ゾンビ 対 スリーパー

新巻へもん

アポカリプス

 浩司は恵理に大事な話があるの、と言われて呼び出された。恵理のアパートまで車で迎えに行き、移動中だが、恵理は心ここにあらずといった体で反応が薄い。浩司は助手席の恵理に視線を向ける。スマートフォンに視線を落とす恵理の横顔からは感情が読み取れなかった。


 やっぱり、先週のこと、まだ怒ってんのかな。浩司は視線を前に戻した。


 大学の語学クラスで一緒になった恵理に一目ぼれした浩司が、少しずつ距離を縮めて、3度目のデートをしたのが先週末。ショッピングモール内のカフェでバイトをする恵理をピックアップして、映画を見て食事し、恵理のアパートまで送っていった時、いいムードだったのでキスをした。


 唇が触れ合い、反応も悪くないので、思わず浩司は恵理のバストに手を伸ばす。双丘の間にシートベルトが通りその存在を強調しているが、恵理はかなりバストが大きかった。具体的なサイズは良く分からないがでかい。とてもでかい。その瞬間に、恵理は手で浩司を払いのけ、シートベルトを外して車を降りてしまった。


「送ってくれてありがとう」

 そう言ってアパートに向かう恵理を浩司は見送ることしかできなかった。


 その後、メールで連絡したり、大学で会ったりしたときは特に怒ったようなそぶりも無かったので安心していたが、今日のこの態度からすると結構危機的状況なのかもしれない。大事な話ってまさか別れ話……。


「どこに行こうか?」

「どこか落ち着いて話せるところ」

 国道沿いのファミレスの名を告げると、おざなりに首を縦に振る。恵理のスマホにメッセージが着信し、恵理がビクっとする。ラジオに手を伸ばしてスイッチを入れた。


 ラジオでは、最近、アメリカやアフリカ、ドイツで発生している謎の猟奇殺人事件の話をしていた。

「なんだろう。最近物騒な事件が多いよね」

「ええ。そうね」

 

 そこへ音楽が流れ緊急ニュースが流れる。東京で何か大きな事故か事件があったみたいだ。そして、大阪でも同じような事故が発生したことをアナウンサーが切迫した声で告げる。

「始まってしまった……」

「え? 何が?」


「ごめん。私のバイト先に連れてって」

「え?」

「いいから、お願い」


 普段はおっとりとした恵理の厳しい声に浩司は素直に従う。

「急いで」

「いや、これ以上スピードを出したら違反で捕まっちゃうよ」

「そんな心配はしなくていいわ。もう、警察はスピード違反なんて相手してられないから」


「え? どういうこと?」

「本当はゆっくり話したかったんだけど、私の予想が甘かったわ。コージはゾンビって信じる?」

「いきなりなんだよ。それは映画の中の……」

「これまではね」


 前方で煙が上がり、車が渋滞をしていた。皆、クラクションを鳴らしているが、ちっとも動かない。結構大きな事故のようだが緊急車両が来る様子はない。何か変だ。ショッピングモールまではあと1キロほどある。助手席の恵理は手が白くなるほどスマホを強く握りしめていた。浩司はコンビニの駐車場を突っ切って脇道に入った。


 ドライビングテクニックを駆使して裏道を疾走し、ショッピングモールの看板が見えてきたときだ。前方をふらふらと歩く集団が見えた。それから後ずさり逃げようとしている人々が血相を変えて思い思いの方角に走っている。近づくにつれてフラフラと歩く人のように見えたモノの異様さが分かるようになる。灰色がかった不健康な肌の色とところどころにこびりつく赤黒い染み。


 浩司の目の前の光景が信じられなかった。転んだおじさんに灰色の肌の集団が襲い掛かり、あちこちに歯を立てる。暴れていたおじさんは大人しくなり、ゆらりと立ち上がると集団の仲間入りをする。その空虚な目が浩司の車に向けられる。


 その光景に魅入られたように車を減速しようとする浩司の頬を恵理が平手で叩く。

「何してるのっ? スピードを落とさないで」

「でもこのままじゃぶつかって」

「いいからアクセルを踏んでっ!」


 反射的にアクセルを踏むと車が加速する。一気に距離が縮まり、灰色の肌の集団に突っ込むと何人も跳ね飛ばした。どんどん、という衝撃が車に伝わる。もう浩司には何が何だか分からなかった。


 なんとか、ショッピングモールに滑り込む。あっちよ、との恵理の声に従業員用の入口の近くに車を止めた。

「早く、車を降りて」

「え?」

「いいから、早く。死にたいの?」


 恵理は浩司のシートベルトを外し急き立てる。車を降りて、鉄の扉に向かおうとすると建物の角から灰色の肌の化物が現れ、こちらに向かってきた。浩司の右手をつかんで従業員用の扉に向かっていた恵理はそのまま走り続ける。

「恵理。このままじゃ……」


 パン。乾いた音がして化物の頭が吹っ飛ぶ。いつの間にか恵理の右手には小さなものが握られ白い煙を上げていた。

「早く。これはあと1発しかないの」

 急き立てられて走る。従業員用のドアを開けると恵理が飛びこみ、浩司を中に引っ張り込んだ。ドアが浩司の後ろで閉まる。


 そのまま、恵理は浩司を引きずるようにしてバックヤードの通路を走り、立入禁止と書かれた扉の前で止まった。肩から下げていたハンドバックからカードを取り出すと読み取り部に当てる。ピっという音と共に扉から重い金属音が響く。その扉を力を込めて恵理が引き開け、二人は中に入った。


 ふう。と恵理は息を吐きだす。

「とりあえず、これで話をできるようになったわ」

「一体どういうことなんだよ? あの化物はなんなんだよ? それにその右手の物は?」


「審判の日の始まり。あの化物は特殊なウイルスに感染したヒトの成れの果て。これはデリンジャーよ。護身用の拳銃ね」

 浩司は情報の多さに困惑しながら、恵理にすがるように見る。

「どこから出したのって顔ね」


 恵理は妖艶な笑みを浮かべるとデリンジャーを胸の谷間に押し込む。そして浩司の手を取って、自分の胸に押し当てた。

「一般人にしては取り乱さずによくついて来れたわ。私の見立ての通り。ほらこうしていると落ち着くでしょ」


 浩司は手に触れる柔柔とした感触にすべての感覚をもっていかれていた。

「男ってしょうがないけど、便利よね。これだけで落ち着くんだもの。さっきまでの怯えた表情が消えたわ。悪いけど、今はここまで。ついて来て」


 再び浩司の手を取って歩き出す。

「映画みたいにここに立て籠るのか? ここは大丈夫みたいだけど、表はたぶんもうあの怪物で一杯だと思うけど」

「どうして?」

「正面のガラスが割れてたし、構造的に遮るものがないよな、この建物」


「動転してた割にはガラスのことに気づくなんて意外ね」

 恵理は通路を進み、いくつか角を曲がった先の扉を開けて、浩司を中に通す。そこは体育館ほどの大きさのホールだった。ホール一杯に棚が並び、その棚には浩司が映画でしかみたことのない銃器がところ狭しと並べられている。


 奥からきびきびとした足取りで迷彩服に身を包んだ一組の男女が歩いてきて、恵理に敬礼をした。

「他の者は?」

「奥で作業中であります。大尉殿」


「大尉殿?」

 訝し気な浩司を恵理は二人に紹介する。

「彼は私のパートナーよ」

「大尉殿。民間人をこの施設に……」


「あなたの意見は聞いてないわ。軍曹。彼は私を支えてくれます。公私に渡って。意味は分かるわね。あなたも正気を失った上官に指揮されたくないでしょう?」

「はっ。失礼いたしました」

「作業を続けて。私は30分程したら行く」


 二人が去ると混乱する浩司に恵理は説明する。

「私は日本に送り込まれたスリーパーなの。有事に備えて、それまでは一般人に偽装して暮らすスパイと言ったらいいかしら。どこの国かはこの際もういいわね。もう、本国も同じような混乱の最中でしょうし。私はこれから自分の判断で生き残るつもり」


 口のきけない浩司に恵理は続ける。

「どうして俺を、って顔をしているわね。私も一応訓練を受けた兵士だけど、これからストレスフルな生活が始まるのよ。楽しみや慰めが欲しくなる。コージがそれを提供するの」


「俺が?」

「そう。あなたも言ってたゾンビの出てくる映画で、確かスーパーマーケットだったかしら、ゾンビに包囲された中で男女が愛し合うシーンがあったわね。そういうことよ」

 浩司は赤面する。


「あら? この間積極的に屋外の車の中で求めてきた割にはウブなのね」

「だって、あの時は拒絶されたから嫌われたのかと」

「違うわよ」

 恵理はほれぼれとする笑顔を見せて言った。


「あの時も、このホルスターにデリンジャー忍ばせてたの。これを見つけられたら大変でしょ」

「ああ」

「しっかりして。私の目に狂いはなかったってことを証明して頂戴。さ、行くわよ」


「行くって、どこへ?」

「プライベートルーム。これから忙しくなるから先にこの間の続きをするの。あと25分あるんだから」 

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