第10話 一方その頃…と、えらい人って

 ガンッ、ガシャンッと、物の壊れる音が響く。

「まったく忌々しい若造めっ!」

 ヌィール家は技術貴族と呼ばれる一派だ。

 精霊と親和の強いこの国では、加護縫いという精霊の力を宿す縫い物のできる一族は特別だった。

 初代王の傍系。

 王の娘、末の子供の血筋だと伝えられている。

 始祖である娘と、はじまりの蜘蛛との契約につらなる、ヌィール家。

 国と精霊を守護する国守布、一定以上の魔が国内に存在することを禁じる結界の核を作ったのもヌィール家の始祖だ。

「本来なら、一等級貴族である我々を馬鹿にしてっ!」

 貴族は地位の高さの順に、等級で分けられる。

 七級まであって、先々代までは一等級だったヌィール家だが、現在では三等級まで落ちている。

 先代で事業に失敗して領地を大半手放すこととなってしまい、ユイがいた時に二等級に落ち、現在では技術貴族であるというのに腕の悪さで三等級になったのだが……その自覚も反省もない。

 才能のない長女を、それなりの値で手放した先が、内心腹立たしく思っている成り上がり者ロダンだ。

 気のすむまで怒鳴り、家具や壊れ物に八つ当たりをして……それからニマニマと口元を歪めた。

 等級を先代から落としたヌィール家とは逆に、その溢れる才能と人望で四等級貴族から二等級へと等級を上げたのが、ロダンである。

 一等級に上がれていないのは、その血筋に王家の者がいないからだけではないかと囁かれていた。

 才能のない、貧相な長女だったが、アレでも一応紛れもなくヌィール家の血筋……才能さえあれば跡取りであったはずの娘だ。

「ふふん、針子の腕が欲しいとか言っておったが、分かっておるぞ。どうせヌィール家を取り込んで、さらに成り上がるつもりだろうが」

 懐から羊皮紙を取り出す。

 彼はそれを見るだけで、苛立ちや嫉妬がすぅっと消えるような気がした。

 それはヌィール家に伝わる契約書だ。

 当主は外に嫁ぐ者の、蜘蛛との契約を書き換えなければならない家約がある。無闇に増やすと危険だからだ。

 しかし現当主は、敢えて手続きをしなかったし、警告もしなかった。

 蜘蛛は元々は、精霊や人間をむさぼり食う魔物だった。

 始祖が契約を結び、そのあり方を変えたモノだ。

「くくく、名を変えたとたん、この契約は切れ、あの若造やその周辺は……」

 一転して楽しげに高笑いする部屋の片隅で、人ほどの大きさの蜘蛛が隷属の首輪をつけられた女の背で、ギチギチギチと当主と呼応するかのように鳴いていた。



「なにが質が落ちただ! 出来損ないの針仕事などと。ヌィール家だぞ!」


 ヌィール家当主にガッと腹を蹴られた奴隷は目を覚ました。


 あぁ、またか。


 魔物のようにキイキイと喚く……今の、自分のご主人様。

 奴隷はほとんど見えない目を、それに向けた。


 蹴りはそれほど痛くない。

 短く太った足は、運動不足もあって体の動きとちぐはぐなのだ。

 ただ手を踏まれるのは、その体重もあって、辛かった。

「アァアーーーっ!」

「加護縫いができるのは、ヌィール家だけだぞ! なのに、なんだこの糸はっ! もっと精霊から力を奪え! 力がほとんど入ってないではないかっ!」

 虚ろな奴隷の反応がよいからか、ことあるごとに踏まれる手は赤黒く、骨の折れる音すらしなくなっていた。


 彼女は呪霊師だ。

 とは言え、その力は弱く、師の所からあっさり売りに出された娘である。

 精霊を呼び寄せることしかできない。

 捕らえて、力を奪うことはできない。

 いや、呼び寄せることができるのは、呪霊師にもほとんどいない能力だ。

 この力を知った時、師は彼女を褒め称えてくれた。

 呪霊師は精霊に嫌われやすい。

 だから精霊を呼び寄せる彼女の力は、呪霊師にとって宝物のようだった。

 師が田舎の彼女のいた村を訪れたのも、精霊を捕らえるためだった。

 ほとんどの村人は呪霊師を嫌ったけれど、田舎の貧しい農家の娘は、自分の特別な力を認めてくれたこと、そして田舎では見かけない整った顔立ちの呪霊師であることに熱を上げ、生家を捨てた。


 それが運命の分かれ道であった。


 もし彼女が、呪霊師に見つからなかったら。

 もし彼女を見つけたのが、魔術師だったら。

 もし彼女が、精霊を大切に思っていたら。



 ……彼女の運命は、違ったものになっていただろう。



 娘の力は、永久的なものではなかった。

 精霊を意志あるものと認識してない呪霊師と娘は、精霊を搾取することしか考えない。

 そして精霊には、意志があるのだ。

 当然、精霊は逃げる。

 呪霊師の味方になった彼女の力が、新たな地で通じるのは、三~四年だ。

 精霊の逃げた地には、新たに精霊が生まれることも少なくなっていき、やがて生まれなくなるからだ。

 あっという間に、娘の価値は下がった。

 彼女は惚れた男に捨てられ、奴隷として売り飛ばされた。

 呪霊師から呪霊師に売り飛ばされ、精霊を呼び寄せる餌として使われ、娘は嘆く。


 どうして? 私は幸せになりたかっただけなのに……。


「また高い金を出して、呪霊師を雇うはめになるのかっ! クソっ!」

 ご主人様の喚く声が、頭に響く。

 そしてご主人様が腹立たしく部屋から出て行く姿を、虚ろな眼で見送って……


 娘は師の顔を思い出した。


 ギチギチ、ギィギィ……


 背中で蜘蛛が鳴く。


「ンフフフフフ」

 欠片も精霊の気配を感じなくなった蜘蛛は娘の力を食いはじめた。

 蜘蛛は娘よりも、上手く力を使った。

 ご主人様は、きっと呪霊師を、愛しい男を連れてきてくれる。

「アハハハハハハ」

 美味しく食べてあげよう。

 彼女は蜘蛛の捕らえて奪う能力を使えるようになっていた。

 彼女はとうとう、本物の呪霊師になっていた。

 精霊を食い物にする呪霊師なのだ、きっと精霊より美味しいだろうと、彼女の口からはよだれが溢れた。


 食べてしまえば、師は、彼は……


 永久に私のもの。


 そしたら、きっと、幸せになれる。


 奴隷の背中に張り付いた蜘蛛の腹は、彼女の体と一体化しつつあった。



 どんなに高価な布だろうと、私のすることに変わりはない。

 ただ布面積が無駄に広かったので、余裕で前世でのおっさん専用安物ゴルフウェアより粗末なシャツ……むしろ元はなにかの筒(?)を、普通のワイシャツ風に直すことができた。

「早い」

 思わずという風に呟くアージット様。

 ここまでは普通の糸で縫った。

 だって、精霊さんの剣でバラッバラになったのは、蜘蛛の糸だったし。

 もしまた同じことがあったら、いや~んなことになってしまうではないか……いや、精霊さんが無差別にそんなことをするはずもないが、知ってしまったからには、対策しなければプロではないだろう。

「いちど、着て、みてくださ」

 たぶん大丈夫だろうと思うけど、着る人の意見が欲しい。

 アージット様は真剣な表情で、私の縫ったシャツを受け取り、羽織った。

「……これは、凄いな。普通の服とは……こんなに着心地の良いものなのか……」

「いえ、ユイの服は普通じゃありませんから加護縫いがなくても、一等級針子の腕です。加護縫いでできていても等級外の屑の作った服と比べられては、一般の針子が泣きます」

 まったくである。あんな縫製、はじめて雑巾縫う子供よりひどいもの!

「きつい、とこ、ありますか? 動き、にくいとこ、ありますか?」

 アージット様は私の質問に、なんだか泣きそうな顔になった。

「すまぬ。これまできつかったり苦しかったり、窮屈で動きにくい服しか着たことがないので、調整して欲しいところが見つからん。と、いうか……シャツが気持ち良すぎて、肌着が不快になってきた……」

「アージット様……」

「……」

 哀れっ!

 アージット様っ、かわいそうっ!

 偉い人なのにっ、偉い人なのにっ!

 思わず涙ぐんでしまう私。ロダン様も「うっ」と呻いて目元を押さえていた。

「ユイ、早く仕上げて差し上げてくれ」

「はいっ!」

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