月見草の恋

時谷碧

月見草の恋

「好きな人いるんだ。告白しないの? 涼子りょうこは可愛いからいけると思うよ」

 うっかり口を滑らせて、好きな人がいるとかえでにばれてしまった。

 でも、その好きな人が楓だってことはまだばれてない。

「できないし、多分言っても信じてもらえないよ」

 取り繕うのに失敗した私の表情が、あまりに暗かったせいなのか、彼女は元気づけるようにこう言った。

「信じてもらえるって思えるまで、私が練習台になってあげる」

 女同士だから問題ないでしょ? とでも言いたげな自信満々の表情。ああ、この顔だ。私が一番好きな顔。問題は大ありだよって脳の片隅で悲鳴が上がっているのも気にならなくなるくらい、好き。もっとそんな彼女を見ていたいんだ。

 だから私は頷いて、冗談めかして言った。

「好きです。付き合ってください?」

「なんで疑問形。自分で疑ってどうする」

「じゃあ、結婚してください?」

「いきなりプロポーズはないでしょ」

 二人で、なんとなく笑いだしたから、この話題は終わりだと油断した。

「お、そろそろ帰らなきゃ。明日はちゃんと私に告白すること。いいね」

 いつのまにか、私は明日、彼女に告白することになっていた。


 この遊びは、意外と私にとっても楽しかった。冗談でも楓に好きと言えるのは、嬉しい。もっと続けていたい。

 あんまり上手く告白しては、この遊びは終わってしまう。だからベタに「好きです。付き合ってください。」と手紙に書いてみることにした。告白練習とわかっていても、好きな人に向けて「好きです」と書くのは緊張した。

 用意した封筒や便箋は、楓と一緒に遊んだ時に買ったもの。ちょっと気に入って手に取ったのを、彼女がかわいいと言ったから、なんだか私にもかわいく見えてきて、買ったんだ。

 たった4文字なのに書く手が震えて、何回も書き損じて。自分で思っていた以上に、楓がだって気づいた。好きじゃなくて、すき。楓のいない夜の時間、もう覚えていないほど前から、思いが募るばかりで胸が苦しくなっていた。楓がいる昼の楽しい好き。楓のいない夜の苦しいすき。私の時間は、どうしようもないほど彼女で満ちている。

 この言葉は書けない。冗談では書けないんだ。

 だったら、本気で書けばいい。

 本気で書いてもこれは練習。手紙ならばれない。嘘の告白だから、問題ない。

 伝えることすらできないって、ずっと思ってきていたから、好きな人に好きと伝えられるのが嬉しくてしょうがなかった。

 黒のボールペンを、薄紫のペンに持ち替えた。夕暮れの、少しの時間にしか見られない、昼と夜のあいだの儚い空の色。彼女が綺麗だと言って、私も綺麗だねと言って、お揃いで買ったペン。

 一文字一文字丁寧に、「すきです」と平仮名で書いた。「付き合ってください」とは書けなかった。すきと伝えられるだけでいい。それが私のハッピーエンド。

 あとは、明日彼女が登校する前に靴箱に入れるだけ。彼女は遅刻常習犯だし、そう急ぐこともないと高を括っていた。


「ふっふっふ。君が来るのはお見通しなのだよ、涼子君。手紙でも書いてきたのではあるまいか? おはよう」

 読まれていた。

 靴箱で仁王立ちする楓様。慣れない早起きのせいか、少し喉が掠れているようだ。

 のど飴で気を逸らしつつ、手紙を楓の鞄に紛れ込ませようか。これだけは、何としてでも渡したい。

「おはよう。はい、のど飴」

「ん、ありがと。早起きって辛いよね」

 楓は涙を滲ませながらあくびをした。一見隙だらけに見えて、全く隙がない。立ち位置は完全に靴箱を視界に収めていたし、のど飴を受け取るにしても片手で鞄をガードしつつ、もう一方の手を伸ばしてくるのだから近づけない。

 こやつ、できる。完全に手紙を警戒している。

「今日に限って早く来なくても良かったんじゃない?」

「今日だから早く来たんだよ」

「邪魔しちゃ練習にならないんじゃ?」

「こういう予定外のことはつきものなんだから、邪魔も込みで練習だよ。というわけで、手紙で告白はなしだよ。そもそも、信じてもらえるかわからない相手に手紙は悪手だと思うなあ」

 にっこりと良い笑顔でのたまう。内容は傍若無人にもほどがあるが、確かに一理ある。あるけど、手紙を否定されるのは何となく許せなかった。

「手紙で告白じゃなくて、手紙で呼び出して告白という可能性は?」

 ばっちり直球ストライクの手紙を持っていることなんておくびににも出さずに言ってみた。これで手紙を渡せるはず。

「なるほど」

 ふむ、と楓は少し考えて言った。

「オーケー、呼び出された。放課後、月見草の丘で会おう。待ってるよ」

 墓穴を掘ったのか、嵌められたのか。

 月見草の丘と楓が呼ぶ場所は、彼女のお気に入りのスポットで、人気のない静かな場所だ。セオリー通りの体育館裏よりは、かなりまともと言える……かもしれない。

 月見草。いつだったか楓が教えてくれた花言葉は、打ち明けられない恋。宵を待ってひっそりと人目を避けて咲く、密やかな恋。ぴったりじゃないか。


 あっという間に放課後になった。ホームルームが長かったせいで、時間的猶予はない。赤い夕日に急かされながら、速足で歩いた。

 ここで、行かなくてもいいのかもしれない。行かなくても、きっと彼女は許してくれるだろう。失敗も練習のうちだって言ってくれるだろう。けれど、月見草の丘で一人ぽつんと人待ち顔で立っている楓を想像したら、行かずにはいられなかった。

「来たんだ」

 楓は何故か、寂しげな笑顔を浮かべていた。

 空は薄紫に染まり、丘を埋め尽くすように、花開いたばかりの月見草が風に揺れている。その中心にいる彼女は、絵画みたいに綺麗だった。

「すき」

 その言葉はすんなりと口から出た。何度も心の中だけで繰り返していた言葉。言うつもりがなかった方の

 我知らず、涙が頬を伝った。頭はもう真っ白で、続けられる言葉はなかった。

 練習なんだから、言っても大丈夫。友情は壊れはしないのだから。泣かなくていいのに、泣いちゃ駄目なのに、涙は止まらなかった。早く、なにか言わなくちゃ。どう? ちゃんとできたでしょって笑わなきゃ。

 ぼやけた視界に、花開いた月見草の淡い黄色が滲んだ。月見草は、いつまでも蕾ではいられないんだ。

 楓の指が、涙に濡れる私の頬を拭った。

「私は、涼子……あなたがすき。つらい思いをさせてごめんね」

 気が付けば、楓も泣いていた。

「涼子に好きな人がいるって聞いて、嫉妬したの。練習でもいいから、嘘でもいいから、好きって言われたかった。涼子も私がすきなのかもしれないって思ったこともあったよ。だけどそれは私の願望でしかないって」

 涙で声を詰まらせた楓の言葉の続きは、聞かずともわかった。だって、それは私も叶わぬ夢だと思い続けていたこと。好きではあるかもしれないけれど、その好きが自分のとは相容れないことだってある。

「私も、楓が私のことすきだったらいいなって、ずっと思ってた」

「じゃあ、私達、願いが叶った幸せ者だね」

 二人で赤い目をしながら、微笑みを交わした。


「ねぇ、あの手紙、見せてよ」

「やだよ、恥ずかしい」

「駄目……?」

 小首をかしげたその言い方は、狡い。しぶしぶと手紙を差し出すと、楓は宝物を扱うような手つきで慎重に開封した。そして、ぷっと吹き出した。人の恋文を笑うとは何事だ!

「やっぱ返して」

「だーめ。これは一生取っとくの」

 私にとられまいと、楓は急いで鞄の中に手紙をしまい込んだ。

「もう、なんなの?」

「これさ、宛先も差出人も書いてないよ。これじゃあ辻斬りだ」

 あっ。

 そういえば、「すきです」の4文字に必死すぎて、あて先も差出人も書いていなかった。

「でもね、私はわかるよ。涼子の字、好きだから」

 かっと頬が熱くなった。字が好きなのか、好きだから字が分かるのか。どっちにしても嬉しいけど、すごく恥ずかしい。

 照れ隠しに疑問をぶつけた。

「なんで、手紙を受け取ろうとしなかったの?」

 今度は楓が真っ赤になる番だった。

「……だって、直接言って欲しかったんだもん。手紙を渡されちゃったら、直接言ってもらえないじゃない」


 別れ際に、ちょっと待っててと言われ、ノートの切れ端を折って作った即席の手紙をもらった。家に着くまで開けちゃ駄目だからねと念を押されたその手紙を、律儀に自分の部屋で開く。

 その薄紫――昼と夜をつなぐ儚い空の色をした文字は、急ぎつつも、できるだけ綺麗に書こうとしたのがうかがえた。

「付き合ってください」

 私には書けなかった続きが、そこにあった。

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