一聴き惚れ
東雲 彼方
試奏の後から心臓が煩いんだ……
「すみません、これ弾いてみてもいいですか?」
私は壁にかけられていた黒ボディの四弦のジャズベースを指さしながら、黒髪メガネのひょろっとした店員のお兄さんに声をかける。凄い軽いノリでどうぞどうぞーってOKをもらったはいいがこの店員さん声が小さすぎる。よく接客業やってるなぁ、なんて失礼なことを思いながら椅子に座って待つ。声が小さくて少しオドオドしてる割には行動はテキパキしてる。やっぱりそこは慣れかな。シールドを凄い勢いでアンプと楽器本体に挿して、チューニングも軽くやってくれた。
「はいどうぞー」
「ありがとうございます」
試し弾きをしているが別に今すぐ新しいジャズベが欲しいわけじゃない。今は白の四弦のジャズベを使っているのだけれど、なんかちょっとしっくりこない。何が? よくわからない。多分ネックが少し太すぎる。指が短いから疲れちゃうんだよなぁ。あとそこそこ重いから肩こりが酷い! だからなんとなーく新しいの買うならネックが細くて今のより少し軽いやつ、でも音が太いやつが欲しいなと考えていた。そんな矢先である。たまたま出先で用事が早く終わってしまって自由な時間が出来た。門限までかなり時間もある。というか大学生になってまで門限あるってのはどうなんだか。暇だしどうしようかと考えていたところ、駅前の楽器屋が目に入ったのでふらりと立ち寄った。普段行ってるところとは少し雰囲気が違って面白い。そしてベースのコーナーを見た時、コイツが目に留まったというわけだ。
私は弾き始める前に周りを見渡す。試奏は正直怖い。全然そんなことはないんだけど、滅茶苦茶上手い人とかがそこにいたとして「うわ何コイツ、こんな下手なのに試奏なんかしてやがる。超ウケる」とか思われてそうで嫌なんだよ。全然そんなことはないハズなんだけどね。一応、ギターの方で試奏してる人だけかな……まぁ一人くらいならいいか。
そして私は弾こうとしてから気付いた。ヤバい、ピックがない。指弾き苦手なんだよなぁ。参った。置いてあるピックは大抵硬すぎて弾きづらいし、いつも使ってるやつじゃないと厳しい。しゃーない、下手だけど指でやりますか……メインは左手が弾きやすいかどうか見るのだからね! と心の中で言い訳をしておこう。
とはいえ、普段ピックでしか弾いていない私が指でも弾ける曲は限られている。うーんどうしよ。上手くはないけど左手の動きが激しいやつならコレだろ。
そして弾き始めたのはとあるボカロ曲。スラップ(弦を叩いたりはじいたりする奏法)ばっかりなのがちょっと嫌だけど仕方あるまい。昔試奏してる人で私より下手な人いたもんね、きっと大丈夫だよ。なんて考え事をしてたらちょっとミスった。恥ずかしい。でも周りにあるのは楽器ばっかりで誰もいない。さっきの店員さんもレジの方に戻って行ったし聞いてないでしょう。うん。あーコイツ弾きやすいな。今自分で使ってるやつよりフレットの移動とかも痛くない。今使ってるやつはフレットが指に刺さる気がするんだよなぁ。いいねいいね。よし、お金貯まったらこれ買おう。これにしよう。8万くらいでこの音出るなら十分過ぎるくらいだ。
気を良くしてしばらく弾いていたら何故かギターの音が聞こえてくる。さっきいた人も試奏を始めたんだろうか。ふと視線を上げると、赤のテレキャスを弾いている茶髪の大学生くらいの男の人がいた。
「……あれ?」
気づけば同じ曲を弾いている。それに気付いて目をぱちくりさせているとテレキャスの男の人と目が合う。そしてニヤリ、と片側の口角だけを持ち上げた。なるほどね。このままセッションしようぜってことか。思わず笑みがこぼれる。さっきまであんなにオロオロしながら弾いていたとは自分でも考えられないくらい伸び伸びと演奏していることに驚きつつ、この状況を楽しんでいる自分もいた。というか、あの人ギター上手くない? めっちゃ合わせやすいんだけど……。
気付けば一曲全部通していた。
「フー……いやぁ、マジか」
正直ここまで気分がアガるのってそうそうない。少々解せないけれど、運命的だった、という以外にしっくりとくる表現を今の私は持っていない。店員さんは素知らぬ顔でレジ前に立っている。でもな、お前も途中から身体が跳ねてたの知ってるんだからな……。楽器をスタンドに戻して、少し睨むようにレジの方を眺めていると、急にガシッと肩を掴まれて揺さぶられる。えっ、何?!
「なぁ、さっきの、やばくなかったか?!」
あ、茶髪のテレキャス男。
「やっぱり……なんかめっちゃエモかったっすよね」
「そう! マジで、なんかヤバかった。君めっちゃ上手くない? ――って君
「え、そうですけど……あ、お兄さん
よくよく考えたら見たことある顔だった。顔覚えの悪い私が何故思い出すに至ったか。消去法でたどっていったらこの顔がいた、ただそれだけ。
そもそも私の所属しているバンドを知っている人は限られている。そんな人気バンドでもないし、知ってるとしたら対バンでライブした人くらいだろう。そう考えたとき、対バンライブを思い出してこの顔がいなかったか考える。顔覚えの悪い私でも覚えていたのは、バンド名が独特だったからってのとボーカルがスキンヘッドだったから。その時は他のメンバーの人もイカツイなーって思ってたけど、こうして話してみるとそうじゃないんだなと感じた。むしろ人懐っこい感じでさえある。
それにしてもテンションが上がってるとはいえ、この人グイグイくるなぁ、なんて密かに私は考えていた。テレキャス男は褒められてニヤニヤが止まらないようである。頬が少し赤くなっているあたり少しは照れてるみたいだけども。
「やっべぇ……久々にテンション上がった……。なぁ、君――名前は?」
初めて話した人に名前を教えるほど私のコミュニケーションスキルは高くないはずなのだが、何故かこのときはすんなりと教えていた。多分テンション高かったせい。心臓が煩いのもきっとさっきの即興セッションのせい。
「佐久間 葵」
「俺は新井 司。えっと、佐久間さん?」
名字呼びに慣れてなくて全身の毛が逆立つ。少なくともバンド関係者に名字で呼ばれたことはない。だから余計になんとも形容しがたい嫌悪感に襲われた。
「葵でいい」
「そう? じゃあ俺も司でいいよ。なあ、この後って時間ある?」
用事も終わったし、まだまだ帰らなければいけない時間でもない。新手のナンパか? いやそれはないか。こんなモサいド田舎から出てきました感満載のマスク女にナンパするなんて、九割五分頭どうかしちゃってる奴だろ。勿論そんなことなかったのだが。
「スタジオ行かない? なんか一緒にやったらすげーことになりそうな気がするんだよ」
「あー……今手ぶらなんで、楽器取りに帰ってもいいですか」
「レンタルでいいならそれで。お金は出すよ。家に帰る時間が勿体無い、早く合わせたくてウズウズしてるんだよ……俺、葵の音結構好きみたいだし」
ああ、心臓が煩い。彼の口から放たれた二文字、「好き」という言葉に過剰反応してる。なんてことだ。認めたくないけど、もしかして、もしかして……いや私に限ってそんなハズはないでしょ……。
「だから、駄目?」
年上に見えるけれど、くしゃっと笑う顔はなんだか子犬のようで。そんな顔されたらもう反論なんて出来ないじゃないか。
「いいっすよ。行きましょ」
「よっしゃ、じゃあスタジオ行くぞー!」
そのまま腕を掴まれ凄い勢いで楽器屋を後にする。そのまま駅前の大通りを風を切って走っていく。その横顔がどうしようもなく輝いて見えて鬱陶しい。いや、鬱陶しいって言ったのは照れ隠し。本当はもっと色んな顔を知りたいとさえ思ってしまっている。ああダメだな、これはもう認めるしかないよ。
抱いてしまったひとつの感情、それは恋だった。
一聴き惚れ 東雲 彼方 @Kanata-S317
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