自分の道

玄月黒金

第1話

僕には兄がいた。父さんと母さん、僕と兄の四人家族で、何とかやっていた。朝日が昇るとともに起きて質素な食事を食べ、畑を耕しに出る。苦労して収穫した作物の大体は役人に税として持っていかれる。


余裕はあまり無かったけど、僕は家族みんなで一緒に居られるだけで幸せだった。何より、僕は他の暮らしを知らなかった。


僕はいつも兄の後をついて回っていた。暇だったからだ。僕は小さすぎて出来る仕事が少ない。父さんも母さんも忙しいから、僕の相手をしてくれるのは兄さんだけだ。


「ラルフ、今から教会に行かないか」

「うん、行く!」

間髪入れずに僕は頷いた。


「即答だな。まだ何するかも言ってないだろ」

「えーっと、じゃあ何しに行くの?お祈り?」

兄さんは苦笑しながら、勉強しに行くんだ、と答えてくれた。

「どうして?」

「読み書きとか計算ができたら、将来役に立つからな」

「ふーん、そんな事分かるなんて、やっぱり兄さんは凄いや」


それから、僕と兄さんは教会に通うようになった。もちろん仕事の合間を縫ってだけど。神父様は優しい人で嫌な顔をせずに教えてくれた。しかし兄さんは途中から来なくなってしまった。たぶん、少し前に来た冒険者の影響だろう。どうも剣を少しばかり教えてもらったらしく、それに夢中なのだ。


そんなこんなで特に代わり映えのない日々は緩やかに流れていった。


————数年が経った。僕は山で薪を切って、いつものように家路に着いた。風の噂でずっと遠くの大きな街が悪魔に襲われたとかを聞いたが、辺境の貧しい村にはなんら影響はなかった。


早く晩御飯を食べたいな、と少し駆け足で家に上がると、深刻な顔の両親がいた。


「トマスが帰ってこないの」

母さんが顔を覆った。

「ラルフ、これが読めるか」

父さんに手招きされてテーブルの上を見ると、小さな紙の切れ端が置いてあった。

そこにはペンでこう書かれていた。


『冒険者になる。立派になって帰ってくる』


拙い文字で読みにくいが言いたい事は明白だ。呆然としながら、僕は内容を読み上げた。冒険者はなるのは簡単だが危険な仕事だ、ぐらいしか知らなかったが、子供ながらに兄とはもう会えないのかもしれないと感じ取っていた。

父さんが拳をテーブルに叩きつける。

「馬鹿息子がっ……」

「とりあえず、ご飯にしましょう。明日も早いんだから」

母さんは、怒りに肩を震わせる父さんをなだめ席に着かせた。

「ほら、ラルフも」

母さんに促され、僕も席に着いた。


ずっと死ぬまで、この村で一緒に生きていく以外の道なんて、想像してもみなかった。僕にとって、いや僕ら一家にとって兄の出奔は大きな悲しみを与えた。


でもそれだけだ。兄さんがいなくなっても次の朝はやってくる。変わった事といえば、僕の仕事が増えたくらいのものだ。僕がいくら悲しみに暮れようが、世の中は変わらず回り続ける。


気が付けば、僕は14になり、成人も間近に迫る年頃になった。

そんな時だ、大事件が起こった。

村が魔物に襲われたのだ。僕らの家が村の端だったのは不幸中の幸いだった。三人でなけなしの蓄えを持ち出し、山の中に逃げ出すことが出来たのだ。


だが不幸はまだ続いた。盗賊に襲われたのだ。抵抗も虚しく両親は殺され、相手の気まぐれで僕だけが生かされた。



 *****


「起きて。おーい、生きてるかー?」

誰かが俺を呼んでいる気がするが、身体中が痛くてだるかったので無視することにした。


「まさか死んでないよね?ちょ、マジで起きて!」

今度は頬をビンタされた。


「痛っ」

たまらず飛び起きると、俺を心配そうに見ていた短髪の女と目が合った。粗末な胸当てをして、背嚢を背負った女は俺が起きたのを見て安堵の表情を浮かべた。


「生きてんならさっさと起きなよね。死んだかと思ったじゃん。前衛がいないと魔法使いのあたしはどうにもならないんだからさ」


「アグネスか。悪い悪い。ちょっと走馬燈が見えてな」

急いで身体中を調べる。皮鎧や籠手、その他の防具はボロボロだが、打ち身や切り傷などの小さな怪我ばかりで、致命傷はなかった。俺の唯一の武器である剣も無事だ。安物だが、俺にとっては生命線である。


「聞いてよ、朗報だよ」

「なんだ」

「ジョンが死んだ。後、スロードとウルに、ウォルターも」

「……俺が気絶してる間に何が……」

俺の最後の記憶は、パーティーがコボルトの群れに襲われて応戦している途中で途切れている。アグネスによると、劣勢になり戦線が崩れた隙に俺を担いで逃げ出したらしい。

「魔法使いのくせによく俺を運べたな」

「火事場の馬鹿力ってやつ?ラルフに死なれたらあたし終わりだしね。あの角を曲がって少し進めば死体があると思うよ」


恐る恐る戦闘場所に戻ってみると、確かに三つの死体が転がっていた。もちろん哀れみなどかけらも感じない。先頭を歩かされ、魔物の相手はほぼ俺たちがした。道中役立たずもいいとこだったが、これでせいせいした。

懐を探ってみると、いくらか金が出てきた。

「おい、見ろよ。これで数日は食えるぜ」

「ホント?ラッキーじゃん。こいつらクズだけど、役に立つこともあんだね」

悪行の報いを受けたんだ。ざまあみろ。

だが浮足立った俺の心はすぐに沈んだ。


「……なあ。帰り道わかるか?」

ボロボロになった血まみれの羊皮紙をに見せる。これには地図が描いてあったが全く読めなくなっている。

「あんまり覚えてない。ついて行くのに必死だったし」

「はぁ……だよな」

取り敢えず朧気な記憶を頼りに戻ることにした。他に手段なんてないしな。

道中はなるべく魔物に見つからないよう、細心の注意を払って進んだ。おかげで、ほぼ戦わずに済んだ。しかし進めど進めど、出口は見えてこない。同じような道が続くだけだった。気分は下がる一方で、過去のことにばかり思いを馳せてしまう。


「クソみたいな人生だったよな……」

あの時、盗賊に捕らえられてからずっと、こき使われ続けた。最初の頃は人間扱いすらされてなかった。飯もよくて残飯、最悪草の根や虫を食べた。上の者に命じられるまま、盗みから殺しまで何でもやってきた。今では少しマシになったが、結局は鉱山に捨て駒のように放り込まれる程度の存在だ。これでよく四年も生きていられたものだ。


「このまま死ぬのかな、あたしたち。まあ、地上に戻ったって碌な目に遭わないけど。よく考えたら八方塞がりじゃん」

「今そんな事言うなよ。気が滅入る。まあ正論だけどな」

手ぶらで帰れば絶対ボスの怒りを買う。そのまま殺されるかも。

更に重くなった足を動かし惰性で歩き続ける。すると、足に何かが引っかかった。

バランスを崩し、危うくこけかける。


「ったくなんだよ」

イライラしながら足元を見ると、ぼろ布を纏った骸骨があった。


「うわだっさー。なにこけかけてんのよ」

「お前が嫌なこと思い出させるからだ」


しゃがみ込み、何か持っていないかと全身をくまなく調べる。

これはただの気まぐれだった。先も見えず歩き続けるのに疲れて、何か変化が欲しかっただけ。だがその気まぐれが、俺を救うことになる。


「やっぱ大したもん持ってねーな。ん?なんだこれ」

折り畳まれた紙を見つけた。風化してだいぶ黄ばんでいる。開いてみて、俺は絶句した。

「見ろ!地図だ」

アグネスは駆け寄り、地図を覗き込むと素っ頓狂な声を上げた。

「静かにしろ。魔物に見つかったらどうすんだ」

「いや、つい」


しかしアグネスの気持ちもよく分かる。俺だって思わず叫びそうになった。

嬉しい。心の底からそう思った。こんな気持ち、いつ以来だろう。


それから、無我夢中で出口を目指した。地上の光が、出口が見えた時は本当に嬉しかった。


鉱山から出ると、力が抜けてへたり込んでしまった。

「ほんと、あの骸骨には感謝しなきゃね」

「ああ。この地図がなけりゃ俺たちは間違いなく死んでいた」

俺達の命の恩人だ。丁寧に折りたたみ、しまおうとして裏に書いてある文字を見つけた。


『父さん母さん、ラルフ、すまない』


「にい、さん」

見覚えのある拙い文字。ラルフなんてありふれた名前だが、この筆跡は兄さんのものだ、そう確信した。皮肉な出会いだ。もう二度と会うことはないと思っていたのに。


溢れてくる想いを抑えるため、目を閉じた。落ち着け、泣くな。今はそんな事をしてる場合じゃないだろ。

深く深呼吸し、目を開くとアグネスをまっすぐ見据えた。


「俺は、足を洗う。もう盗賊団には戻らない。アグネスはどうする」

「……今更そんなの出来るわけないじゃん」

俯き、かすれた声を絞り出した。


「なーんてこのあたしが言うと思った?戻ったら殺されるだけよ。だったらあたしは、あんたに乗る」

アグネスは不敵な笑みを浮かべて言い放った。

相変わらず、図太いというか可愛げのない奴だ。しかし今はそれが心強い。


「決まりだな。見つからない内にさっさと逃げ出そう」


無事に逃げおおせたら代書屋でも始めるか。折角字が書けるんだし、何よりその仕事は儲かると聞く。命を懸ける仕事なんぞ真っ平ごめんだ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自分の道 玄月黒金 @hosimiyaruna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ