見る。そこには確かに、紙とインクしか存在していない。しかし私たちはそれを見ただけで、無限大の空間を目にする。
「部長」
「なんだ、
僕は机に置かれた紙を真横で凝視しながら部長に尋ねる。その隣りには眼鏡をかけた部長が本を読んでいた。
「ひょっとして、紙とペンって天才的な発明じゃないかって、今思ったんですけど」
「そうだよ」
「やっぱりそうですか!?」
僕は目を輝かせながら部長の顔を見た。あっさりと部長は受け答えたが、些細な疑問にも毎度真剣に向き合ってくれるのが部長の良いところだった。
「私にしてみれば、君が文芸部に所属しているのがまず不思議だし、毎学期成績十番台のエリート君なことに
「へへへ……」
部長はおもむろに本を閉じ、ペンケースからクマのキーホルダーがついたペンを取り出した。
「紙とペンは、いわば私達のもう一つの世界だ」
部長は遠慮なく僕の真横まで急接近し、目の前の白紙を指差した。眼鏡越しに見える先輩の長い
「ここに置かれているのはただの白紙。でもここに、三年六組遠藤綾子、と記すだけであたかも私の所有物の様に見える。ただの紙に過ぎないのにね」
部長の字は綺麗だった。僕はそれを見ただけで部長の人となりと人生を少し垣間見たような気分になる。
「そして口に出す言葉よりも、時として紙の言葉には重みがある。試しにやってみようか」
「えっ」
先輩は遠慮なくペンを走らせた。
君には好きな人がいる?
なぜそんなことを聞くのか、という疑問と同時に、目が泳ぎ始め、喉が渇き出す。たかが十一文字に。
先輩がクマのペンを差し出し、僕に続きを促したが、到底書けるわけがない。だって、僕の好きな人は――。
躊躇する僕を先輩はただ笑顔で見守っていた。その場しのぎで僕は短く応える。
います
線があちらこちらに飛び跳ねていて見るからに不自然だった。ペンを先輩に返すと、間髪入れず先輩は返事を寄越した。
じゃあ、名前を書いてみよう。文字にすると思いは伝わるというからね(ほし)
「せ、せんぱ――」
シー。先輩が口元に指を当て悪戯に僕を咎める。一体何の罰ゲームなんだ?と思いつつ、不思議と抵抗できないでいる自分がいる。ここでペンを置いて冗談で済ませられれば一番いいのに。
ペンを紙に合わせる。でもそれ以上は動かない。それはただの紙に過ぎないのに、今ではすっかり僕の世界を支配していた。
先輩は、長い髪を垂らしながらこちらを観察するように眺めていたが、次第にその手を伸ばし、僕のペンを握った右手に覆い被せた。そして、ゆっくりとペンが動き出す。
今は書けなくてもいいんだ。でも君がこれから書いていく言葉は、必ずその人に繋がっている。だから、ペンを握り続けて。私が伝えたかったのはそういうこと(はーと)
先輩に向き直ると、そこにはいつものクールな先輩がいた。何故か僕はそのことに安心感を覚えていた。
「しかし、そこまで真剣に思い詰めるとは思わなかった。意地悪してごめんね?」
「いきなり何を聞き出すのかと思いましたよ……」
「でも大事なことなんだ。口で言うよりもずっとね。紙とペンの前では、誰もが少し真剣になれる」
真剣。僕は、先輩と真剣に向き合えたのだろうか。紙とペンの中でなら、もっと近づくことができるのだろうか。現実世界よりも。
僕は先輩のペンを握りしめ、言葉を絞り出した。
「先輩。僕と、文通してくれませんか」
先輩は不思議そうな顔をしていた。そして自分が何を言ってしまったのかをじわりじわりと時間が知らしめてくる。あやうく先輩のペンを折りそうになるほどに。
「あ、いや、その!できれば、もっと先輩に教わりたいなって、ただそれだけで!ご迷惑だったらぜ、全然断って下さって結構ですので!」
「ふっ……あはは!」
先輩のお腹を抱えて笑う姿を見て、僕はその様子をあらん限りの言葉で綴りたいと思った。
「ぶ、文通嫌ですか!?流石に時代遅れですよね!?メールとかラインとか文明の利器があるのに文通だなんて……」
「いや、文通しよう。それがいい」
先輩は心なしか、嬉しそうだった。仮にそうでなかったとしても構わない。紙とペン、そしてその中で先輩に会える。今の僕にはそれだけで十分だった。
「きっと伝わるよ。桐間くんの気持ち」
今この瞬間の、先輩の静かな笑みを讃える言葉を、僕はまだ綴ることができない。でもきっと、その気持ちは伝わる。
紙とペンは、そういうものなんだ。
紙とペンに思いをのせて シャロウズ @Shallows9
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