きちがやくんは狂っている(仮)

弐刀堕楽

きちがやくんは狂っている(仮)

 吉ケ谷きちがやくんは狂っている。吉ケ谷恭樹きちがやきょうきくんは、私と同じ中学に通うクラスメイトだ。小学校も同じだったけど、お互いに接点はなかった。

 ところが中学に上がった途端、かれは急に私に興味を持ち始め、異常に執着しゅうちゃくするようになった。そして現在、私はかれを嫌悪けんおしつつも、なぜか今日その男と遊園地でデートをしていた。


「周りを見てください。みんな困ってますよ」

「それは君の責任だよ、大杉おおすぎさん。君が素直にぼくの恋人になっていれば、こんなことは起こらなかったんだ」

「でも観覧車を止めたのは私じゃないですよ。あなたの責任です」


 遊園地に来てから、吉ケ谷くんは真っ先に観覧車を選んだ。正直すごく怪しいと思ったのだが、実際にはもっとひどいことが起きた。

 かれは観覧車に乗ると、システムをハッキングして機械を止めたのだ。そしてかれこれ二十分以上、私はゴンドラの中に閉じ込められている。


「そんなに怒らないでさ。楽しいデートにしようよ」

「べつに来たくて来たわけじゃありません」

「それじゃ、何で来てくれたの?」

「それはあなたが無理やり! ……それより約束は守ってもらえるんですよね?」

「もちろんだよ。ちゃんと動画は消すさ」


 かれはこれみよがしにスマートフォンを振りかざした。あのスマホには私の恥ずかしい動画がたくさん入っている。


「しかし、まさか君にこんな趣味があったとはねえ。学校内でこんなに嬉しそうに、グチョグチョ、グチョグチョと……」

「や、やめてください」

「こんな風に、激しく乱暴に――虫を踏み殺していたなんてねえ」


 かれのスマホには、嬉々ききとした表情で昆虫を踏みつぶす私の姿が映っていた。

 確かに私は少し変だ。最初はただの虫嫌いだった。小学校で周りと馴染なじめず、皆から虫けらあつかいされているうちに、虫嫌いは殺意へと変わっていった。私は虫を殺すことでストレスを発散するようになった。

 最近ではエスカレートして興奮しながら殺している。もう性癖せいへきといってもいいくらいだ。しかしその行為もついに見つかってしまった。よりにもよって一番最悪な男に……。


「やっぱり君はぼくの彼女にふさわしいよ。ああ、こんな風にぼくを踏みつぶしてくれたら最高なのになあ」

「キモいこと言わないでください。それより下にいる係員の数が二倍に増えましたよ。これでもうおしまいですね」

「それはどうかな。おい、アーヌス!」


 吉ケ谷くんがスマートフォンに向かって話しかけた。


「状況はどうだ?」

『はい、マスター』スマホが機械的な声で答えた。『現状ハッキングが破られる可能性はありません。専門家が来ない限りマスターは安全です』

「それは頼もしい。引き続き妨害ぼうがいを頼むぞ」

『了解、マスター』

「というわけで、デートの時間はたっぷりあるそうだ」


 吉ケ谷くんは勝ちほこった顔でまたスマホを振りかざした。


「しかし良い時代に生まれたよ。あらゆるものがネットワークにつながっているからやりたい放題さ。ぼくが開発した人工知能エー・アイプログラム『アーヌス』にできないことなどない。ぼくのアーヌスを破れるハッカーがいたらぜひお目にかかりたいね」

「あの、少し言いにくいんですが……その言葉を連呼するのはやめた方がいいと思いますよ」

「何が?」

「アーヌスって名前……それ、外で言うのはあんまり良くないかと……。学校でもよく言ってますけど……」


 吉ケ谷くんは大げさに目を丸くして答えた。


「おいおい、勘違いしないでくれ。これは、かの有名なIT企業のAI『ケツアル』に対抗して名前を付けただけだ。決して変な意味じゃない。ちなみにケツアルは、アステカ神話に出てくる神『ケツアルコアトル』の名に由来している。かれは文明の神様だそうだ」

「そうだったんですか」


 勘違いを知って、私は赤くなった。

 しかし、どこか引っかかる。


「それで、そのアーヌスさんはどこの神様なんですか?」

「無知だな、大杉さんは。何も知らないんだから」


 吉ケ谷くんは心底あきれたという表情で言った。


「いいかい、アヌスは英語で『ケツの穴』って意味だ。つまり、アーヌスはそこから命名した」

「や、やっぱりシモネタじゃないか!」

「それもド直球のね」

「ド直球かよ!」

「でもケツアルに対抗してアーヌスって名前つけるのは、なかなかシャレてると思わないかい?」

「思いませんよ! 最悪だ!」


 そのとき、吉ケ谷くんのスマホからまた機械的な声が聞こえてきた。


『マスター、お電話です』

「なあ、アーヌス。大切なデート中だから電話は無視するようにって言っただろ?」

『お姉さまからです。以前、居留守を使ったときには私が三時間も愚痴ぐちを聞かされました。もう二度とやりたくありません』

「はあ、しょうがないなあ。つないでくれ」


 吉ケ谷くんはスマホをスピーカーに切り替えた。ゴンドラ内に通話相手の声が響いた。


『もしもし? きょうちゃん? 今どこにいるの?』

「買い物してるよ」

『……嘘よ。嘘つき、嘘つき、嘘つきィー!!』


 吉ケ谷真梨衣きちがやまりい。吉ケ谷くんのお姉さんだ。

 そして彼女は重度の……。


『誰かとデートしてるでしょ! デートの時は姉さんも連れて行くって約束だったのに!』

「そんな約束してないけどね」

『どうせまたあの女なんでしょ。大杉文子おおすぎふみことかいう、根暗メガネのアバズレに言い寄られたのね? あの女を電話に出しなさい! いるのはわかってるわ! 全部見えてる――ブツン!』


 吉ケ谷くんは電話を切った。


「あのブラコンっぷりにはある意味感心するね。まったく、身内に頭のおかしいのがいると苦労するよ」


 お前がいうな、お前が。

 いや、それよりも……。


「吉ケ谷くん。あなたのお姉さん、最後に『全部見えてる』って言ってたけど」

「ああ、嫌な予感がする」吉ケ谷くんは窓の外を見た。「やっぱりだ。姉さんが下にいる。さては、ぼくの後を付けてきたな」


 観覧車の下では、細身で小ぎれいな格好をした女性がこちらを見上げていた。顔の表情は見えないが、全身からはただならぬオーラを放っている。


 と、そのとき―― 

 ガコンッ!


「な、なんだ?」


 突然ゴンドラが動き出した。

 スマホからは再びアーヌスの声が。


『マスター、大変です。防壁を破られました。現在、観覧車のシステムが何者かによって乗っ取られています』


「しまった。姉さんの仕業だ」

「お姉さんもハッカーなんですか?」

「そうだ。腕はぼくと互角か、それ以上だ。やっかいな相手だよ」

「よかった。ようやく降りられる」

「それはどうかな。姉さんは怒っているときには容赦ようしゃしない。たとえ相手がぼくであってもね。さあ、手すりにつかまって」


 吉ケ谷くんの予想は当たった。観覧車はどんどんと回転の速度を増し、他の乗客の悲鳴が辺りに響き渡った。


「ど、どうするんですかこれ。早く何とかしないと」

「ああ、わかってる。……仕方がない。奥の手を使おう。本当はやりたくなかったんだが――おい、アーヌス。いるか?」

『はい、マスター』

「この近くを飛行しているドローンを一台捕まえてきてくれ。カメラ付きのやつだ」

『了解、マスター』


 まもなくアーヌスから連絡があった。


『マスター。宅配用ドローンを一台確保しました』

「でかした。そいつをぼくたちの乗っているゴンドラのすぐ外に連れてくるんだ。そしてドローンの動きをゴンドラの動きと同期させろ」

『了解』

「それで、どうするんですか?」

「写真を撮る」

「写真?」


 吉ケ谷くんは私の方を決然けつぜんとした顔で見つめた。


「ケツの写真だ」

「は?」

「姉さんはぼくのことが好きすぎて、ぼくのプリティな生尻なまじりを見ると顔を赤らめて逃げ出す習性がある。ああ見えて意外とピュアなのだ」

『マスター。ドローンの準備できました』

「よし!」

「ちょ、ちょっと待って!」


 私の制止を無視して、吉ケ谷くんはズボンのベルトに手をかけた。そして一気にずり下ろす。ついでにパンツも脱げた。

 私はあわてて顔を手でおおうが、指のすき間からはバッチリと見えていた。その……吉ケ谷くんのアレが……。それは小さくちぢこまって芋虫いもむしのようだった。意外とかわいいかも。

 脱ぎ終わると、吉ケ谷くんはゴンドラの窓ガラスにお尻を押し当てて叫んだ。


「今だ、アーヌス! ぼくのケツを写せ! 早くしろ!」

『了解、マスター』


 パシャパシャというシャッター音。


「撮れたか?」

『はい、マスター。きれいな曲線を描いております』

「ぼくのケツの感想はいい。それより早く園内にあるモニターにその写真を拡散するんだ。できるだけ多く、あのバカ姉の目に触れるように頼む」

『了解』


 十秒後、観覧車の動きが止まった。


「見ろよ! 姉が逃げていくぞ!」

「それより早くパンツはいてください!」

「ああ、すまない」


 吉ケ谷くんはパンツをはきながら、スマホを眺めていった。


「いまアーヌスから画像が送られてきた。喜べ。君も写真に映っているぞ」

「え?」

「大杉さんの顔がばっちりとね。ちょうどぼくの股ぐらの下に君の顔がある。これは、頭の上にち◯こが乗っているようにも見えるな」

「うわあぁー! 最悪だー!」

「まあいいじゃないか。観覧車は止まった。ぼくたちは世界を救った。これで下に戻れるぞ。よかったな、ち◯こ大杉!」

「名前の頭にまで変なものくっつけないでください! 色々やばくなる!」


 下に降りると、吉ケ谷くんは意外にもおとなしかった。

 少しは反省したのだろうか。かれは帰り道で、残りの動画はすべて消すと約束してくれた。


「あーあ。この映像があれば、あと二ヶ月はデートに誘えたのになあ……」

「それはデートじゃなくて脅迫です。普通に誘えばいいのに……」

「え?」

「何でもないです」

「いま普通に誘えって言わなかった?」

「言ってません! 置いてきますよ」


 私は小走りで駆け出した。顔が熱い。耳まで赤く染まっている。今日、私は吉ケ谷くんのことをそんなに嫌いではなくなったのかもしれない。

 だって、どうしても想像してしまうのだ。吉ケ谷くんのアレを……芋虫みたいなアレを……思いっきり踏み潰すところを……。


 きちがやくんは狂っている。

 そしてたぶん、私も同じく狂っている。

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きちがやくんは狂っている(仮) 弐刀堕楽 @twocamels

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