平方院綾音は嘘である

瀬塩屋 螢

僕の言葉は届かない

 僕は、彼女に恋している。


 瀧澤たつさわ 逸夜いちやという人間は、そう言うことになっているらしい。


 彼女というのは、今目の前に立つ淡いピンクのワンピースに、白いカーディガンを着た少女、平方院へいほういん 綾音あやねの事を言う。

 季節は夏で、図書室の解放日に学校に立ち寄ると、教室にいた彼女と出くわす。


 もっとも、これは芝居の話であって、今現実に起こりえている事ではない。


 俺には、勝屋かつや 宗佑しゅうすけというれっきとした名前があるし、彼女にも日形ひがた 彩祢あやねという名前がちゃんとある。

 二人とも、この春中学を卒業する演劇部員だ。今日は二人揃って、同じ舞台で芝居ができるラストチャンス。

 俺は逸夜の姿を借りて、彼女と話をしていた。


「何で、あんな事したんだよ」


 物語は終盤。幼馴染の綾音が、夏休みの教室でクラスメイトくんと、キスしたのを目撃して咎める場面だ。


「あんな事って?」


 彩祢より少しだけ、高く甘ったるい声をした綾音が首を傾げる。


「なんで彼氏がいるのに、アイツと、アイツなんかと、……キス……したんだって聞いてんだよっ!?」


「なーんだ、そんな事?」


 苛立つ僕と反対に、どこか冷めた調子で綾音が僕に歩み寄ってくる。

 理解できないと言った眼差しで、僕は彼女を見つめ、にじりよられた分だけ距離を取ってしまう。

 そして、最大限の声量で叫ぶ。


「そんなこと、じゃないだろッ!?」


 ちなみに、ここで言う綾音の彼氏は、逸夜ではない。逸夜の兄、郁夜いくや事を指す。

 兄貴と付き合っている自分が好きな女の子が、赤の他人とキスしていたのを目撃となれば、確かに黙ってはいられない。


「キス、したかったからしたの。彼氏がいたら他の人とキスしちゃダメって誰が決めるの?」


「んなの、常識だろ!」


「だーかーらー、その常識って誰が決めるのさ」


「それは……」


 現実だったら間違いなく嫌われるキャラクターの綾音だが、とある理由が絡んでいることを観客も知っている。

 だから、彩祢の演技にただただ魅入っていて、この場で知らないのは、僕だけ。僕だけが、彼女に対して、どうしようもない怒りを抱える。

 

 綾音は、僕を観察するように、ゆっくり僕の周りをまわった。彩祢はまさに綾音として、僕と対峙する。


「じゃあ、質問を変えるけど、私が誰かとキスするのは嫌?」


「嫌だよ……本当は兄貴とだってっ、」


「へぇ、そうなんだ」


 嬉しそうな、綾音の意図が分からない。アヤネはいつだって、俺たちと違う先を見据えている。

 他の誰もいない教室。少しだけ暑くて、彼女の甘ったるいにおい。僕は本当に夏にいる感覚に陥る。


「……失望した?」


「綾音は僕に失望してほしいの?」


「そうだねぇ」


「アヤネを嫌いになんか、なれないよ」


「どうして?」


 今まで、アヤネにどんなことされても、アヤネのどんな願いも聞いてきた。

 その気持ちが分からないはずない。彼女の身の周りのお世話を甲斐甲斐しくしたり、兄貴と彼女のデートを付け回したり、始終そんな役回りの僕の好意、本当は彼女もそのことに気付いている。

 綾音は、彼が素直に言えないことも知っていて、はぐらかして、曖昧にしてしまうつもりだ。

 だって、アヤネはもうすぐへ行ってしまうから。


 綾音は、突発性の難病で。

 彩祢は、演技の留学で。


 自分が遠くに行ってしまう事を、好きな逸夜には言いたくなくて、自分への好意をほかの誰かに向けて欲しくて、綾音はわざと逸夜に嫌われるような行動を繰り返すのだ。

 兄貴と付き合うのも、さっきのキスも全部彼女がつく嘘。

 いつも見てきた綾音の、唐突な気弱な発言。僕が気づかないわけない。


「何を、隠しているの?」


「ん?」


「僕に隠し事してるよね?」


「……」


「ねぇ、アヤネ」


 どうして、何も教えてくれないの?


 僕であるはずの声は、絞り出した俺の本音だ。観客なんかどうでもいい、彼女の僅かに揺れた瞳に問いかけた。


「私、もうすぐ遠くへ行っちゃうの」


「へ?」


「できるだけ沢山、キミといたいし、もっともっと一緒にいたい。でも、もう駄目なの」


「あ……や、ね……?」


「もう会えなくなった時、傷ついて欲しくないの……」


「……そっか」


 綾音の気持ちを受け止めた僕は、綾音に対して素直にならないといけない。

 それが本当を受け入れることだと信じて。 

 

「例え、アヤネが遠くへ行っても、もう会えなくても、僕はアヤネが好きだ!」


 俺は、彼女を愛している。

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平方院綾音は嘘である 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731

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