第6話

 一週間が経っても、学校では事故の話で持ちきりだった。

 「一緒にいた小太郎こたろうが押した」などと彼を犯人扱いするような噂が飛び交うようになると、担任の教師が小太郎に休むことを勧めたが、小太郎は登校することを選んだ。自分が何もしていない。彼女を突き飛ばす理由がない。周りがどうであれ、事実だけは曲げないと決めたからだ。

 教室に入ると、全員が小太郎を見てすぐさま視線を逸らした。小太郎は気にせず自分の席に座り、リュックの中からノートやペンケースを取り出す。


溝口みぞぐち、おはよ!」


 誰もが小太郎を避ける中、よく教室で話す佐山裕也さやま ゆうやが笑って彼の前に立つ。事故が遭ったのを知って真っ先に連絡してきたうちの一人だ。クラス全員が近寄りがたい雰囲気を醸し出しているにも関わらず、佐山は小太郎に笑いかける。


「お、はよう」

「悪い! 三限目の数学の宿題写させて!」

「数学? ……ああ、忘れてた」

「うおおい!? ちょ、森田ー? お前やってる?」


 少し離れた席でノートを開いていた森田亮もりた りょうに声をかけると、彼は自慢げに課題をしっかりこなした数学のノートを開いて見せた。


「森田あああ! 恵んで!」

「ジュース一本な。溝口も写すなら早くしろ。いつも暗い顔がもっと暗くなるぞ」


 席を立って小太郎の前に立つ森田は、ノートで頭を軽く叩きながら渡す。課題の他にも要点をまとめた授業ノートも受け取った小太郎は二人に問う。


「俺、そんなに暗い?」

「まあ、元気はないわな」

「いつもテンション低いけどな!」

「……とりあえず、今お前がすべきことはだな。課題を写し終えることと――」


 小太郎の問いに佐山と森田はあっさりと答える。そして森田が呆れた顔をしながら続けると、佐山が割り込んできて小太郎に言う。


「周りの目なんか気にすんな!」

「……ってことだ。佐山、俺の台詞盗るんじゃねえ」

「いーじゃん! だってこういうの言ってみたいじゃん!?」

「……馬鹿か」


 佐山と森田の言い争いを見ながら、小太郎は小さく呟いた。

 教室という限られた空間に入った、約二十名のクラスメイト。敵も味方もないはずなのに、何らかのきっかけさえあれば、例え濡れ衣だったとしても全員が敵にまわってしまう、理不尽な環境に少なくても一週間は放ったらかしにされていた。

 しかし、その中でも彼ら二人だけは、最初から小太郎を批判していなかった。事故が遭ったその日にすぐ連絡を入れ、尚且つ彼の存在に少しずつ触れていった。

 きっと彼らがいなければ、小太郎は独りぼっちのままだっただろう。


「……ありがとう」


 小さく呟いた彼の言葉が聞こえたのか、言い争いをしていた佐山と森田は顔をあわせてニッコリと笑って答えた。

 そして課題の書き写しに取りかかろうとしたところで、教室のドアが開かれると同時に聞こえてきた声に全員が目を疑った。先日事故に遭って入院していたはずの彼女――古賀凛花こが りんかが何事もなかったように笑って入ってきたのだ。


「お、おはよう!」

「……え? 凛花!?」

「古賀さん、大丈夫なの?」

「大丈夫! 一週間も休んじゃってごめんね」

「凛花!」

「さっちゃん、この間のクレープ、いつ行こっか?」


 さっちゃん、と呼ばれた女子生徒――青山あおやまさつきは、凛花の顔を見て泣き出してしまった。事故当日、元々その日の放課後にクレープを食べに行く約束をしていた。凛花は彼女をなだめると小太郎の方へやって来た。椅子に座っている小太郎は見上げるようにして彼女と対面する。すると、彼女は唐突に頭を下げた。


「ちょ……!? 何してんの、顔上げて……」

「この間は、ごめんなさい」

「え?」

「起きたばかりだったとはいえ、あんな言い方はなかったと思って。ごめんなさい」

「お……お前のせいじゃないじゃん。あの時、ちゃんと俺が助けていればこんなことにはならなかった」

「それでも、貴方を傷つけた」

「……わかった、わかったから。とりあえず青山のところに戻りなよ。それと敬語とか貴方とかやめて。普通でいいから」

「……うん、ありがとう。『溝口君』」


 ニッコリ微笑んで言うと、凛花はまた青山の元へ戻って行く。


「……なぁ、古賀って溝口のこと名前で呼んでいなかったっけ?」

「さぁ……?」


 ――溝口君、か。


 小太郎は小さく唇を噛んで彼女を見ないように目を逸らす。

 事前に医師の方から話を聞いていたとはいえ、自分という存在が忘れられることがこれほど辛いとは思ってもみなかった。

 凛花が戻るとノートの書き写しを続けるが、シャープペンシルの芯は何度も折れた。

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