紙とペンと不便な素敵

天鳥そら

第1話弟子の条件

インターネットが普及して以来、コミュニケーションが手軽に取れるようになった。瞬時に届くメールには動画や画像、大量の資料も添付して送れる。チャットやスカイプ、ZOOMを使って講義も受けられるし会議もできる。


「なのに、なんでわざわざ会いに行くんだろう」


足を棒にして歩き回り、やっとのことで辿りついたのは、ちょっとしたお屋敷だった。薔薇の花が咲き乱れる庭園を前にして、インターホンのボタンに指をのせる。ここで私は大きく息を吸った。もしかしたら、これで私の人生ががらっと変わるかもしれない。


坪内梨乃、大学四年生にして就活をまったくしていない崖っぷち。活動が始めたのが遅かったのと、普通の就職に疑問をもっていたため、他の人より十歩ぐらい出遅れた。出遅れたというより、やっと自分の道を歩みだした。大学で勉強したのは児童文学。


「はい。植本です」


「先日お電話を差し上げた坪内梨乃です。今日、3時からお会いするお約束をしていました」


「はい。先生もお待ちしています。どうぞお入りください」


インターホンの声が途切れ、私はレンガ造りの石段に右足をかけて薔薇の花が咲き乱れる小道を歩いて行く。お屋敷の玄関までは数十秒。ノックをしようと右手をあげると、見計らったかのように扉が内側から開いた。白髪につやつやのお肌のおばあちゃんがほっこりと笑ってた。


「こんな遠くまで大変だったでしょう。どうぞお入りください」


室内は土足で入室できるとのことで、妙な気分になりながら進んでいく。年代物の時計や家具にうっかり触れて汚したり、傷をつけたりするのではないかとひやひやした。私が通された先は、庭の薔薇の花を眺められるテラスだった。そこには、気難しそうな顔をしたおじいさんが一人立っている。庭もお屋敷もイギリス風なのに、和服を着ていた。


「坪内さんだね。私に弟子入りしたいと」


「はい。課題として出された物語も手書きで、あまり上手じゃありませんが指定された通り挿絵も……」


「見せなさい」


「あ、はい」


目の前にいる植本樹先生は、児童文学の世界では有名な作家だ。今私が渡したのは手書きの原稿用紙。就職活動をほったらかして書いたのは、子供向けの冒険小説だった。


大学四年間、さんざん考えて選んだ道が小説家。どれだけ友達に馬鹿にされるだろう。ただ、こうして植本先生に原稿を読んでもらうきっかけをもらえたのは、私が先生の新刊が出るたびにファンレターを出し、熱烈に追っかけをしていたからだ。これも一種の就職活動といえよう。うん。私がんばった。


ダメもとで自分が植本先生のよう小説を書きたい、将来は本を出したいと話すと何の気まぐれか先生が私の小説を読んでくれることになった。そのために出された条件がいくつかある。


一つ、手書きで小説を書き上げること。


二つ、書籍化すること映像化することを考えてイラストも一緒に描くこと


三つ、調べ物をする時はインターネットを使わないこと


四つ、小説を書くとき時は、目で見て耳で聞いたものに限ること


五つ、ペンと紙を持ち歩き気になることをメモすること


このために私は一度スマホを解約してる。そうでもしないと、ヒマがあればスマホいじりがクセになっているんだから、うっかり使ってしまう可能性があった。


「坪内さん、お部屋に案内します」


玄関口で私を迎えてくれた老婦人が、手招きをする。植本先生は私の渡した原稿を手に、真剣な表情で見入っている。先生のそばを離れるのも気が引けて、戸惑っていると、老婦人が目を細める。


「先生、しばらくは他のことが目に入らないから、坪内さんは少し休んだ方が良いですよ」


疲れたでしょうと労わるような声音に、肩の力が抜けて言葉に甘えることにした。


「今日は宿泊することになりますが、ご家族に連絡はしてきましたか?」


「あ、大丈夫です。先生の家でお世話になることは伝えてあります」


廊下を歩いた先に、階段が見えてきた。階段の踊り場で一息つくと、前を歩く上品な老婦人の後を追っていく。ずいぶんお年に見えるのに、足腰がしっかりしている。まだ二十代前半の自分の方が体力がないかもしれない。


「では、こちらへどうぞ。クッキーとお茶の葉とポットが置いてありますから、良ければ召し上がってくださいね」


「あ、ありがとうございます」


開かれた扉の先にはレースのカーテンがかかる窓が目の前にあった。真ん中に木製のテーブルと椅子、部屋の端にはベッドがある。老婦人が言ったように、クッキーとティーカップとポットが用意されていた。


「お手洗いは、二階の廊下の奥にありますから」


「は、はい」


「もし、先生のお弟子さんとしてこの家に残るなら、この部屋がそのまま坪内さんの部屋になりますからね。何か不都合がないか見ておいてください」


「はい、あの、ありがとうございました」


「外に出たい場合は、声をかけてください。これから、私はお夕飯の支度をしますので、何かあれば台所までどうぞ」


にっこり笑って重要事項を伝えた老婦人がドアを閉めてしまうと。疲れが一気に体にのしかかってきた。ベッドへふらふらと歩いて行く。


「これから、どうなるんだろう」


私の小説を読んで見込みがあるなら、お弟子さんにしてくれるらしい。


これが六つ目、最後の条件。弟子となるなら、先生のお屋敷に、住み込みの弟子となること。


インターネットの恩恵にあずかっている私にとって、先生の条件は世捨て人も同然のように思えた。両親は私の一時の気の迷いだと思っているらしく、住み込みの弟子になることに、二つ返事でオーケーをしている。


パッチワークのカバーがかかったベッドの上でごろりと横になると、疲れていたせいかうとうととまどろみはじめた。眠っているような起きているような不思議な気分だった。大きな海の真ん中でぷかぷか浮かんでただよってる。どこへ行くのか、どこへ行きたいのか。心もとない気持ちでいっぱいだ。


自分がこれからどうなるのか先生次第。もしも先生が弟子として迎えてくれると言ったら私はどうするんだろう。はっきり言って、小説を書くだけなら住み込みの弟子になる必要はないのだ。しかも、こんな何もない場所で、世俗から離れたような場所にいるのは薄気味悪い気がした。


「先生に頼んで、東京の自宅からネットでやり取り、許してもらえないかな」


こうして私がぽつんとこぼした時、小さなささやき声が聞こえてきた。


(だらしない子が来たもんだ)


(ネットで何でもできると思ってる)


(だが、樹は弟子にするつもりらしいぞ)


(一ヶ月ともつもんか、この前の弟子は三週間で逃げ出したじゃないか)


(あれは、弟子じゃなくて臨時の庭師よ。いつもの人がぎっくり腰になっちゃって、ちょとだけ頼んだの)


ぱっちりと目が開いて、居眠りができなくなった。声がするのは背後だ。たぶん、クッキーとお茶が置いてあるテーブルの上。何がいるんだろう。いつの間に入って来たんだろう。


人……なの?


振り返りたい衝動にかられながら、ゆっくりと胸ポケットから小さなメモ用紙とペンを取り出す。先生に言われた通り、何か気になることがあったらすぐにメモをとるよう訓練してきた。それは、食堂で拾った何気ない会話だったり、歩いている途中で見かけた鳥や花の簡単なスケッチだった。


寝ころびながら背後で交わされる会話をさらさらと書いていく。字が汚いが仕方ない。背後にいる何かは食べながらおしゃべりしているようだった。ぱきっと割る音、サクサクという音。しばらくメモを取っているうちに、姿を見たくてどうしようもなくなった。


音をたてないようにして、さっと振り向く。


私の前にいるのは私の小指ほどの大きさの人と、同じ大きさで羽の生えたかわいらしい少女だった。私のために用意されたクッキーを、さも当然だとばかりに食べている。


(あ、バレちゃった)


(樹には、まだ姿を見せないようにって言われていたのに)


(あーあ、叱られちゃしら)


声も出ない私を前にして、軽やかに会話が交わされていく。


四つ、小説を書くとき時は、目で見て耳で聞いたものに限ること


先生から出された条件が頭の中に浮かび上がる。慌てて、小人と妖精のスケッチをし始めたが食べかけのクッキーをこわきに抱えて、目にもとまらぬ速さでテーブルの上から去って行った。


「なんでだろうって、思ってた」


目で見て耳で聞くものに限るなら、ファンタジーなど書けやしない。どれだけリアルに描いても、魔女や妖精、ドラゴンは自分の空想でしかないのた。今回書いた冒険小説も、あくまで現実世界が舞台であり空想上の生き物は出していなかった。


「住み込みが条件っていうのも、こういうこと?」


目で見て耳で聞くなら今のように、実際に見た妖精をスケッチしないとだめだろう。私は、寄る辺なく浮かんだままただよっていた自分が、はっきりと決まった場所に流されているのに気がついた。


「私、ここが好きだわ」


頬が赤く染まっていく。まさか、妖精や小人と会えるなんて夢のようではないか。そっとほっぺをつねって夢でないことを確かめてから、ベッドから降りてテーブルに向かう。クッキーは一つも残っていなかった。


こぼれたクッキーのかすを指でつついて、頬をぱあんっと叩く。


「不合格でも頼み込もう。弟子にして下さいって」


扉の向こうから足音が聞こえる。もしかしたら私の原稿を植本先生が読み終わったのかもしれない。急いで扉のそばまで行き、そっと開けると目の前には気難しい顔の植本先生がいた。


「いいよ。君を弟子として迎えよう。君にその気があれば……」


「なります!よろしくお願いします!」


思い切りよく頭を下げた。部屋の中でくすくす笑う声が聞こえた気がした。


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