【百合】SNSのラブレターに、唇で答える。

真己

SNSのラブレターに、唇で答える。

 三月一日、卒業おめでとう。


 照明の落ちた教室で、黒板を眺めて笑ってしまった。

「卒業、ねぇ」


 まったくもって、実感がない。卒業証書の入った筒は軽すぎて、もう高校生活が終わってしまった重みがない。同級生達の涙を拭ってあげたハンカチが、水分を持ったぐらいで、私には何の変わりもない。三年間使ってきた教室なら、何か感傷も湧くかと思ったのだけれど、この分だと無理そうだ。


 薄情者ではない。私だって、卒業は悲しい。この後の、クラスメイトで集まる食事会にだって参加する。思い出に華を咲かせるために。


 三年間、心残りはほぼ無い。学業でも部活でも、人間関係でも失敗はしなかった。失敗はしなかった、という発言は人によっては嫌みになるかもしれない。あえて言うなら、私はとても優秀だった。


 学業ならば、学年上位十人から落ちたことはない。大学も第一志望に推薦が決まっている。


 しかも、私は成績だけでなく顔もいい。スタイルにも自信がある。ジャンル分けするなら、和風美人だろう。長い黒髪をストレートに流すのが好みだ。部活のときは、結んでいるけれと。


 頭脳と見た目だけでなく、運動神経も私は平均以上に勝っていた。長距離の県大会で、表彰台の一番高いところに上ったときは、気分が良かった。


 わかると思うが、私は私が大好きだ。私ぐらいのレベルになれば、自信を持たないほうが謙遜が過ぎるということだろう。


 近付きがたい先輩であったと思う。けれど運が良いことに、部活ではとびきり可愛い後輩が私のことを好いてくれた。

 それでもう十分だ。


 心残りは一つ。スマホの電源を入れる。アプリをタップする。

 もうこれも使えなくなるのだ。


 三年A組津嶋今代つしまこよと書かれた、メッセージアプリ。これはこの学校の学生のみが使えるSNSだ。


 なぜこれが気になるかというと、私はこれで、告白されたのだ。364日ずっと。

 どんな文面を送られてきたのか、明言は避けよう。ただ、一度も文章は被ったことはない。普段の文体を隠すように、礼儀正しく、だけど熱を押さえきれないラブレターを貰ってきた。


 このアプリにはバグがあり、ある一定の条件を満たせば匿名でメッセージが送れてしまう。

 そのバグを利用して、告白メッセージを送ることが去年流行りだした。そして、ジンクスが生まれた。名前を明かさずに告白メッセージを送って、気付いてもらえれば、その恋は実るというものだ。


 メッセージの送り主を見破れる時点で、その相手を意識してるだろう、というツッコミは無しである。


 さて、その告白メッセージを、今受け取ったのだ。


『先輩の、揺れるポニーテールめがけて、いつも走ってました。追いかけてました。だから部活頑張れました。ずっと先輩が目標でした。ずっと見てました。ずっと、ずっとセンパイ、センパイ、お願い卒業しないで、いなくならないで、引退しないで、あたしの前を走ってて。あたし、いまよっちゃんのことがす』


 読んで、ため息が出た。カツカツと、ローファーを鳴らして、後ろの引き戸を開いた。


「正体がバレるような書き込みしちゃ、ジンクスがダメになるでしょ、イツカ」


 戸に身を委ねていたのは、唯一、部活で私を慕ってくれた後輩だった。


「い、いまよっ、ちゃん……っ、」

 可愛い顔が、涙で濡れてしまって。

「きづいて、たの?」

「ええ」


 イツカは腰が抜けたようで、へなへなと座り込んだ。目線を合わせるために、膝をつく。

「わかるわよ。私と貴方だもの」

 ……じゃあ、なんで、と茶色の猫目が問いかける。私はふうっと耳に息をかけた。


 今までの人生で、一番の笑みを浮かべる。

「ジンクスが叶うか、叶わないか、貴方がドキドキするのを見てるのが、とーっても楽しかったから」

 

 思いもよらない返事だったようだ。イツカは、リンゴみたいに真っ赤な顔を俯かせる。上目遣いで、ぽつりと呟く。

「センパイの、いじわる」

 甘えるみたいなその声を、ずっと独り占めしたかった。

 そんな風に思ってたなんて、貴女は知らないでしょう?


「イツカは、そういう私が好きでしょ」

 戸に手をつく。顔をうんっと、近づけた。私の黒髪が、イツカの茶髪と混じる。


「貴女のラブレターへ、この唇で答えていい?」


 SNSではあんなに雄弁だった貴女が、黙って頷く。

 卒業したって、離さない。

 お願い、余裕ぶった私を永遠に追いかけて。

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