ラブレター

来条 恵夢

love letter

『 あなたが好きです 』 


 白い封筒に入った、三つ折の白い便箋。

 たった一行書かれただけで、あとは、末尾の名前のみ。


 潔いなあ、と思った。

 そして少し、想われた人が、これを送られるだろう人が、羨ましいと思った。


 が、さて困った。

 落ちていたせいで少し汚れてはいるが、封筒は真っ白。――誰宛だこれ。


 休み時間、図書室の片隅で拾い物をしただけなのに、どうしてこんなに悩まないといけないのか。

 宛名書きがあれば中身も見ずにその人に渡せばよかったのに、差出人の名前がなければどうしようもないとして捨て置けたのに。

 差出人に渡すべきか。中を見たって確実にばれるけど。お互い決まり悪くなるけど。

 でもまあ。

 相手は有名人で、こちらはただの無名人。渡してすぐに去れば、顔も覚えられずに終わるかもしれない。

 とりあえずそれは放課後に回して、書架の本を物色することにした。


 古池利。フルイケトオル。


 響きは簡単なのに、字を見ると名前が読めない。

 もちろんそんなことで有名人なのではなくて、頭が良くて、良すぎるせいか変人で、それなのに(というのも偏見だけど)外見が観賞用並に良くて、目立っている。

 少女マンガの相手役のような人、といえば早いのかもしれない。


 放課後、ホームルームが終わってすぐに飛び出したかいあって、帰る前に捕まえることができた。

 誰かを待っていたのか、集靴場にたたずんでいた。

 …走る必要なんてなかったじゃないか、とは言わずにおこう。息を切らしてるのが馬鹿みたいに思えるから。うん。


「これ、落としません、でした…?」

「うん」


 顔色一つ変えない。あえての無表情だろうか。

 だとしても、凄いなあ。私ならきっと、叫んでしまう。叫んで、逃げ出すかもしれない。

 それどころかこの人は、ふわりと笑みらしきものすら浮かべた。


 ああ、確かにこれはアイドルだなあ。


 テレビやパソコンのモニタの向こうを見るように、そんな感慨を抱いてしまう。きれいで、ポストカードにでも使えそうで。ただ学年が同じだけでは、違う世界の人のように思える。

 そんなアイドル青年は、突き出した白封筒をすんなりと受け取った。


「じゃ!」

「それで」

「ん?」


 さっときびすを返したのに、明らかにこちらに向けた調子で声を掛けられ、つんのめるように立ち止まる。

 その一瞬に、いやでも聞き間違いかなと首をかしげていたら、さりげなく前に回りこまれていた。

 渡したはずの封筒を、何故か差し出される。


「返事は?」

「…はい?」


 何の。


「ああごめん、訊いてはなかったね。好きです。付き合ってもらえませんか」


 時が止まった。


 放課後のざわめきが遠のき、しかもそれは気持ちの問題ではなく実際に周囲が静まり返ったのだけど、その一瞬後、倍以上になって戻ってきた。

 いやまあ、それは、そうだろう。

 公衆の面前での堂々と告白したというだけでも吃驚びっくりなのに、それを発したのが校内アイドルの古池利。

 できることなら、騒ぐ方に回りたい。それなのに残念ながら、当事者だった。


「…その、ラブレター? 宛名、なかったと思うけど」

「うん」

「それ出した人に、改めて告白したほうが、良くない?」


 ふられたことが前提みたいになったけど、そもそも相手に届いてないだろう。それとも、既に断っていて、その後であれを落としたのか。

 いや、どっちにしても、だからといってここで告白する意味がわからない。


「そもそも、お互い名前も知らないのに告白されても。いや、古池君は有名人だから知ってるけど、そっちは私の名前なんて知らないでしょ? それ、拾っただけだし」

坂木サカキ天音アマネさん」

「なんで?!」


 有名人に名前を知られていた。同じ小学校や中学校の出身ではないし共通の友人だっていないはずなのに。

 そこで、笑顔が微妙に変化した。ような気がした。

 何と言うか、好物を見つけた猫のような感じに。


「自覚ないんだ?」

「………何、の…?」

「寺脇先生と文豪ネタで対等にわたりあえるっていうので、少なくとも寺脇先生が教えてるクラスでは有名だよ、坂木さん。授業中の脱線話によく名前が出てくるし」

「何やってんの玉緒タマヲちゃん!?」


 国語教師・寺脇玉緒。趣味は古本屋めぐり。何やってくれてんだ。

 授業がないから知らなかった。そして数少ない友達は誰も教えてくれなかった。

 知らないよそんな悪目立ちしてたなんて。せめて部活仲間は教えてくれていいんじゃないかな玉緒ちゃん顧問なんだし!


 そして少女漫画の中の住人は、笑みを消してじっと見つめてきた。


「あの手紙を拾って渡してくれる人がいたら、好きになろうと思ってたんだ」

「…は、い?」

「誰かを好きになったことはなくて、でも、たくさんの人が好きや嫌いやで楽しそうにしているから、とりあえず一度、誰かを好きになってみようと思って」


 なるほど。

 古池利の眼は、観察するそれだった。好物を前にした猫ではなくて、興味深い観察対象を見つけた研究者のそれ。

 なるほどと、納得した。腑に落ちた。


「それ、拾ったのが先生とか男子とかだったら結構大変なことになった気がするけど」

「それはそれで貴重な体験だね」


 フラット。それとも、悪趣味というべきなのか。

 周囲のざわめきも、やや収まりつつあった。つまりこれは変人の奇行なのだなと、そんな空気が広がりつつある。


「ただ、その可能性は低いと思ってた。文学全集の並ぶ棚なんて、あまり足を運ぶ人はいないからね。授業で取り上げられたり掃除が行われればその限りではないけど、その前に、このところ日参してる坂木さんが見つける公算が高いかと。どちらかといえば問題は、坂木さんが俺のことを知っているのかとわざわざ渡しに来てくれるのかっていうことの方だったな」


 ――ん?


 もう一度盛り上がった周囲のざわめきと同調するように、私の胸の中にも何かがざわめいた。

 何か、妙なことを言われたような気がする。


「…無作為、ではない、と?」

「……え?」


 驚いたように、古池利はまばたきをした。睫毛まつげ長いなあ、とそんなことに気付く。目に入って痛そうだ。


「変な理解の仕方してたらごめん。誰かに拾ってもらうっていうか、誰が拾うのかをほぼ想定してたようなように聞こえたんだけど今」

「…あ」


 いつの間にかこちらの手に移っていた白い封筒と私とを何度か見比べるように視線を移動させて、どこか困ったように、照れくさそうに校内アイドルははにかんだ。


 いや…あの?


「そうだね。それじゃあやっぱりそれは、君に宛てたものだったね」

「?!」


 何を口走ったのかわからないまま、気付けば、その場から遁走とんそうを決め込んでいた。

 

 少しばかり羨ましさをおぼえた手紙はどさくさに紛れて手元に残り、拾ったものを人生初のラブレターとしてカウントしていいものか、悩むところだ。

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ラブレター 来条 恵夢 @raijyou

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