きょうだい決定戦

violet

妹萌えと弟萌え

 唐突に家族が増えた。


  とおるの父は全世界を旅しており、ほとんど独り暮らしだった。そんな父から、電話が掛かってきた。


「透やっほー! 突然だけど、こっちで出会った女に一目惚れしちゃってさー。結婚することになったわー! ひいては結婚相手の娘さんが我が家に住むことになるので、そこんとこシクヨロー!」


 透の発言を待たずに通話は切れた。そして透は目の前にいる女性を見た。


「その結婚相手の娘である、茜です」


 茜は玄関にて律儀に一礼した。


 透はただ絶句し、茜を見つめた。黒髪ロングのその女性は透よりも背が高い。


「お、おやじ……」


 透はようやく、父への怨嗟の声を絞りだしたのだった。


「あがっても良いかしら」


 そう言って微笑む茜。透はその顔を見て、ようやく同じ高校に通う同級生だということに気がついた。


「ああ、どうぞ」


 透は初めて、両親以外の家族を家に招き入れたのだった。





 二人はリビングに移動して、テーブルについた。LDKなのでキッチンもすぐ近くにある。


「それにしても、お互い親には苦労するわね」


 呆れた顔で茜は言った。父のあのノリが通用してしまった時点で、茜の母親もろくでもないことは間違いなかった。


「ああ、まったくだ」


 透も同調してため息を一つ。


「そうだ。飯まだだろう? すぐ作るわ」


 透はそう言って立ち上がろうとする。


「え、いいよいいよ。これから沢山お世話になるんだし。今日くらい私が」


 と茜が制止した。


「いやいや。今日は俺が作る予定で、冷蔵庫もそうなっているから」

「大丈夫。任せてよ。私ありものでご馳走作る天才だから」

「移動で疲れているだろう? 休んでろって!」

「タクシーで来たから! それよりいつも一人で家事やっているんでしょう? 今日は楽しなよ!」

「ああ、わかった。白状するよ。可愛い女の子の前だから、格好つけたいんだ。な、頼むよ。格好つけさせてくれよ」

「んもう、わかったわ。降参。可愛い弟ができたから、張り切りたいのよ。今日はお姉さんに甘えちゃって」


 茜の言葉で、透は目を見開く。


「誰が弟で、誰がお姉さんだって?」


 透が言うと、空気が変わった。


「そんなの決まってるじゃない。私がお姉さん。あなたが弟」


 茜が透に指を指した。


「いやいや。俺がお兄さんで、君が妹でしょ」


 透も茜に指を指す。戦いの火蓋は切られた。





「あなたがお兄さん? 私よりも背が低いのに?」


 茜は身長差を利用して、文字通り見下して言った。まずは茜のジャブである。


(ぐぬぬ。確かに俺の方が身長が低い。身長が高いほうが年上っぽい……!)


 全くそんなことはないのだが、二人の基準ではそうらしい。そして茜のジャブは透にかなり効いていた。そもそも二人はまだ出会って数分の関係。まだお互いについて何も知らない状態で相手を陥れるには、見た目をいじるほかない。しかし、透から見て茜は完璧だった。長い髪は手入れも大変のはずだが、艷やかでしっかり整えられていた。肌も綺麗で、顔のパーツも丁度よい感じに揃っている。服装も、白いトップスとブラウンのスカートという落ち着いた感じで、ケチのつけようがなかった。


(あなたには悪いけど、念願の弟の為よ)


 そう、茜はかねてから弟萌えだった。一人っ子の彼女は、毎晩ちょっとだけ年下の弟に、お姉ちゃんと呼ばれながら甘えられる妄想に耽っていた。


「おい、ちょっと待て。身体のことを言うなんて、ずいぶんとデリカシーに欠けた人だな。そんな人をとても姉として敬うことなんて出来ないぞ」


 透の言葉に、茜は言葉に詰まった。茜、痛恨の失策である。そう、自ら攻め入る隙を相手に与えてしまっていたのだ。透の言う通り、相手を思いやれない人が誰かの上に立つなんて以ての外である。


(お兄ちゃんと呼ばれる為なら、なんだってしてやる)


 何を隠そう、透は生粋の妹萌えだった。好きな漫画のキャラクターは主人公の妹。たまに遊びに行くメイド喫茶には、お帰りなさい、お兄ちゃんと言わせていた。動画投稿サイトに投稿されている妹萌えボイスを聴きながら、毎晩眠りについていた。


「あら、私は弟のコンプレックスをしっかりと受け止めた上で、優しく包み込んであげるようなお姉さんなの」


 IQ200オーバーの機転炸裂。自らの失策によって生じた危機を、なんと一言だけで一転させてしまった。思いやりのない冷たい人から、辛い時につい甘えたくなるようなお姉さんアピールに成功したのだ。


「いつだって甘えて良いのよ? ねぇ、と・お・る」


 そして茜の畳み掛けるような反撃。親は自分の子どもに対して、子どもとは呼ばない。兄や姉は弟や妹に対して弟や妹と呼ばない。そう名前で呼ぶのだ。カーストの高い者は低い者に対して名前で呼び、逆の場合は通称で呼ぶ。お兄さん、お姉さんと。


(く、くそ……。不覚にもときめいてしまった!)


 透はやはり高校生。同じ歳の異性から名前で呼ばれるなんて、初めてのことだ。心臓がどきんとして、顔を紅くしてしまうのも無理はない。


(うん……?)


 しかし、透は気づいてしまった。


(こいつ……自分で言っておいて恥ずかしがってやがる……)


 そう、茜も同じ歳の異性に対して名前で呼ぶのは慣れていなかったのだ。


(う、嘘でしょ……勢いで言ったけど、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど……!)


 みるみる頬を紅くしていく茜。その様子を見た透は、少しほっとした。


「なんだ、急に名前で呼んだと思ったら、照れているのか」


 ここぞとばかりにいじる透。


(よし、ここで)


 トドメの一言を透は言う。


「きゃ、きゃあいい、じゃん!」


 透、ここにきてまさかの自爆。それはもう熟れた林檎のように存分に顔を紅くして、そして盛大に噛んでしまった。可愛いじゃん、と言うことが出来てさえいれば、妹を可愛がる兄、兄に可愛がられて照れる妹という構図が完成していた。


「へ、なんて?」


 しかし茜、自分のことで必死になり過ぎたあまり、相手のミスを見逃してしまう。


「い、いや。なんでもない。なんでも」


 透、無難に返事をしたものの、しかしチャンスをふいにしてしまった。


 そして、両者のお腹がぐうと鳴る。


「飯、作るか。手伝ってくれ」

「うん、わかった」


 ここでハーフタイムです。





(よく考えてみれば、誕生日が早い方が兄、または妹でしょう)


 カレーをすくって口に運ぶ茜は、そんなことを思っていた。


「ね、ねえ。透」

「ん、どうした茜」


 クールダウンした二人は、普通に名前を呼びあえるくらいに親密になっていた。


 茜は透に誕生日を尋ねようとした。しかしその前に、茜のスマホが振動する。茜は話を中断してスマホの画面を見た。


(えっ)


 茜のスマホには母親からのメッセージが表示されていた。内容はこうだ。


”誕生日的に透君の方がお兄さんだから、しっかり甘えちゃいなさいっ! あ、でも兄妹なんだから、エッチなことしちゃ駄目だぞっ(ハート)”


 茜の敗北が確定した瞬間である。


(いや、待って。そう。これは不幸中の幸い。誕生日を聞いていたら私が妹になるところだったのよ。そう。まだ挽回のチャンスはある)


 茜は思考した。思考して思考して、いつの間にかカレーを食べ終えていた。そしてようやく茜は、挽回の目処が立って口を開いた。


「ねえ、透。大人のお姉さんって、良いよね」

「うん? 良いかも知れないけど」


 その瞬間、透は男の本能からか、一瞬だけ茜の色っぽいお姉さん像を想像してしまう。透の、その気スイッチ。茜に見つけられてしまったのだ。


「透、私をお姉さんにしてくれるのなら」


 茜はテーブルに乗りかかるように立ち上がって、透に顔を近づけた。すると茜の着ているトップスが弛んで、そこそこに大きい胸の谷間が見えてしまう。


「突っつくだけなら、良いよ」


 禁じ手。女性としてあるまじき、お色気作戦である。しかし茜にとって、この行為はそれ程彼女自身のプライドを傷つける訳ではなかった。


(まあ、触らせないけど。触れそうになった瞬間に止めて、責め立ててやる)


 そう、これは釣りである。透が茜の胸に触れそうになれば、それはもう意思の表明である。僕は所詮、兄になるより胸を触っていたいだけなんです、と。


(あ、茜。今なんて言った? おっぱい触っても良いって? マジで? マジなの?)


 そして透の右手が、ゆっくりと茜の胸に向かってムーブしていく。摩擦係数はない。その距離約30センチ、25、20、15……。


「透やっほー!」


 寸前のところで、透の手は止まった。聞こえるはずのない声が響いたからだ。


「と、父さん! 日本に来ていたの?」


 そういえば先程の電話は国内の番号だったと、透は思い出した。


「いやー、透を驚かせたくってねー!」

「はは。まったく、父さんは」


 そして、きょうだい決定戦はひとまず延期となったのだった。

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きょうだい決定戦 violet @violet_kk

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