交差点の雑踏の中で

西藤有染

とある交差点にて

 一目惚れだった。


 交差点の信号待ちで、向かいに立つ男の人を見て、この人しかいないと直感で悟った。長い眠りから覚めたかのような感覚がした。この機会は絶対に逃してはいけないと思った。だから私は、横断歩道の向こうから歩いてくる男性の前に立ちはだかり、話し掛けた。


「好きです! 一目惚れしました! 付き合ってください!」


 思わぬ告白に、相手は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をした。だが、すぐに落ち着きを取り戻し、言葉が返される。


「公衆の面前ですよ。周りの人たちも変な目で見ています」


 周囲を見渡すと、道行く人々からは奇異な視線が向けられていた。だが、構わない。今大事なのは、私の目の前にいるこの人だけだ。


「私が知りたいのは周りの反応じゃなくて、あなたの反応です。返事を聞かせてください」

「……初対面の人に対してよくそんなにぐいぐい来れますね」

「あなたしかいないと思ったんです!」

「高校生が道端でこんな事をしていると、変な噂を立てられてしまいますよ」

「どうして私が高校生だと分かったんですか!?」

「どうしてって、あなた、制服を着ているじゃないですか」


 言われて、自分の格好を確認してみると、確かに制服を着用していた。こんな単純な事が頭から抜けていた事が恥ずかしい。それを誤魔化すように口を開いた。


「あなたとなら噂になっても構いません」

「冷静になってください。第一、私はあなたの学校の教員です。教師と生徒が付き合うなんて以ての外です」 


 一目惚れした相手が通っている高校の教師だったという事実に、今度はこちらが驚いてしまう。だが同時に、その事に対して、違和感を覚えた。


「先生の事、校内で見掛けた覚えが無いんですけど……」

「……新任なので、知らないのも無理はないかもしれません。とにかく、先生が生徒と交際するわけにはいきません。諦めてください」


 そう言って、先生はその場を離れようと歩き出した。しかし例えそれが許されざる関係だったとしても、この人以外はありえない、そう本能が私に告げていた。だから、去り行く先生の背中に向かって声を上げる。


「私、先生の事、絶対に諦めませんから! 先生が付き合ってくれるまで告白し続けますから! 覚悟しておいてくださいね!!」


 翌日、同じ交差点で、信号待ちをしている先生と目が合った。思いの丈をぶつける為に、思い切り息を吸い込み、そしてあらん限りの力を腹部に込めて、叫んだ。


「先生の事がぁぁーっ! 大好きだあああああああーーーー!」


 歩行者信号が青になり、人々は何事も無かったかの様に、一斉に歩き出した。現代人は余りに周りに関心が無さ過ぎるのではないだろうか。しかし、私の想いと覚悟の強さは先生に確実に伝わったと思う。きっと、この想いに応えようと私の所まで来て抱き締めてくれる筈。しかし、私のもとまでやって来た先生がくれたのは、熱い抱擁などでは無く、


「公共の場で愛を叫んで許されるのは創作の中だけです。常識的に考えて、大声を出す事は明らかに迷惑行為です。反省してください」


冷たい説教だけだった。


「そこは生徒の熱い想いに応えて行動に移すべきじゃないですか?」

「それが生徒の模範たるべき教師が道を踏み外すような結果に繋がるのであれば、例え生徒の要望があったとしても応える訳にはいきません」


 あくまで論理的に拒絶してくる。そんな筋の通った所も素敵だ。それに、壁は高ければ高い程、乗り越えてみたくなる。


「何度でも言いますが、私は生徒と恋愛する事は絶対にありません。そう約束しましたから」


 約束って、誰との約束なんですか。そう尋ねる前に、先生は私を置いて学校へと行ってしまった。


 信号待ちをしている先生の背中が目に入る。人が多いからなのか、こちらにはまだ気づいていないようだ。こっそりと後ろから近づき、耳元で囁いた。


「好きです、先生」


「うぉわっ!!」


 先生は耳を手で押さえながらその場で飛び上がった。周囲から一気に視線が集まり、先生はその場で小さく謝った。信号が青になった事で、人々は興味を失ったかの様にその場を離れ始めた。先生の反応が可笑しくて、小さく笑っていると、説教を食らった。


「こんな所で人を脅かして、事故でも起きたらどうするんですか。もしも私が驚いた拍子に誰かにぶつかっていたら、その人が道に飛び出して車に轢かれていたかもしれないんですよ」


 静かな声色ながら、これまでに無い程鬼気迫る表情で、本当に駄目な事をしでかしてしまった事に気付き、反省した。


「今回は幸いにも何も起こらずに済みましたが、万が一何かがあったら大変ですから。今後は気をつけてください」

「……はい」

「これに懲りたら路上では一切悪戯をしない事。いいですね?」

「……はい」

「あと、私の事も諦めてください。いいですね?」

「無理です」


 反省はしているが、それとこれとは別問題だ。そこは妥協するわけにはいかない。先生は苦虫を噛み潰した顔をしている。


「この勢いで丸め込めると思ったのですが……」

「そこまで私は甘くありませんよ。例え何か大事な約束が有るのだとしても、私は絶対に諦めません」

「……その約束が、あなたと交わしたものだとしても、ですか?」


「……え?」

 

 それってどういう事ですか。そう尋ねようとして、頭の中で何かが弾け、意識が途切れた。


 そして、全てを思い出した。


 気が付くと、辺りは真っ暗闇に飲まれて、空には月が浮かんでいた。いつの間にか夜になっていたようだ。目の前には先生が立っている。


「……もしかして、ずっと待ってくれてたの?」

「いえ、勤務の後でこちらに戻って来ただけです」


 彼の真面目さに思わず噴き出す。


「そこは嘘でも『先輩の目が覚めるまで側でずっと待っていました』って言ってくれればいいのに」


 その言葉に、彼ははっとした。


「もしかして、思い出したんですか、先輩」

「うん。全部、思い出したよ。……ねえ。君はさ、今何歳になったの?」

「……22です」


 当時、私は18で、彼は1つ年下の後輩だった。という事は、


「私が亡くなってから、もう5年経ってるんだね」

「……はい」


 この交差点で、私は車に轢かれて亡くなった。既に亡くなっているのにこうして意識があるのはつまり、霊的な存在になっているということだろう。


「最初から、私だって気付いてた?」

「いえ、最初は他人の空似かと思いました。ただ、同じ高校なのに向かう方向が違っていたのと、在籍生徒を調べても該当する生徒が出てこなかったので、もしかしたらそうかもしれない、と思うようになりました。決定打は、先輩が叫んだ時ですね」


 確かにあの時、こちらを気にする通行人は一人もいなかった。きっと、彼以外の目には私が映らないようになっているのだろう。先生は周りから見て、独り芝居をする頭のおかしい人に見えていたに違いない。そう分かっていても、私の事を無視せずにいてくれた事は本当に有り難いと思う。昔から変わらず、優しいままだ。


「君は、立派な教師になったんだね」

「僕はまだ単なる新米教師ですよ、先輩」


 私に合わせて、彼も口調が昔に戻ってきている。それが何となく嬉しかった。


「ううん。駄目な事は駄目ってはっきりと言う。当たり前のことだけど、最初からそれができる人は少ないよ。そこは誇っていいんだよ」


 物事をはっきりと言わないのは優しさでは無く、甘えだ。そこを取り違えていない彼は、間違いなく立派な教師だ。それに、


「華の女子高生からの告白もしっかりと断ってたからね」

「それは当然の事じゃないですか?」

「相手が、自分が高校の時にずっと告白して振られてきた相手だったのに?」

「僕が好きになったのは、先輩の中身です。表面だけの先輩になんて興味ありません。それに、『教師が恋に現を抜かしてはいけない』と言っていたのは先輩ですよ?」

「……何か私の発言、過激になってない?」


 記憶が正しければ、私は「教師になる人間が恋に現を抜かして勉学を疎かにするわけにはいかない」と言っていた筈だ。そう言って、彼からの告白を断り続けていたのだ。彼の事は好きだったし、付き合いたいとも思っていたが、私の場合、付き合ってしまったら彼に甘えて勉学が疎かになると確信していたので、教師になるまでは付き合わないつもりだったのだ。結局、教師になる前に亡くなってしまったのだが。恐らく、私がこうして現世に留まっていることに理由があるとすれば、それが未練となっているのだろう。


「ねえ。今でも私の事、好き?」

「……好きですよ。振られ続けていても、ずっと好きです。だから、教師になった事を報告しようと思って、この交差点に来たんですから。まさか本人に会えるとは思いませんでしたが」

「ふーん。……実は私も君の事、好きだったんだよ?」

「そうなんですか。……ええ!?」


 あからさまに狼狽え始めた彼の様子が面白くて、思わず顔が綻ぶ。

 

「君から告白されて、すごい嬉しかった。でも、付き合ったら私はきっと君に溺れて堕落しちゃうから。だから、少なくとも教師になるまでは我慢しようと思ってたんだ。そうなる前に死んじゃったから、多分未練が残ってるんだ。だから、好きです。付き合ってください」

「……いや……でも……生徒と教師じゃ……いや生徒じゃないのか……?」


 頭を抱えて真剣に葛藤する彼の生真面目さが愛おしくて、思わず噴き出してしまう。きっとこのままでは彼は結論を出せないだろう。だから、私は、


「ねえ、こっち向いて」

「何です――」


 振り向き様に彼の唇を奪った。霊体なので、感触は特に得られなかったが、ほんのりと温かさを感じた気がした。それに、感触の無いキスに、真赤になる彼の顔も見る事が出来た。結果としては十分過ぎる。充足を得た途端に、意識が薄れていくのを感じた。きっとこれが、成仏の感覚なのだろう。


「じゃあ、元気でね。私の分まで、教師として生徒の成長を助けてあげてね」


 そう言って、私は本当にこの世を去った。

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交差点の雑踏の中で 西藤有染 @Argentina_saito

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