KAC4 平和をもたらす射手

神崎赤珊瑚

平和をもたらす射手

 驟雨に烟る路地で、ハンス・シュミットは待ち伏せていた。

 金星特有の有害重金属を多量に含む強酸性雨は、汚れた街路の汚れを溶かすと、更に最悪の汚染を広げてゆく。薄汚れたハンスのコートも、多少の耐候性能は備えているものの、長時間の野外滞在は体調の異変をもたらすだろう。無改造の肉体であったのならば。

 情報技術とサイバネ技術の融合と発展は、ついには、人の精神を肉体から引き剥がすことに成功したのだ。

 いわゆる義体である。生まれ持った肉体を捨て、好きな能力や容姿をもつ肉体で生活をする。

 ある意味夢のようなテクノロジーであり、ここ金星では、義体で活動する人間の比率は百パーセントであった。

 

「いったぞ、そっち!」


 誰かが、叫んでいる。こちらに逃げてくるものがいるのだろう。

 今日は、あるものを奪って逃げたテロ組織のガサ入れだ。

 テロ組織の摘発ももちろん、奪われたものを取り戻すのも重要な目的であり、だからハンスのようなフリーランスにまで声が掛かったのだ。

 実際、ハンスは自分向きの任務であると思っている。


 ガサ入れ現場から逃げてきたのは、

 ぽふん、ぽふふんと、可愛らしい音を立てながら走る、立ちワニのぬいぐるみだった。


 ハンスは――くまのぬいぐるみは、ワニの前に立ちふさがる。

 数発打たれながらも懐に入り込み、

 ワニとクマは、お互いの脳天に熱線銃ブラスターを当てた形で膠着する。


 ワニは、お互い知ってる相手であった。センサーでられる個別認識は、以前の義体のときにも捕まえたことがあるチンピラの名前を示していた。もちろん、向こうもハンスのことを認識しているだろう。


「聞いたぜ。もう引けないんだってな、腰抜けチキン野郎」

「試してみろよ」

「なんだと」

「だったら撃ってみろと言ってる」


 激高したワニが撃つのと同時に、ハンスはブラスターを手で払い、顎を下から、ぽいん、と蹴り上げる。返す刀で、振り上げた脚を脳天に、ぱふっ、と踵落としする。


「きゅ~」


 ワニは目をまわして、こてん、と昏倒する。

 ハンスはブラスターをホルスターにしまい、熱線がかすめた自分の側頭部を確認してから、ワニのぬいぐるみの懐を改めると、


「なんてものを……」


 禁制品の『紙とペン』をハンカチ越しに掴みだし、絶望したような表情で首を振る。


「お前が詫びなきゃならんのは、俺でも閻魔でもない。

 社会に懸命に詫びるんだな」



 急襲したアジトから、敵の本拠の情報が得られたらしい。

 イヌのぬいぐるみの若い警官が、ハンスらフリーランス組に、報酬条件を示し継続するかどうかを、確認して回っている。


「軍務時代の勇名は存じ上げております、『ザ・ウォール』どの!」


 ハッハッハッ、と呼吸荒いわんこのぬいぐるみに、忘れていた昔のあだ名を出され、ハンスは苦笑いする。

 なぜか警官は伝統的にイヌタイプぬいぐるみが多い。何か由来があるのだろうか。

 今回の件は、敵味方に見知った顔も多い。

 ハンスは、もちろん、報酬が割に合わなかろうが、最後まで進むつもりだった。空振り続きであったが、こんどこそ、目的に近づけている気がするからだ。

 タバコに火をつけようとしたが、すっかり湿気っていて舌打ちをする。


 割り当てられたのは、包囲戦で残党が逃げてくる目は薄いが捕捉が難しいゾーンだった。手柄の立てやすい持ち場は警官で、外しやすく難易度が高い持ち場はフリーランス、というのは、いつものことだった。



 アンナ・コワルスカの判断は早かった。

 この聡明なウサギのぬいぐるみは、配下の拠点が警察に襲われた一報を以て、組織の本拠を捨てる判断をした。

 情報社会に害をなすと禁制となっていた『紙やペン』は、あらかた奪われてしまったようだが、まだがある。があれば、まだ社会に擾乱を起こすことが出来る。

 金星では極めて珍しい桐の箱にしまい込み、大切そうに懐に収めた。

 拠点の記憶層ストレージを全消去した上、物理的に斧で一撃を入れ、配下には退去を命じる。

 これだけの規模と人員を集めるのに、再びどれほどかかることだろうか。しかし、諦めるわけにはいかない。あいつに復讐を果たすまでは。


 本拠からさほど距離のない高層ビルに、いざというときの脱出線が設けてあった。

 そしてビルの最上階。

 神の配剤か魔の悪意か、果たして逃げるアンナを待ち受けていたのは、あいつ――姉と姪の仇、『ザ・ウォール』ハンス・シュミットだった。


 ハンスは、その二つ名のとおり、広い領域を一人でカバーして、誰も通さない。

 あいつさえ抜ければ、屋上のヘリポートから脱出が可能なのに。


 わずかに傾げる大きな可愛らしいクマの顔。

 少し、たぽっと出た柔らかそうなお腹。

 パイル生地の短い手足。

 そして、真横に構える熱線銃。


 たった一人であるのに、ただ身じろぎ一つせず佇んでいるだけで、一縷の隙もない。

 まさしく、ウォールだった。


「やはり、お前だったか。アンナ・コワルスカ」


 ハンスは、辛そうにいう。


「姉さんの思し召し、かもね」


 アンナも、辛そうにいう。


「そうだな。あいつの思し召しかもしれん」

「アンタを更に苦しめるようにね」

「お前を、止めるためにな」


 背の高いウサギのぬいぐるみは、護身用に携行していた銃を取り出す。

 基本的な訓練こそ受けていたが、それでも元軍人などには敵うべくはない。


「撃てるの?

 自分の女とそのお腹の中の子を撃っても、なお。

 その妹までも撃ち殺さなければ、まだ物足りない?」


 挑発するような物言いをすると、あえて身を晒して、抜き身の銃を持ったまま、クマのぬいぐるみへ近づいてゆく。

 とっくにハンスの殺傷有効範囲キルゾーンに足を踏み入れているのは、素人のアンナでもわかる。その気になれば一撃で死ぬだろう。

 背筋は恐怖で凍り、足はすくむが、それでもウサギはふらふらと歩をすすめてゆく。


「撃てばいい。おれを撃って気が晴れるなら、好きなだけ撃てばいい。

 罪を償ったら、光の当たる世界に戻れ」

「アンタには関係ない!」


 ウサギのぬいぐるみは撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。

 銃に装弾していた全弾を外してしまう。


 アンナも本当のところはわかっていた。

 ハンスが苦しんでいないわけがない。アンナのことだって真剣に心配している。わかっていない筈はない。認めたくなかっただけだ。


 発作的にウサギのぬいぐるみは走り出し、

 ハンスが一番困る――苦しむことをしてやろうと、

 自分の存在が許せなくて消え去ろうと、

 相反した思いを抱えながら、

 屋上から飛び降りる。


「なんで!

 なんで助けるんだよ!」


 間一髪。

 届くことのないと思われた距離を、ハンスの壁は届いた。

 クマのぬいぐるみの手は、ウサギのぬいぐるみの手をしっかり掴んでいた。


「俺も、無様に生き続けるから。お前も生きろ」

「少しづつ忘れられていく姉さんが可哀相だ」

「忘れられる訳がない。

 記録が消え記憶が薄れても、この手が覚えている」


 幸せだった頃のハンスと姉の姿。義兄に少しだけ憧れていた自分の記憶をアンナは思い出す。そうだ、この義兄はひどく不器用なだけなのだ。


「ねえ。姉さんの最期を聞かせて。ちゃんと、何があったのか、『俺が悪い』で誤魔化さず、きちんと全部聞かせて。そしたら、許せる気がする」


 少しハンスは困ったような顔をするが、

「わかった」

 と答えた。



 ウサギのぬいぐるみが引き上げられる際、進み過ぎた情報社会に致命的な擾乱をもたらす桐箱に収まった〇〇サムシングは、懐からこぼれ落ち落下してしまった。

 落ちた先では完全に砕け散っており、絶滅した動物の牙の欠片などを検出したものの、原型の推定は不可能とされ、検察が立証をしくじったこと、軍出身の優秀な弁護士がついたことなどから、結果、アンナ・コワルスカは執行猶予のついた軽微な刑で社会復帰することになる。


 クマとウサギの探偵社に、業界が騒然とするのは、もう少し後のことであった。


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