コールスローなわたしたち

DDT

第1話

最寄駅からスクールバスで30分。

地方都市ながら、山間部の高台に位置するオレの大学は、完全に陸の孤島だった。

まわりにはコンビニさえない。朝から一日中授業が詰まったわれわれ一年生には、昼飯は死活問題である。

ここでは小さな売店兼学食がオアシス。

昼時には、広い敷地に低層で建てられた教室や研究室から、競歩をしながらわらわらと人が集まる。


学食は、近所の兼業農家のおばちゃん(推定年齢53歳)が、たったひとりで切り盛りしている。

よってメニューはひとつ、「日替わり」のみ。

その日の仕入れやおばちゃんの気分によって決まるから、われわれに選択の余地などない。「今日は学食」と決めたなら、目の前にあるものを食べるか食べないかしかないのだ。

好き嫌いのはっきりしたオレには思った以上にダメージが大きかった。

荒野のオオカミの捕食、そうつぶやいてみる。


月曜日。

休み明けの午前中3コマをクリアして学食へ向かうと、張り出されたメニューは豚小間カレー、そして付け合わせのコールスローサラダだった。

オレの眉間に浮きでた皺を感じる。

何よりこの、細切れキャベツのしなしなした触感が嫌だ。

調理後かなり時間が経っているらしい、取り分けられた小鉢の底には、酸っぱそうな水分がたまっている。

おばちゃんはオレを見るとすぐ、太い腕を振り上げて大なべからカレーをすくった。

今日の笑顔も清々しく漢らしい。そう、おばちゃんはこの学食の“法”であり良心なのだ。

いくら苦手だからって、サラダを断ることはできない。

もしそうしたなら、哀しい顔で「野菜は体にいいから食べな」と言うだけだろう。

オレはしずしずとトレイを抱えて隅っこの席に着いた。

同じタイミングで同級生の木島と増田がやってきて、いつもの面子が自動的に揃う。もう省力しすぎて、挨拶の声さえ発しない三人だ。それぞれに黙々とカレーとサラダを食らった……オレ以外は。


本日のオレのカバンの中にも、ジップロックが仕込まれていた。

こんな時のために、毎日頻度の多すぎるコールスローサラダのために、オレは対策を講じていた。

おばちゃんの目を盗んで、サラダを袋に移し持ち帰る。

それからアパートで両手を合わせてトイレに流す。


今日もこのミッションを遂行するべく、袋のジッパーを開けたその時。

いつのまにか傍らに女の子が立っていて、オレを覗き込んでいた。

この子は時々、階段教室の教養科目で一緒になる子だ。

ふわふわの白いニットが浮世離れした雰囲気。これで本日の豚小間カレーを食べるのか、と心配になるくらいの純白さだった。


もじもじと彼女は言った。

「それ残すんですか?」

目線の先には確かにオレのコールスロー。

固まっている木島と増田。

「……ヨカッタラ、ドウゾ」

オレの声はかすれていた。

「いただきます」

彼女は小鉢を持ち上げると小さく会釈をして、小走りに数人の女子が待つテーブルに戻っていった。

オレたちは彼女の姿をガン見で追った、ぶしつけさなんて忘れ去って。

「天使降臨」

増田がつぶやいた。

彼女の食べる姿を引き続き見続けようとする木島と増田を急かして、オレは席を立った。オレたちは足をもつらせてひとかたまりになりながら、その日学食から去ったのだ。


火曜日。

今日のメニューは、スパゲティナポリタン。付け合わせは無し。

オレたちはがっくり肩を落とした。

「おばちゃん、サラダないの?」

果敢に増田が抗議して、オレも便乗する。

「いつだってなんだって、コールスローサラダついてるじゃん」

「キャベツ高いとよ」

そう言って、おばちゃんはオレの顔を見ながらにやにやした。

「あんたがそんなにコールスロー好きとか知らんかったばい」


結局その日、あの子は姿さえ見かけなかった。お仲間の女子たちもいなかった。休講か、天気がいいから外でピクニック状態なのか。もしかしてコールスローがないから学食で食べるのをやめたのか? 妄想が膨らむ。

黙々と食べながら、オレは密かに決意したことがあった。


水曜日。

授業を抜けて一足先に学食へ。

まだ仕込み最中のおばちゃんが顔を上げた時にすかさず、ずっしり重い買い物袋を差し出した。

「これ差し入れ」

「えええええ」

オレは昨日のうちに安売りスーパーで、キャベツ大玉を三つ仕入れておいた。これがあれば万全、絶対サラダはついてくる作戦。

あきれたようにおばちゃんは言った。

「ありがたいけんど、今日は天ぷらうどんよ」

「いいじゃん上等!」

口の中でシャッフルすれば、「天ぷらコールスローうどん」のハーモニーだ。

一足遅れてきた木島と増田とともに、川面にウキを流すかのごとく、オレたちは何食わぬ顔でうどんを啜る。

そこにやっと現れた、例の女子大生の群れ。

見つめるオレに気が付いて、彼女はちょっと動揺したようだった。

席に着いてからしばらく、まわりに一声二声かけて思い切ったように立ち上がり、すすすすっとテーブルをぬって向かってきた。

「かかった!」

心はもう釣り人。

「どうぞ」

うやうやしく小鉢を差し出すと、彼女はふふっと笑った。

「いただきます」

今日はゆるふわなスカートとピンクのカーディガンが似合っている。その後ろ姿を見送りながら、

「もったいない天使か」

と木島が言った。

「なんでお前だけ」

増田が不服そうに鼻を鳴らした。


木曜日。

今日のオレには余裕があった。

何しろ昨日の彼女の好印象があれば、間違いない。

追加のキャベツも持参した。間違いない。

だから今日こそは話しかけよう。そして、できることならデートに誘ってみたい。


昨日に続いて早めに学食に向かう、その足どりは軽かった。

しかし今日に限っておばちゃんが見当たらない。キャベツを抱えたままオレは立ち尽くす。

「ハーイ」

声をかけられて振り向くと、ニコニコ笑うタイ人留学生のアナンくんがいた。

同じ学部なのでお互いに挨拶しあう仲である。ただアナンくんは先月日本に来たばかり。現在、日本語を絶賛勉強中なのだ。

身振り手振りでおばちゃんのことを聞いても、ニコニコしているだけだった。

当然のように厨房に入って準備を始めたアナンくんに、キャベツを渡すと「オー」と喜んだ。しょうがない、そのまま成り行きを見守ろう。

本日のメニューはカオマンガイとガラムプリートートナンプラー。

タイ語で書かれた張り紙はよくわからないが、アナンくんによるとこう読むらしい。

キャベツはコールスローに刻まれることなく、一枚一枚剥がされた姿のままで、ナンプラーであまじょっぱく炒められて登場した。ひとり当たりべろんと一枚お皿にのって、見慣れない最終形態だ。

正午を過ぎて、わらわらと人が集まってきた。

オレはトレイを持っていつもの席に着く。

今日は木島たちより先に、彼女を含む女子グループが賑やかにおしゃべりしながら入ってきた。いち早くオレの姿を見かけた彼女は微笑んだ。友達に腕をつつかれたりして、照れている。

もう手ごたえしかない、それなのに。

カウンターのキャベツをみて、彼女の表情は固まった。

そのインパクトのせいか、成り行きか、物事の流れが変わってしまったのか。オレたちは接触することなく、何事もなかったかのように昼飯を終えて、午後の授業に散っていった。

キャベツを箸でつまみ上げて振り回し、ギャハギャハ笑う増田の声だけが耳に残った。


金曜日。

昨日は何かに気圧されて、ライフパワーが奪われてしまった。いや、神の手に阻まれた?

今日こそは、とオレは思った。

われながらしつこいと思いつつも、寄付するキャベツ三玉を準備。もはや願かけ、お守りに近い。恋愛成就とオレはつぶやく。

早めに学食へ行くと、おばちゃんがいつもと変わらない姿で準備を始めていて、ほっとした。

「昨日は急に悪かったねー。突然チケットが取れたんで、娘とふたりで高速艇に乗って“おとなり”まで」

おばちゃんが愛する韓流スターのリサイタルに韓国へ行ったらしい。

「これみんなにおみやげ。大皿にばーんとだしちゃらんね」

ゴミ袋くらいある黄色いビニールに、本場のキムチがずっしり詰まったのをカウンター越しに渡された。

オレは大雑把に袋を開けて持ち上げ、勢いよく傾けた。かたまりになったキムチがどどっと器になだれ込み、「しまった」と思う間もなく汁が飛び散る。

赤い飛沫がオレの眼鏡にかかる。

「あっ」と後ろから小さい悲鳴が聞こえた。

彼女だった。

レモンイエローのジャケットに赤い点々が、前衛絵画のように散っていた。……もうダメだ、取り返しがつかないと思った瞬間、なぜか言葉が口をついてでた。

オレは自己紹介をしでかしていた。

「オレ経済学部の篠田保です。明日空いてませんか、あの、ごはんでも」


改めて金曜日。

月曜日に思い切って、声をかけてよかった。

何てことをしちゃったんだろうと思って、恥ずかしくて恥ずかしくて、夜になると熱が出て次の日休んでしまったけれど。

この一週間、わたしの顔を覚えてくれたみたいでただただうれしい。

昨日はがんばって少しでもお話しようと思ったのに、いつもと勝手が違って言い出せなかった。

まわりにみんなもいたし。

今日こそは、一人で先に学食に行って篠田くんに声をかけよう。

そう思って、わたしは3限目の授業をこっそり抜けて学食に向かった。勘は当たった、とドキドキする。入るなり、篠田くんが学食のおばちゃんと話しているのが見えた。

その瞬間何かが飛び散って、「あっ」と言う間もなくわたしのジャケットに降り注いだ。

これはキムチのにおい? びっくりしすぎて何も反応できず、「まあきれい」とバカみたいにわたしは思った。

篠田くんは言った。

「オレ経済学部の篠田保です」

いや、もう知ってます知ってます。4月にお見かけしてから、受講者名簿で確認済みです。心の中でわたしはつっこむ。

「明日空いてませんか、あの、ごはんでも」

「もちろん空いてます、よろこんで。

あ、わたし文学部の谷村聡子です」


終わり

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