バカップルの日常戦線

大石 陽太

第1話

「ああぁ! お前、俺への当てつけか⁉︎」

 授業中にも関わらず大声で怒鳴ったのは、一年四組八番、鳴上なるかみ響也きょうや

 彼は今、あることに憤慨している!

「なんで俺がプレゼントした消しゴムを使わないんだよ! そして、使わないだけならまだしも、なんで使いもしないのに毎回机の上に出すんだよ!」

 鳴上の視線の先、隣の机に新品の消しゴムを出している少女がいた。

「はぁぁ⁉︎ そんなの勿体無いからに決まっているでしょう! 学校の授業ごときで簡単に使えるわけないです! でも、見てるとキョウくんのこと思い出して、幸せな気持ちになれるから机の上に出しているんです!」

 彼女の名前は加賀美かがみ真知子まちこ

 彼女もまた、あることに憤慨していた!

「キョウくんだって、私がプレゼントした手編みのマフラー使ってません! そんなに嫌だったのなら言ってくれればいいのに!」

「嫌なわけないだろ! よく見ろ! 今もこうやって」

 鳴上はボタンを引きちぎり、制服の下を見せた。すると、鳴上の腰にハートの柄の刺繍がされたピンク色のマフラーが巻かれていた。

「お前の愛を巻いている! ちなみに俺は敏感肌で獣毛を使った真知子のマフラーを着けると肌がチクチクしたり、かゆくなったりして不快だけど、着けているぞ!」

「ほら! 不快って言いました! 今不快って言いました! やっぱり私のこと嫌いなんですね⁉︎」

「それは違う! 俺はその不快さも含めて真知子のことが好きなんだ! むしろ不快さが好きなんだ!」

 真知子は鳴上の言葉に、溢れていた涙を拭くと、百二十点の笑顔で叫んだ。

「私もキョウくんの敏感肌好きです! 多分、私の方が好きって気持ちは強いと思います!」

「いいや、俺の方が真知子を好きだ! 俺、お前のこと好きすぎて、携帯の予測変換、全部真知子になってるから!」

「私だって! 予測変換どころかこの世のありとあらゆる単語、文字からキョウくんのことを予測妄想できますよ!」

 予測妄想! 例えば、加賀美真知子が図書館で密室という単語を目にしたなら、その瞬間に、密室に閉じ込められた鳴上響也がまるで、実際にいるかのごとく、生き生きと彼女の脳内で動き始める! それはもはや、鳴上響也本人よりも鳴上響也なのだ!

「やれやれ、また始まった……」

 教室中のクラスメイトに、授業をしていた理科担当、田中太郎は一斉にため息を吐いた。その瞬間、教室のCO2濃度は学校で一番となる。しかし、誰もこの二人のことを止めに入ろうとはしない。

 そう、なぜならこの二人、鳴上響也と加賀美真知子は、お互いのことが好きすぎるあまり、場所、時間関係なく、どちらの愛が上なのか争ってしまう、自他共に認める――







 バカップルなのである!







 ☆



 今日は雨の日! 降水確率驚異の百パーセント! 逃れようのない相合傘! 冷やかされる関係に、冷やされる愛。

 しかし、バカップルの愛は一晩かけてできた水溜りをも蒸発させるほど熱かった!

「おい! なんだ! 真知子! お前、傘の意味を知らないのか⁉︎ 傘は雨から体を凌ぐためにあるんだぞ!」

「キョウくんこそ! 雨に濡れて絶対に風邪引かないでくださいよ! 死ぬほど心配してこっちが風邪引きますからね!」

 雨の朝、憂鬱な登校風景の中に、一つの傘を押し付けあうバカップルの姿があった。

「だーかーら! 傘をこっちに寄せるな! 真知子が濡れるだろ!」

「キョウくんこそ! あぁ! 肩に数滴の濡れ跡が!」

 このバカップルを見たものは、お互いがお互いを庇いすぎるあまり、お互いが濡れてしまったいることにツッコミを入れる。しかし、このバカップル、ここからの格が違う!

「……はぁ、仕方がない」

「そうですね……」

 二人は傘を閉じると、雨の中を優雅に歩き始めた。


「「二人で濡れればきっと大丈夫!」」


 何度でも言おう。この命尽きるまで。いや、たとえこの命が尽きようとも。

 後日、仲良く二人して風邪を引くことになる、腕を組んで笑顔で登校するこの二人。



 正真正銘、筋金入りの――







 バカップルなのである!









 ☆



「おい真知子。キスしよう!」

「ええっ⁉︎」

 突然の接吻宣言! これには普段から二人の言い争いを嫌というほど見せられているクラスメイトたちも動揺を隠しきれずにざわつき始める。

「どどどどどどどどどどどどどっ⁉︎」

「だって、俺ら付き合って一年と三ヶ月と二日と三時間四十八分五秒経つけど、キスしたことねぇじゃん⁉︎ それっておかしくね⁉︎」

 この事実にはクラスメイトだけでなく、担任教師の常村つねむらも驚いた。

 それも当然、あれだけのバカップルぶりを周りに見せつけておきながら、キスの一回や二回もしたことがないなんて、他人からすればただのコントである。

「ま、まぁ……たしかに。キスできそうな雰囲気になったことは何度かありましたけど、その度にどっちからするかで言い争いになってましたもんね……」

 真知子はその決意を表すように、両の拳を胸の前で力強く握った。

「分かりました。じゃあ、キョウくんからお願いします!」

 鳴上は必死で震える体を抑えた。自分から持ちかけたものの、正直、いつも通りの言い争いになるだろうと踏んでいたのだ。

 しかし、予想は大きく外れ、今、真知子は目を瞑って鳴上からの熱い接吻を待っている。

 男として! 自分の好きな女の期待に応えないわけにはいかない!


「い、行くぞ……真知子!」


 鳴上は真知子の肩をそっと掴むと、真知子の唇へ自分の唇を重ねて……。



「あああっ! やっぱダメだわっ! 穢せない! 俺にはこの天使を穢せない!」



 接吻失敗! 理由、天使すぎる真知子。




「キョウくんの意気地なし! 私なら何回でもキョウくんにキスできます! やっぱり……やっぱり! キョウくんより私の方が遥かにキョウくんを愛しています!」

 プッチーン。

 鳴上響也の中で何かが切れた。

 鳴上本人はそう思っているだろう。しかし、実際は普段より一つ多く、余計な糸が張っていただけで、ようは元に戻っただけである。

 つまり。





 バカップルモードである!





「俺の方が愛は上だ! キス! 上等だよ! 何回でも何秒でもしてやる! そして、俺の方がお前を愛していることを証明してやる!」

 今度は真知子やクラスメイトたちが準備する暇も与えず、鳴上は速攻で唇と唇を重ね合わせた。

「んむぐぅ……っ!」

 教室からは女子たちの黄色い声と男子の驚きの声が上がった。やがて訪れる静寂。鳴上はキスをしてからピクリとも動かなかった。

 いつまでするんだ? 真知子を含めた教室の誰もがそう思ったとき、ようやく鳴上が真知子から離れた。

「……ぷはぁ! さすがに長すぎます! 次からは数回に分けてしっかりと……」

 真知子の言葉が終わる前に、白目を剥いて倒れた鳴上に教室が騒然とする。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 慌てて鳴上に近づいて、体を揺する真知子を常村が押し退ける。

「どいてろ! 目を覚ませ鳴上!」

 鳴上の腹に常村渾身の拳が決まる。衝撃で鳴上の体がくの字に折れ曲がる。

「何やってるんですか!」

「ぶへぇ!」

 しかし、その常村も真知子の一撃に倒れた。

「はっ……ここは……」

「良かったぁ!」

 目を覚ました鳴上の胸に真知子が飛び込む。

「お、おお。な、なんだ。何があったんだ」

「キョウくん、意識失ってたんですよ? 私、本当に……心配で……もし、キョウくんが死んじゃったらって……」

 涙で顔中ぐしゃぐしゃになった真知子に、鳴上は困ったような顔で言った。

「本当にすまん。意地になって長い時間キスをしようとしたが、息ができなかったんだ。それでどうしようかと思っていたらこのざまだ」

 圧倒的鼻呼吸忘却! 

 しかし、キスとは、人間から鼻呼吸を忘れさせるほどに神秘的で、愛のある行為なのである!




 きっとこの二人は明日も明後日も、その次の日も同じように互いの愛を比べ争うだろう。

 もしかしたら、二人の大きすぎる愛を確かめる方法など、この世にはないのかもしれない。だが、そんなことは関係なく、二人はまたどこかで互いの愛について言い争うに違いない






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