放っておくとすねるし構うといじける。そんな難儀な性格を自覚しているからこそ、主人公は人付き合いを遮断してエピキュリアンな人生に浸ってしまったのだろう。もっとも、元義に則るならエピキュリアンとは精神的な快楽を本義としていた。
彼女は彼の快楽遍歴に挟まれたしおりのようなものだろうか。あってもなくてもどうでもいいようでいて、なくすと困る。徹底的に主人公の意のままになろうとして、出ていって欲しいという気持ちだけは無視するというのは快楽主義への皮肉な寓意そのものであろう。
ともかく、末尾で本物の欲求に目覚めてよかった。