紙とペンとあと一つ

亜未田久志

ワンオブゼム


 目指せ小説家。

 少し前の話だが、夏目漱石だとか、芥川龍之介だとか。

 そういう小説家の作品が飛ぶように売れたらしい。

 自分も読んでみたが、ふむこれは面白い。

 というわけで我こと芥目四郎(筆名)も筆を取る事にしたのだ。

 勿論、紙も用意した。

 さあ、書こうと思ったところで、なにかが足りない気がする。

 

 さあ、何が足りないのだろう。

 小説を書く場所は……一応、ボロい借り屋だが、小説を書くだけなら問題あるまい。

 机……はボロっちいが、支障は無い程度の物がある。

 椅子……は地べたに座ればいい、そもそも机と言ってもちゃぶ台だ。


 そもそも物事は形から入ると良いと言うのを聞いた事がある。

 親父がそう言っていた、

 その親父は形から入って猟師になろうとして、獣の毛皮を着込んだら、逆に他の猟師から撃たれかけたが、まあそれはそれ、これはこれだ。

 自分も文豪らしい格好をしてみよう。

 どこかで芥川龍之介の写真を見たことがある。

 何か着物を着ていた気がする。

 うろ覚えだが、まあいい。

 自分は片付けが出来ないので、山のように積まれた服の中から、作務衣を引っ張り出して着替えた。

 よし、これで少しは文豪らしくなったのではないか。


 ……何か違う気がする。

 いったい、なにが足りないというのだろう。

 紙もペンもあるのに。

 この違和感はなんだろう。


 少し、外に出てみよう。

 特に代わり映えのしない町並み。

 近所の人間とすれ違うたびに挨拶を交わす。

 しかし、相手の視線はどこか怪訝なものだ。

 この年にもなってまだ働いていない事を心配しているのだ。

 今に見ていろ。

 立派な文豪となり、本は飛ぶように売れ、死後も歴史に名を残す人間になってみせる。

 その時、近所の人々は、過去の愚行を後悔するわけだ。

 わっはっはっ、愉快愉快。


 しばらく歩いていると何もない広場に着く。

 まさしく今の自分である。

 準備万端、紙とペンを用意して作務衣を着込んだ自分は、もはや文豪の端くれと言ってもいい。

 後は小説を書き始めればいいだけだ。

 そうだ、書き始めてしまえばいい。

 何をうだうだと考えていたのか。

 何もない広場なら、何かを置いてやればいい。

 特に何も持っていなかったので、広場の外に落ちていた小石を、何もない広場に投げ込んだ。

 これで、あの広場は「小石のある広場」になったわけだ。

 よしよし。

 さあ、家に帰ろう、明るい未来が待っている。


 おかしい。

 やはり違和感は消えない、消えてくれない。

 胸がもやもやとする。

 何が足りないというのだ。

 私はこんなにも文豪然としているといのに。

 ペンを握りしめ、紙を目の前にしている自分は、もう半分文豪と言っても過言ではない。

 なのになぜ。

 浮かぶのは「何もない広場」だ。

 そこに必要なものはなんだ。

 自分の行動を思い出す。

 小石をひょいと投げ込んだ。

 頭の中の広場に、小石がぽとんと落ちた、その瞬間だった。


 私は気づいてしまった。


 何を書いていいのか分からない。

 構想が浮かばない。

 道理でペンを握った指が動かないし紙は白紙のままだ。

 ははあ、これが違和感の正体か。

 とてもスッキリした。


 よし、私に文豪は無理だ、諦めよう。

 さあ次は何が流行るだろうか。

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紙とペンとあと一つ 亜未田久志 @abky-6102

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