どうやら僕はラブコメの世界のモブらしい
太刀川るい
ラブコメさんと僕
抜けるような青空に、水色の縞のパンツがよく映えた。
甲高い悲鳴を上げて見知らぬツインテールが、スカートを抑える。
「何すんのよこのバカッ!」
「ち、違うんだこれは……!」ユートは弁明するが、女の子は問答無用とばかりにその頬を平手打ちした。
「ユート、大丈夫か?」僕は地面に倒れたユートに近づくと、遠ざかっていくツインテールの姿を目に焼き付けた。うちの学校の制服を着ている。これは重要だ。あとでラブコメさんに報告しよう。
「いたたた……とんだ災難だよ……」
「曲がり角でぶつかって胸を揉んで、転がった衝撃で相手のパンツを見たりしたらそうなるって」
「ふ、不可抗力だって!」ユートは顔を赤くして否定する。だろうな。ユートは嘘を言っていない。だから問題なのだ。僕は頭の中でカウントを一つ増やした。
「ほう、なるほど。見知らぬツインテールってわけか」
「そうです。さらに驚くべきことに……」
「まった。当ててやろうか? そのツインテール転校生だろ。で君らのクラスに着たってわけだ」
「そうです。よくわかりましたね」
「ラブコメだからな」そういうとラブコメさんはファミレスの安コーヒーを啜った。
ラブコメさんは無精髭を伸ばした青白いオッサンだ。何歳だかは知らない。年相応の落ち着きはどこにも見当たらず、ただ浪費した時間だけが老いとなって顔にこびりついている。プランターの影に隠れて収穫から逃れ、育ちすぎてしまったキュウリみたいな役立たず。要はダメダメな大人である。
「パンツは?」ラブコメさんは驚くほど真剣な目でそう言った。
「はあ?」
「パンツは、と聞いている。その転校生、道でぶつかった時パンツを見せたのか?」
「ええ、そうですね。もろ出しでした」
シット!と叫んでラブコメさんは額を叩いた。
「だから、パンチラは多用するなと言っているのに! しかもパンモロだと? これは非常にまずい状況だぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、新キャラの登場、そしておぱんつ。間違いなくテコ入れだ。つまり……」ラブコメさんは、言葉を切った。夕方のファミレスの喧騒が僕らを包んだ。
「――打ち切りが近い」
生まれも育ちもごくごく平凡で、日本人の平均を取ったら丁度こんな感じになるんじゃないかなと思えるぐらいに何事もない人生を歩んできた。
中学に入ってから
いつから始まったのかはよく覚えていない。ただ気がつけば、天城の周囲は女の子でいっぱいになっていて、天城は結構純情なやつだから、誰とくっつくとかそういうこともなく過ごしてきたわけだけれど、周囲に集まる女の子の数はどんどん増えていった。まあ、世の中そんなやつもいるんだろうな。などと考えていた時、ラブコメさんが現れた。
「突然で悪いが、俺はラブコメの精だ。この世界に危機が迫っている」
いきなりこんな主張を聞かされて、はいそうですかと答えれる人間がこの世に居るだろうか。少なくとも僕はその時スマホの緊急通報機能を利用しようかどうか、本気で迷った。
ラブコメさんの主張によると、この世界は一つのラブコメを形成していて、天城はその主人公らしい。当然相手にしなかった。しかし、ラブコメさんが、その次に放った言葉が僕の足を止めた。
「もう何年高校生を繰り返している?」
違和感はあった。なぜかもう長い間同じことを繰り返している意識はあった。ただ、詳細を思い出そうとすると、霧がかかったように細部を思い出せない。奇妙なのはラブコメさんに指摘されるまで、何故か自分はそのことについてよくよく考えたことはなかったということだ。
ラブコメさんは、証拠だと言って、僕に商店街で使える福引チケットをくれた。試しに委員長に渡してみると、委員長は見事に温泉旅行を引き当て、たちまちユートを誘う誘わないで一波乱が発生した。
「商店街の福引は当たるように出来ている。なぜならストーリーを動かすのに便利だからな。つまりそれが、ラブコメだからだ」ラブコメさんの言葉は本当だった。
それから、僕はラブコメさんの言葉に従ってユートの行動を記録することにした。観察してみるとユートは実に奇妙な災難に巻き込まれるタイプの人間だった。廊下で女の子にぶつかれば乳を揉み、部屋を開ければ高確率で女の子が着替えている。スカートは謎の力でめくりあがり、ブラは透けて、あと謎の光が時々現れた。なんなんだあれ。
パンチラの回数は重点的に記録した。ラブコメさんの言うことにはこの回数が一定値を上回ると危険なのだという。つまり打ち切りの危機が迫っているので、お色気に走っているということらしい。一週間あたりのパンチラ数、すなわち「おぱんつ/week」のグラフを見ながら、ラブコメさんはいつも難しい顔をした。最近この数字は着実に上がり続けている。
「良くない兆候だ。パンチラに頼りすぎている。……あのツインテールは結局どうなった?」
「それとなくクラスに馴染んでいますよ。親が有名な音楽家とかで、海外から帰ってきたそうです。委員長とはソリが合わないみたいですが」
「ほう、それは重要な情報だ」ラブコメさんは、薄汚い手帳を開くと、人物関係図を更新した。
「この幼馴染の影が最近薄いな。まあ幼馴染は負け確率が高いんだが」
「あかりちゃんのことですか? 確かに夏休みの間旅行とかで居ない時が多かったですが……」
「今度はこのラインを強化するべきだ。イベントとしては体育祭とハロウィンが残っている。この2つを利用して、幼馴染枠を主人公にぶつけよう。何か策はあるか?恋が叶うおまじないだのなんだとを吹き込むとか……もしくは主人公になにか災難を起こすとか……」
「いつも思うんですが、そこまでやらないといけないんですか?」
ラブコメさんはむっとしたような顔で僕を睨んだ。
「当たり前だろ! 以前、説明した通り。俺はラブコメに魂を縛られた読者の怨念の集合体だ。ラブコメが無くなれば消滅してしまう。昨今の風潮により古きよき時代のエロコメはどんどん数を減らしている。俺はそれを阻止するために、この世界に介入しなければならないんだ。いいか、ラブコメの終わりは一体どういう時に訪れる?」
「……主人公がヒロインとくっついた時。って前に力説されました」
「そう。それだ。俺たちはそれを阻止しなければならない。永遠に続くどっちつかずの世界。それがラブコメの理想形だ。俺たちはそれだけで永遠に回していけるように、こっちでヒロインがフラグを立てれば、もう一方でもフラグを立て、時に主人公の足を引っ張りフラグを倒す。
……自分の役回りを覚えているだろう。お前は自分のやるべきことを果たすんだ」ラブコメさんは有無を言わせず話を打ち切った。
自分の役割。それを考えると僕はいつも不思議な気持ちになる。
ラブコメさんは最初に出会った時、僕のこの世界での役目を教えてくれた。
主人公の親友。それが僕の存在理由だ。
「いいか、大抵のラブコメにおいて、男性キャラの数は少ない。ノイズだからだ。男の描写にかけている字数があったら、可愛い女の子を描くべきだ。当たり前の結論であり、鉄則だ。例外があるとすれば、恋のライバルか……または」ラブコメさんは僕を指さした。
「親友だ。主人公に付き従って色々と助言をしてくれる。一昔前はメカに強いとかオタク知識があるとか、アイドルにハマっているとかそういうことでストーリーに絡んできたもんだが、今じゃそれも女キャラの役割になっている。ま、俺にとっちゃ良いことだが、そうなると、お前の立ち位置は『エロ本を貸す人』しか残っていない」
意味が解らないと伝えると、ラブコメさんはため息をついて説明を続けた。
「主人公の親友が、主人公にエロ本を貸す。それが偶然ヒロインに見つかってさいって~~ってなる流れだよ。それがお前の役目。脳内再生できたか?」
「なんとなくわかりましたが、今はエロ本なんてありませんよ。コンビニにも売っていませんが、大抵スマホの動画です」
ラブコメさんは胸を抑えて苦しそうな顔をした。
「やめてくれ……その世代ギャップは俺に効く。まあともかく、お前は聖人み溢れる主人公を動かすための性欲の擬人化みたいなものだと思ってくれて構わない」
スケベな主人公は流行らない。ネットで叩かれる。今じゃ性欲は悪だから。だからそのために僕が必要なのだと、ラブコメさんは言った。
不公平だ。と思った。ユートはだれにも好かれ、愛される。当然読者にもだ。ユートが好かれるために僕は生み出され、そして罰と嘲笑が押し付けられる。
僕は役割にしたがって生きるべきなんだろうか。
時々考える、ラブコメさんは自分がラブコメの精であると思いこんでいるだけのただの狂人で、僕はただの高校生で。
ユートはただモテるだけの一般人で、何年間も繰り返しているような記憶は僕の記憶障害なのかもしれない。
でもそれを考えても意味はない。現実に女の子の数は増え続け、ユートの回りはどんどん騒がしくなっている。次々に起こるイベントは統計的に異様なものばかりで、ラブコメさんの話をつい信じてしまいそうになる。
電車のドアが開いて、密集した人間の匂いが鼻についた。鞄の中にはラブコメさんがどこからか調達してきたエロ本が入っている。これをユートに渡せと、ラブコメさんは言った。僕は茶色い包装紙にくるまれたそれをカバンから出すとじっと見つめる。
発車ベルがなった。僕は駅のゴミ箱にそれを捨てると、閉まりゆくドアの隙間に滑り込んだ。手すりの隙間から綺麗な夕焼けが見えた。ラブコメさん、ごめんなさい。僕は僕のやり方でやってみたいんです。心の中で謝ると、電車はゆっくり動き始めた。
どうやら僕はラブコメの世界のモブらしい 太刀川るい @R_tachigawa
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