花咲く君へ、令状請求

仲咲香里

花咲く君へ、令状請求

恭弥きょうやさんの合服あいふく、やっぱ超カッコいいー! お願ぁい、上着脱いで白シャツ姿見せて?」


 また始まった。陽菜ひなの意味不明なお願いが。


 午後十時を過ぎて最低限の人員しかいない一階当直席。カウンター越しに響く上目遣いでねだる女子大生のソプラノの声は、場違いにも程がある。

 これで素面しらふ、これで二十一歳なんだから、おれじゃなくても日本の将来に不安がよぎるだろう。


「そこ、堂々と盗撮しない。で、陽菜ちゃん、これは何時頃……」


「恭弥さぁん、それで、いつもみたいにネクタイ緩めながら「着替えてる時にあんま見んなよ、恥ずかしいだろ、陽菜」って囁いてくれたら、最っ高……」


 ガンっと後ろの机に今までおれが座ってた椅子がぶつかろうが、同僚からそれに対する苦情が出ようが、今はどうでもいい!

 勢いよく立ち上がったおれは「きゃっ」と喜ぶ陽菜に顔を寄せて睨んだ。


「それは夢の話だろっ? まことからいつも陽菜がアホな寝言言ってるって聞いてるぞ! おれに冤罪を着せるな。それより早く、この財布をどこで手に入れたか今すぐ吐け! 酔っ払いで保護して、一晩、保護室で過ごさせてやろうかっ?」


「やだっ、取り調べ? まさか、脅迫? でも、恭弥さんになら今すぐ逮捕されたーい! そ、れ、よ、りー。恭弥さんが私に内緒でお兄ちゃんから色々聞いてたなんて、初めて知ったぁ。もう、直接私に聞いてくれればいいのに、恥ずかしがり屋なんだからぁ」


 そう言って目線を下に頬を赤らめる七歳下の陽菜。クネクネすんな。これなら、酔っててくれた方がまだマシだ。


 軽く動揺してるおれの気も知らないで。


 出会いは四年前。

 まだおれが、大学卒業後すぐに採用された警察官なりたての、ある夏の日。たまたま遊びに行った警察学校で意気投合した同期の誠の家でだった。

 その時、陽菜は十七歳の高校生で、おれが一般常識としてただ一言「こんにちは」って挨拶した瞬間、「私の警視総監様!」ってものすごい勢いで突進して来て以来、ずっとこんな調子で前のめりに押して来る。


 おれは警視総監なんて野望は持ってない。一生、現場で戦っていたい。

 ……今のは変なスイッチ入った。

 これもスピード違反の取り締まりに出るとなぜかあちこちから「総長!」って声の掛かる誠の影響だな。ちなみに誠が暴走族だった事実はない。


 とにかく陽菜は、交番勤務の時も、巡回中も、休日に誠と会う日は必ず、おれを見つけると今みたいにぐいぐい来てた。今夜、当直勤務中にわざわざ本署まで来たのにはさすがに引く。

 この財布だって交番に届け出ればいいのに。


 言っとくけど、おれは陽菜に今まで指一本触れたことはない。二年前まで彼女がいたし。それも半分陽菜のせいでフラれたようなもんだ。

 したがって、陽菜の前で着替えたことなんて当然あるはずもない!


 そもそも、今日おれが当直だってどこから聞いたんだ。……容疑者は一人、いや、二人しかいないけど。


 本当、バカみたいにおれ一筋で。やんわり距離を取ろうと、冷たく追い返そうと、真面目に諭そうと。

 いつも陽菜は、真っ直ぐな目をして明るい笑顔でおれの名前だけを呼んで来る。


「頼むから協力して、陽菜ちゃん。財布の持ち主も困ってるだろうし、陽菜ちゃんもこんな時間までフラフラしてないで早く帰らないと。何かあったら誠も……ご家族だって悲しむよ」


「はぁい」


 本当におれが困った顔をするとちゃんと素直に応じてくれる、根はいい子だって知ってる。

 ただ……。


「ねぇ、恭弥さん」


「んー?」


 何とか諸手続きが終わった後、話半分でパソコンに向かうおれに陽菜が声を掛けて来た。


「この時間まで私が何してたか、気にならない?」


 カウンター上に置いた両腕に寝そべるように頭を預けて問う陽菜。そういう試すような顔、どこで覚えて来るんだ。

 思わず手が止まる。


「……友だちと遊んでたんじゃないのか? コンビニ行ってたとか」


「ふーん。他には?」


 他? 他なんてあるのか?

 陽菜に? まさか。

 大学生にとって、決して早いとも遅いとも言えない微妙な時間。

 でも、陽菜に限って、いや、まさか。


「……ご、合コンに人数合わせで仕方なく行ったけど、つまんなくて途中で抜けて来たとか? デ、デー……電球が切れたからお使い頼まれた、とか。ど、どうせそのへんだろっ!」


 最後は叫ぶように言い捨てたおれに、陽菜が「電球って何ーっ?」って涙を滲ませながら笑う。


 その笑顔が勤務中のおれを日常に戻してしまうから、おれは視線を逸らすしか無くなること、いつになったら気付くんだ。


 大学に入ってから緩く巻いた肩下で揺れる髪。纏う甘い香り。耳元、首元、手首で輝く華奢なアクセサリー。

 年齢がやっと追い付いて来た、大人っぽい服装。


 陽菜はどんどん変わって行く。おれの想像を超えて四年前より遥かに綺麗になった。

 言い寄って来る男もきっと多いんだろう。同年代の男友だちだって、もしかしたら他に気になる相手だって。


「正解はぁ。恭弥さんよりカッコいい人がいるって言うからサークルの飲み会に参加したけど、やっぱりいなかったから帰って来た、でしたー! 少しおしかったねー?」


「はあっ? 何だその理由! おれよりカッコいいやつがいるならそっち行くんだなっ。やっぱその程度なんだなっ。だったらこんなとこ来てないで、他探せよっ!」


 言ってしまってから、しまったと思った。慌ててまたパソコンのディスプレイを見る。


「あれっ、もしかして恭弥さん妬いてるの? 可愛いーっ! 大丈夫。恭弥さん以上に素敵な人なんていないから。ねぇねぇ、今度のお休みっていつ? 私、恭弥さんとデートしたい!」


「妬いてなんてない。デートなんてしない。これ以上居座ると公務執行妨害でマジで逮捕するぞ」


「いやーんっ、恭弥さんになら永久逮捕されたーいっ! 執行猶予無しで、奥さんにもなっちゃうぞ?」


「永久逮捕なんて警察用語は無いっ! そんな反省を促せない判決を裁判長が下すか! おれが何度でも再審請求してやるわっ!」


 いやいや、落ち着け、おれ。陽菜のペースに巻き込まれるな。

 ここは警察署。おれは警察官。

 相手は落ちてた財布を拾ってくれただけの善良な市民。善良な拾得者。


 ついでに同期の妹で。


 更にうちの署の刑事一課長の、娘だ。


 そう。

 同期の妹ってだけならまだしも、直属の上司の娘っていうのは、ついてるバックがでか過ぎる。刑事デカだけに。




 ……って、課長と誠なら絶対言うな!

 あの親子ならな! 決しておれじゃなくて!

 ちなみに誠は別の署の交通課だけどなっ。


「ひどーい、恭弥さん。そこまで言わなくたってぇ……」


 この嘘泣きもいつものこと。


「とにかく今すぐ帰れ! おれを家族でもてあそぶな!」


「ええっ? 何の話?」


「……いや、何でも無い。課長には言わないでクダサイ」


「ふふっ。言わないよー」ってクスクス笑う、ほら、その顔。

 人の嫌な面もたくさん見て来た。世の中いい人ばかりじゃないって、いいことばかりじゃないって思い知らされるこの仕事。無機質にさえ思えるこの場所で、陽菜の周りだけが柔らかく色付いて見える。

 事件現場では見逃してしまう、春に咲き誇る名前も知らない花々のように。


「絶対困ってるだろうし、そのお財布、早く持ち主に帰るといいね」


 その、優しさも。


「……あ、近くの交番に遺失届出てるから、すぐ連絡するよ」


「本当っ? 良かったぁ!」


「次はこっちだな」


「え?」


 同僚に遺失者への連絡を引き継いで、おれは自分のスマートフォンを取り出した。


 ともすれば、事件より娘の誕生日を優先しようとする課長と、妹の誕生日プレゼントを本気でおれに相談して来る兄。

 二人から手を出すなって言われてんのに、おれはいつまでその約束を守れるだろうか。


「誠、五分で迎えに来るって。良かったな」


「えーっ! 何でお兄ちゃんなんか呼ぶのっ? 私、一人でタクシー乗って帰れるのにーっ!」


 そんなことできるか。心配でそれこそ仕事に支障が出るわ。


「……来るまでそこのソファに座って待ってれば? あとこれ」


「え、えっ? 恭弥さ……上着……白シャツ……」


「い、言っとくけど、ここ冷えるから貸すだけだからなっ。……そんな目で見てもネクタイは絶対、緩めないから! ……妄想もすんなっ!」


「妄想ぐらいいいじゃん、ケチー。あーあ、私ばっかり好きって言うの、結構辛いのになぁ」


「……そう言えば、おれ、今度の日曜は休みだったかなー? やる事無いし、久し振りにドライブでも行こうかなー。でも、一人よりは誰かいた方が楽しいかなー」


 白々しく、別方向へ呟いてみる。


「……恭弥さん。それ、遠回しに誘ってくれてるって思っていいの?」


「え何のことでしょうかおれはただ駅前に十時に寄ろうかなって独り言言っただけで別に陽菜ちゃんと行きたいとか一言も言ってないんですが」


「えっ? えっ? 待って、早口過ぎて聞こえ無かったから、もう一回言って! ねぇ、恭弥さーんっ!」


 もう二度と言わない。

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