第27話 ヒロインのピンチに颯爽と駆けつける。犬が。

 警備室の外からクラクションの音がした。

 どうやら駐車場に出た大学生たちが車を見つけたようだ。


「西園寺」


 少しして警備室のドアが開き、大学生たちが戻ってくる。


「あったぞ」


 車の鍵をチャラチャラと回しながらしたり顔で大学生が笑う。


「……それで、車は?」

「あれだよ」

「……なるほど」


 大学生が移動させてきたのだろう。警備室の前に、黒のワンボックスカーが停車していた。多人数が乗るには丁度良いと西園寺さんが頷く。


「さて」


 西園寺さんがそろそろかと荷物を纏める。

 その荷物は紘太さんが持ってきたボストンバックだ。もちろん中身はそのままで。

 最初から全員に配るつもりはなかったのだろう。


 店内放送はまだ続いている。


 西園寺さんの当初の作戦通りとはいかなかったが、ゾンビを誘き寄せることに関しては成功した。つまり脱出するチャンスはもう出来上がったのだ。


「それじゃあ、行こうか」


 床に横たわる私に手を伸ばす。

 口のガムテープこそ剥がされたが、手足はまだ縛られたままで。

「……西園寺さん」

 私は自分の身体に触れる西園寺さんの手に嫌悪感を抱きながらも、なんとかしてここから逃れる方法を探す。視線だけ動かし、西園寺さん越しに監視モニターを覗き見る。


 あ……


 ふと、ひとつのモニター画面で知っている男が走り抜けていった。その後ろを大量のゾンビが追いかけていく。


 今のって…………紘太さんだよね?

 チョコ太郎も……紘太さんと一緒にいるといいけど……。


 丁度西園寺さんは背中を向けていて気づいていない。


 紘太さんを追いかけて多くのゾンビたちがモニターの画面外に消えていった。

 私は思考を戻す。今ほとんどのゾンビは二階へ上がっていて、モール周辺……外の駐車場は安全……だと思う。何人かのゾンビはもちろんいるが犇めく程ではない。

 全力で走れば撒ける……はずだ。

 でもそのあとはどうする。町にはゾンビが溢れている。だからこそ西園寺さんたちは車を使って脱出するのだろうけど……


 なら……車を奪う?


 いや、それはかなり難しい。だめだ。というよりも不可能だろう。相手は複数人なんだから。

 なら最低でも、西園寺さんたちのそばから離れることをだけを考える。冷静に。


「……西園寺さんは、どうして私だけを……連れてきたんですか?」


「ん? だから草加さんは特別だって言ったろ? きみはね、他の連中とは比較にならないくらいに輝いてて、若くて、可愛くて、僕の理想そのものなんだ。だから選ばれた。それだけさ」


 西園寺さんはそう言いながら、私をここへ連れてきた時同様に抱き上げようとする。

 そのまま車に乗せるつもりだ。そうなるとまずい。


「…………そっ、それは光栄ですね」


 なんとかしなきゃ。逃げなきゃ。ここから。


「理由が聞けて安心しました。西園寺さんが私だけを選んでくれたなんて……その、ただの人質として、一番力の弱そうだからという理由かと思ってましたから……」

「そんなわけないだろう!?」


 草加さんは本当に特別なんだから、と西園寺さんが返す。

 特別だと思うならどうして口をガムテープで塞がれて縄で手足を縛るんだ……でも、西園寺さんの目は真剣だ。

 よし……。


「だから……その、ちゃんと自分の足で西園寺さんについていくので……あの、これ、解いてくれませんか? 痛くて……跡も残りそう……」


 そう言う。

 すると西園寺は少し考えるような素振りをし、ひとり頷いた。


「……うん。たしかに綺麗な肌に跡ができるのは良くないか……」


 私を縛る縄に手を伸ばす。

 拘束されていた手足が自由になった。


 よし……よしっ!


 でもまだだ。逃げるチャンスはきっと一度きりで、一瞬だ。ここぞという時を見極めるんだ。


「じゃあ行こうか」

「……はい」


 二人で警備室を出る。

 まだだ。まだ逃げられない。


 地下駐車場には外へ出るためのシャッターと、店内へ入る扉、そしてもうひとつ……非常口がある。逃げるなら、そこだ。


「はやくしろよ」


 大学生たちはすでに全員車の中で待機していた。ふと見ると、ダッシュボードには写真が飾られていて。その写真には、一昨日までは同じ生存者だった店員の一人の男性が子供と一緒に写っていた。辛くなり、私は目を逸らす。


「草加さん」


 西園寺さんが後部座席側のドアを開ける。


「さ、乗って」

「…………はい」


 小さく頷く。だめだ。乗ってしまったら、もう逃げられない。

 ちらりと大学生たちを見る。こっちは全員もう私たちを見ていない。


 逃げるなら、今だ!


 私は西園寺さんの足の脛をおもいっきり蹴り、そのまま突き飛ばした。


「ぐあ!?」


 西園寺さんが蹌踉めく。

 そのすきに私は非常口に向かって走った。


 紘太さんのような魔法は使えないけど、この瞬間だけ運は私の味方をしてくれたのかもしれない。

 私が走り出した瞬間に合わせたかのように、地下駐車場中の明かりがバツンと音をたて、消えた。それと同時に、流れっぱなしだった店内放送も止まる。


 電力が、ついに途絶えたのだ。

 でも今は気にしている場合ではない。真っ暗になった地下駐車場の中、非常口の誘導灯だけが点滅していた。どうやらここの誘導灯は内部に電力とは別にバッテリーがあったようだ。ありがたい。

 私はそこ目掛けて走る。大丈夫、振り切れる。



 しかし、暗闇の中で背後から誰かが私の腕を掴んだ。



「えっ」


 そんな。

 これでも走りには自信があった。なのに。


 私は暗闇の中、私の腕を掴んでいる人物を見る。

 誘導灯の明かりに照らされ、その人物の顔がわかった。



「…………西園寺、さん」



 そんな。もう追いつかれるなんて。


 点灯する僅かな明かりの中、西園寺さんは見たこともないような剣幕で私を見下ろしていた。頰がピクピクと動き、額には太い青筋が張っていて。



「この、馬鹿女があああっ!!!」



 西園寺さんは叫び私の頰を、いや、顔ごと張り倒した。

 世界がぐるんと一転し、頭が真っ白になる。

 いつのまにか私は地面に倒れていて。


「うっ……うあ……」


 痛い……痛い……っ!

 口の中が焼けるように熱い。

 顎を伝うどろりとした感触、血が出ている。


 そして私の上には、西園寺さんが覆い被さろうとしていた。


 あああ……


 西園寺さんが何か叫びながら、乱暴に私の服に手をかける。まだ意識がぐるぐるして、体が動かない。


 もう……だめだ。



「ガアアアアアッ!!!!」



 暗闇の中から、チョコ太郎が西園寺さんに飛びかかった。

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