紙とペンと、銃と……
片山順一
作家と襲撃者
田崎守は、書斎の一角に追い詰められていた。都内の一等地にあって、日当たりのいい書斎付きの豪邸は、情けないが親からもらったものだ。
が、その維持は自分のペンで担って来たほこりがある。
田崎は中年の男性作家だ。
純文学一筋だったが、キャリア二十年にして、編集者と喧嘩別れして転向、中小出版社の若い編集者と書き上げたライトノベルが、大当たりして、みるみる売れた。
筆力は十分すぎるほどあった。後は工夫と楽しさ。異世界テンプレートという、確かな型を利用できたのも良かったのだろう。
序盤は、堅調程度だったが、けた違いに売れていた他の作品の作者が、不適切な言動や行為で出版停止を食らってから、急速に火が付いた。
八巻書いて、脅迫状が届いた。
『三文小説以下の文書で、日本文学を破壊するのをやめろ。さもなくば、マザラスのように死ぬ』
マザラスは、田崎の小説の中で出て来た名宰相だ。
最初は、貴族の権威丸出しで、転生した主人公を痛めつけようとするが、魔王軍から、かばわれたことや、自領の危機を救ってもらったことに感銘を受ける。
その後必死に勉学し、気の弱い王を補佐して、腐敗の横行していた国を立て直していくのだ。
だが、最強の主人公が遠征にいっている間に、賊に押し入られて惨殺される。
腐敗し切った貴族の特権廃止を考え、庶民に教育を施し始めたことが、能力のない貴族や王族、宗教指導者の目に付いたのだ。
賊はマザラスの書いた本の、一文字も読めず、理解も出来ない文盲の農民。貴族の従者のそのまた従者に、たった銅貨一枚で雇われた者達だった。
「『紙とペンでは守れない』。マザラスが死んだ話の、ネット版の小題でしたね、ハルカノゾミ先生?」
ペンネームをなじるように呼び、目だし帽の奥の瞳が冷たく光る。椅子に縛り付けられ、血を流す田崎のこめかみに、白髪交じりの髪の毛がしたたれた。
「何が狙いなんですか」
敬語で自分を落ち着かせようとする。こういうときこそ、焦らないことだ。主人公になったつもりで思考することだ。
目だし帽の男は、田崎の腹に小銃の銃口を突き付ける。
「ちょっとしたテロ組織のスカウトですよ。行きたいって言ったら、何かやれって言われましてね。だから、あんたを殺して、この家燃やすことにした。俺は元々傭兵でね。戦場でも帰ってきてからも、銃のないときは本ばかり読んでたんだ」
ミリタリー系の知識として、調べたことがある。日本には、日常的に戦場に行き、自衛隊以上に銃器の扱いに長けた傭兵たちが存在すると。この二人は手慣れていた。
「でもなんでしょうね。この間から、やたらでかい、ガキ向けの絵や卑猥な女を書いたこういう本が増えやがった。気に入らなかったんですよ」
献本された若手作家の本だ。必死にネット連載して、ようやく人気が出て、初めて作られた本だと喜んでいた。
男はそれを床に叩き付け、ブーツで乱暴に踏む。
「馬鹿が書いてると思ってたら、売れやがって本屋に増えてやがる。どうせろくでもねえやつが作者だと思ってたら、案の定、クソ以下の文章やネットの馬鹿な落書きで、くたばり始めた。正義は勝つと思ってたところに……あんたが出やがった!」
腰にしていたハンドガンが発射され、本棚の文学全集に穴が開く。窓も割られたが、警報一つ鳴らない。周囲のマンションも身じろぎもしない。
「持てはやされやがって! 純文でガチガチだったあんたが、こっちに来やがったから、K社もS社も大喜びだ! 大手を振って、純文の作家をほじくり出して、きちんとした文章で面白く書かせるってよ! クソ業界がよ、そんなに売れてえか守銭奴共がッ!」
AKのストックが田崎の頬を殴り、胸元にブーツのつま先が食い込む。胃液と涙を吐きながら、田崎は椅子ごと崩れた。
奥で廊下を見張っている男が、一瞬こちらを見た。
目が合った気がしたが、顔を背けられる。
田崎に怒っている方が、AKの銃身をいじっている。ミリタリーものが好きな編集者の資料にあった。あれは銃身にマガジンの小銃弾を装填しているのだ。すなわち、いよいよということだ。
男がしゃがみこむ。髪の毛をつかまれ、引きずり上げられた田崎の目と、男の血走った目が交わる。
「『紙とペンじゃ身を守れねえ』。マザラスが殺られた次の話で、主人公にミンチにされた農民の最後の言葉だなあ、ハルカノゾミ先生?」
側頭部のすぐ脇に、AKの銃口。引き金に指がかけられる。
さっき男は銃を撃ったが、窓が割れても誰かが動く気配はない。防犯カメラも通りのあちこちにあるはずだが、警察のけの字もない。
そういえば、今朝、いつも手伝いに来てくれる元気の塊のような家政婦が休みたいと連絡してきたのだ。八年、無遅刻、無欠勤だったのに。
要するに、積んだのだ。あらゆるものが、田崎に死ねと言っている。
どう考えても助かる術はない。せめて、後三巻、許されるなら、読者に話の完結を見届けて欲しかった。
いざとなると、覚悟はない。思わず目をつぶった、次の瞬間。
銃声が部屋を埋め尽くした。
だが、痛みは殴られたぶんしか、ない。
殺されてしまえば体の感覚がなくなるのだろうか。まだ、意識がある。
「あ、あ……」
震えた声しか出なかった。田崎の眼前に、目出し帽の男がどてんと倒れ込んでいる。全身を真っ赤に染めて。
硝煙の臭い、というのを始めてかいだ。入口の方を振り返ると、AKを手にしたもう一人の男が、へなへなと座り込んでいる。
「きみが、どうして」
田崎がそう言うと、男は慌てて立ち上がった。AKに安全装置をかけると、サバイバルナイフを取り出し、田崎を縛った縄を切る。
「ちきしょう、やっちまった、やっちまった、どうすんだこれから……」
涙声ながら、包帯を取り出し、田崎の傷に手当てをする。ずいぶん若いように思える。
「落ち着いてくれ。一体、どういうことだね」
「簡単ですよ。俺も先生の本を読んでた。ただし、あにいと違って、最近の作品が好みだっただけだ」
死んだ「あにい」のAKに安全装置をかける男。
「あにいとは、戦場で何度も一緒だった。あにいは気に入らなかったみたいだけど、俺は先生の今の作品も好きだ。最近出て来た他の連中のも、面白い。死んじまって続きが出ないなんて、ごめんだ」
そんな偶然があるというのか。紙とペンが招き寄せた銃を、同じ紙とペンが引き寄せた銃で防ぐなんてことが。
「あぁ、くそ、どうすんだよ、二時間で警察が動くのに。俺は、俺は……」
頭を抱えてうずくまる男。いや、読者。
田崎は立ち上がると、その肩に手を置いた。
「テロ組織にスカウトって言ってたが、君たちは傭兵として人気があるのか」
「同時に、あと三つ、傭兵の会社から声がかかってて。あにいが一番悪い奴らに決めちまったけど」
「その三つに連絡できるか。この国を動かせる程度なんだな?」
「……先生、あんた」
「読者をこれ以上減らしたくないんだ。次の戦場が、日本から荷物が送れる国なら、連絡してくれ」
「分かったよ……」
目出し帽の向こうの目に、涙が光っていた。
男は傭兵の会社に連絡、田崎の家を出て行った。
きっかり二時間後、公安と名乗る者たちが現れ、男の死体を回収し、弾痕をほじくり出していった。田崎は何も聞かれなかったし、誰にも喋らないことにした。
新聞にもテレビにもネットにも、田崎の家の事件は載らなかった。
数日して、派遣先と感想が書かれた無邪気な手紙が私書箱に入っていた。
※※ ※※
二か月が経った。
最新刊の献本は夕刻だった。一冊の裏にサインをして、田崎はなじみの郵便局に向かった。
封筒の表に、地球儀で初めて位置を調べたS国の名前と、現地の郵便局の宛名を書いた。
局員は特に気にも留めることなく、田崎から外国宛ての本を受け取った。
「どういう感想が来るだろうな」
この巻は、彼の好きだったサブヒロインの活躍が描かれている。
激しい戦争を逃れて、奴隷に落ちながらも、生きる希望を決して捨てず、とうとう、主人公に見いだされた少女だ。
誰が、どこで、自分の文章を読んでいるかは、分からない。
ともあれ、気まぐれにでも、小説を書いていてよかったと思う。
「紙とペンと銃。いや、紙とペンと、読者か……」
もう、ひと頑張りだ。本来なら一休みする献本のあった日。家に帰った田崎はパソコンのワードソフトを立ち上げた。
紙とペンと、銃と…… 片山順一 @moni111
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