寝耳に水の
柚城佳歩
寝耳に水の
長年、家族同然に接してきた幼馴染みが、ある日突然いつになく真剣な顔をして私に言った。
「好きな奴がいるんだ」
「え」
「バレンタインに告白しようと思ってる。だからいろいろとアドバイスしてほしい」
そんな事、初耳だ。
驚きすぎて咄嗟に返事が出来なかった。
必然的に一緒に過ごす時間が多くなり、今ではすっかり気が置けない大切な友人でも家族でもある存在だと思っていたのに。
なんだろう、この気持ちは。
大事に育ててきた娘が嫁に行くのを見送る父親の気持ち?いや、違うな。
独り立ちする弟を応援する気持ち?それでもない。
「なぁ、聞いてる?」
「え、あ、うん」
「じゃあまずは明日、買い物に行くから一緒に来てくれ」
「わ、わかった」
お互いの家の前で手を振り、それぞれの家へと帰る。
パタンと閉まったドアに凭れ掛かって、先程の言葉を反芻した。
「…好きな人、いたんだ」
喜ばしいような、淋しくもあるような、よくわからない気持ちで、この日は寝るまでどこか落ち着かなかった。
翌日。
出掛ける準備を整えてリビングで寛いでいると、玄関のインターホンが鳴った。
休日はいつも楽な格好の服を着ている事の多い政也が、今日は上から下まで、全体的にかっちりとした印象に仕上げている。
雑誌に載っていたどれかのコーディネートをそのまま真似したんだろうけど、手足のすらりとした身体によく似合っていた。
「おはよう」
「おはよう。あー、
「どしたの急に。私いつも大体こんな感じじゃん。しかも慣れない事するから噛んでるし。それに、いつもと違うのは政也の方でしょ」
「たまにはいいだろ、別に」
もしかして、好きな子とやらと出掛ける時の服装についての意見も欲しいって事なんだろうか。
先程のお返しに「そういう服も似合ってるよ」と言ってみたところ、耳まで真っ赤に染めてわかりやすく照れてしまった。
「ほら、早く行くぞっ」
中身はそのまま変わらないところが微笑ましくなって、前を行く背中を追い掛けた。
政也に連れられて来たのは、駅近くのショッピングモールだった。その中に入っている雑貨屋をいくつか回る。
どのお店も女性客ばかりだからか、政也は少し居心地悪そうにしながらも、時々気になったものを手に取っては私に意見を求めてきた。
「これはどう?」
「実用的じゃないし、インテリアにするにも微妙でただ嵩張るだけだから却下。第一可愛くない」
「じゃあ綾加が好きなものってどれだよ」
「何で私の好きなものを聞くの」
「俺が選んだもの、さっきみたいにいつも文句言うだろ。だったら最初から綾加に選んでもらった方がいいと思って」
「だから何で私に選ばせるの」
「いいから、どれでも好きなもの選べって」
納得は出来ないが否定も出来ず、再び店内を見回す。
「じゃあせめて、その子の特徴とか教えてよ」
「その子?」
「プレゼント渡す相手!告白するんでしょ」
私の言葉に少し躊躇った後、小さな声でぼそぼそと話し始めた。
「…いつも周りに気を遣って、自分の事を後回しにするような奴で、とにかく鈍感」
聞いてまず思ったのは、どことなく自分と似ているタイプだなという事だ。
だから私に相談をしたのかもしれない。
その一方で、話の途中から奥の棚の一角に目が引き寄せられていた。
そこは手のひらサイズの動物のぬいぐるみコーナーになっていて、その中からほわほわした白いウサギを手に乗せた。
「…可愛い」
つい口許が緩んでしまう。
指先で頭を撫でていた私の手のひらから、ウサギがひょいと取り上げられた。
「ちょっと、なにするの」
「これがいいと思ったんだろ?だからこれにする」
「私まだ何も言ってない」
「顔見りゃわかる」
そんなやり取りがありつつも、結局政也はそのウサギを購入し、ご丁寧に可愛いラッピングまでお願いしている。
…そっか、あれは私へのプレゼントじゃないんだもんね。
さっきまでの楽しい気分が急に翳りそうになる。
「おまたせ」
「次はどこ行くの?」
「食料品コーナー。ついでに母さんに頼まれた買い物していく」
暗くなりそうな気持ちは気のせいだと言い聞かせ、買い物の続きをしたのだった。
バレンタインデー当日。
先日あんな事を言っていたのだから、学校にも別々に行くんだろうと思っていたのに、いつも通りの時間に政也が迎えに来た。
「おはよう」
「おはよう…。あれ、チョコは?」
「帰ってから渡す」
見たところ通学に使っているリュック以外に手荷物がないので不思議に思ったが、なるほどそういう訳か。
とりとめもない事を話しながら駅まで向かい、それぞれの教室で過ごして、放課後は別々に下校する。これがいつもの私たちの日常だった。
ごろり。
ソファに寝転がって、さっきから何度目かの寝返りを打つ。
政也は無事にチョコを渡せただろうか。
私の選んだプレゼント、相手の子は喜んでくれたのだろうか。
家にいてもどこかそわそわと落ち着かなくて、スマホだけを手に持つと散歩に出る事にした。
特にどこか目的を持って外に出た訳ではないし、第一お財布を置いてきたので買い物も出来ない。
結局近所をふらふらと歩いただけで、すぐにUターンの道を選んだ。
「あ…」
その帰り道、よく知っているシルエットを遠目に見付けて足を止める。
今朝にも会った政也と、その隣。見知らぬ綺麗な女の子が仲良さそうに並んで歩いていた。
もしかして。あの子がチョコの相手なのかも。
帰ってから渡すと言っていたからきっとそう。
頭ではそう重いながら、心にはもやもやとしたものが少しずつ広がっていく。
そこで初めて気付いた。
このもやもやした気持ちの正体。
私、好きだったんだ、政也の事。
単なる幼馴染みとしてじゃなく、一人の人間として、男性として好きだったんだ。
その時、ベストなタイミングでと言うべきか、手に持っていたスマホから着信音が流れた。
表示を見ると政也の名前。
少し躊躇いつつも、通話ボタンをタッチする。
『綾加、今どこにいる?』
「あー、近所を散歩してるところ」
『散歩?もうすぐ帰んの?』
「うん、今絶賛帰宅中」
『…じゃあさ、あと一時間か二時間したらそっち行くわ』
「何なに、チョコでもくれるの?いいよ、私にまで気遣わなくて。それよりもさ、上手くいったみたいだね、おめでとう」
『は?何言って…』
変に突っ込まれたくなくて、早口で言うだけ言うと通話を終了する。
もう少し時間を潰してから帰ろう。
そう思ったのに。
「おい、綾加!」
「っ!」
またもや計ったようなタイミングで、こちらに気付いた政也が走って向かってきていた。
「待てって!」
反射的に走り出してしまった私を、買い物袋を手に持ったままの政也が追い掛ける。
つい咄嗟に逃げてしまったけど、どうせ帰る場所は一緒だ。
「わっ、急に止まるなよ」
足を止めた私を少し追い越して、体勢を立て直しながら政也が振り返る。
「あのさ、もしかしたらだけどさ、何か勘違いしてねぇ?」
勘違い?何の事かと首を傾げる私に構わず続ける。
「俺、まだ誰にもチョコあげてないぞ」
「え、でもさっき…」
「あれは妹!お前も充分すぎる程に会った事あるだろ。今日はすげー気合い入れて化粧してたから、別人に見えたんじゃねーの」
確かに言われてよくよく思い出してみると、あの顔立ちは私もよく知る政也の妹ちゃんだった。
「せっかくだから出来立てを渡すつもりで、帰ってから、フォンダンショコラっての?作ろうと思ったら失敗して、しょうがないから作り直しの分の材料を買いに行ってたとこ。
「じゃあ、こないだ選んだプレゼントも」
「最初からお前に渡すつもりだったよ」
「なんでわざわざそんな面倒くさい事を…」
「前に誕生日プレゼントあげた時、自分で好きなもの選んだ方がいいって言ってただろ」
「それは政也のセンスが壊滅的だったからでしょ!」
「そういう事はもっとオブラートに包んで言えよ!」
いつものように言い合っていたら、ごちゃごちゃと考えていた事が馬鹿らしくなってきて、二人で笑い合った。
「…あのさぁ、前に俺が言った好きな奴の特徴覚えてるか?」
「えーと、確かいつも周りに気を遣っていて、自分の事は後回しで、とにかく鈍感な奴?」
「そう。それで、基本器用なのに包丁持たせると危なっかしくて、料理と盛り付けのセンスが独特で、俺がやる事なす事文句を言いながらも付き合ってくれて、ダメな時は叱ったり励ましたりもしてくれて、笑ってるのを見るとこっちまで釣られて笑いたくなるような、ずっと笑っていてほしいって思ってる奴。
…ここまで言ってもわかんねぇ?」
普段から鈍い鈍いと言われてきた私にもさすがにわかった。
政也に釣られるように、じわじわと顔が熱くなっていく。
ねぇ、それって私だって、そんな風に思ってくれてるって、自惚れちゃってもいいのかな。
黙ったままの私をどう思ったのか、「あー、もう!」と言いながら自分の頭をわしゃわしゃとした後、真っ直ぐに向き直って一歩距離を詰めると。
「だからつまりは!あなたが好きです、って事!」
瞬間、心臓が止まったかと思った。
こんなストレートな告白をされたのは、生まれて初めてだ。
身体の真ん中から指先に向かって熱が広がっていく。
「…今から作り直すから、チョコ貰ってくれるか?」
返事はもちろん――。
寝耳に水の 柚城佳歩 @kahon
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