第135話 自省
街道沿い、森の中に開けた場所を見つけると足を止め、火を起こして囲む。
そう街から離れてはいないが、知らない場所で夜道を歩き続けるのは危険であるし、何より疲弊もする。
イフレニィら三人の輪に、何故か髭面が加わり、静かに保存食を齧っていた。焚き火によって髭面の全身が確認できると、イフレニィは眉間に皺を寄せた。腰に収まる程度の小型ではあるが鞄を備えており、それは膨らんでいる。携行食の準備もしているところを見るに、初めから付いて来る気だったように思えたのだ。
髭面の旅は終わったものだとばかり思っていたが、地図の存在をちらつかせてきたことからも、まだ同行する気でいるらしい。
腹を落ち着けると、イフレニィも白湯を飲むのに付き合いつつ心を決める。これまでも臨機応変に動いてきたつもりだが、別の言葉で表すならば場に流されるようにしながらだ。もちろん目的に叶う形であることが前提ではあった。しかし、今回の旅程変更は不本意ながら自分が原因だ。まだ戻れる内に、出来ることはすべきだろう。
何食わぬ顔をして、この場に居座っている姿を盗み見る。人の気も知らず、白湯を飲みつつ寛いでいる様は癇に障る。だが、丁度良い機会なのだ。これまでのわだかまりを呑み込み、イフレニィは背筋を伸ばすと髭面へ向き直った。
歩きながら、セラのために何ができるかと考えた。そして、この地ではイフレニィ自身が動くことはできない。ならば気に食わない相手にだろうが、頼るほかない。
「こいつらを、工房に連れて行ってくれないか」
だから、少なくとも直接的にはトルコロルとは無縁の人物であり、認めたくはないがイフレニィよりも腕が立つのは間違いない相手に頭を下げた。
髭面は、言葉を吟味するように目を細めた。裏の意味などないのだが、イフレニィが徹底して拒絶の態度を取り続けて来たことが、そう思わせるのかもしれない。
「あんたになら街の住人も、余計な手出しは出来ないはずだ」
それに、髭面自身や背後の帝国の思惑にも、セラ達は無関係だろう。つまるところ、守るべき一市民だ。ただし、言われずとも任務中であるのは間違いない。そちらが優先されることは理解していた。予想通り、髭面の表情に、口を開く前から断られる気配を察する。
「一日、いや半日でもいいから、手を貸して欲しい」
それでも、無理を通したかった。
「頼む」
髭面は、一応の考えるようなそぶりを見せ、口を開いた。しかしその返答を遮ったのは、意外にもセラだ。
「それはいい」
良い案だという意味か、断っているのかどちらだと、イフレニィが困惑して目を向けると、セラは慌てたように言い直す。
「妙な形とはいえ、元老院の内部まで来れた。だから工房は、もういい」
「それでは、ここまで来た意味がない」
観光ならそれでもいいだろうが、自身の工房を持つ際に役に立てばと訪れたのだ。だからイフレニィは即座に反論したのだが、セラは頭を掻きながら苦笑した。
「それが、あった。あの魔術式の部屋。大収穫だよ」
それは趣味の領域だろうと言いたかったが、複雑な面持ちながらセラが確かに満足そうに顔を緩ませるのを見ては、何も言えなくなった。
「そうか……」
返した言葉は掠れた。本当に、満足なのか。他人の心の内など分かりはしない。
とはいえ、イフレニィはセラの旅に同行している立場だ。それでいいと言われれば、これ以上食い下がることも出来なかった。
「役に立てず、申し訳ないな」
これ幸いと髭面は肩を竦め、おざなりの言葉を付け足した。
それは、イフレニィ自身の胸に湧いた言葉でもある。ただでさえ、個人の都合で無理に押しかけたのだ。せめて目的を果たす手伝いくらいはしたかったのは本心だった。旅人が護衛対象を目的地まで無事に送り届けるどころか、その邪魔をすることになった結果に、ますます気落ちする。
「そっとしておいてやれ」
セラの声に顔を上げると、魔の手が迫っているところだった。もちろん、禄でもないことしかしないのはバルジーだ。膝立ちでイフレニィの側に居たバルジーは、細長い葉先に毛虫が付いたような草を握っており、セラに止められたため無念そうに振っている。ついでに、こいつにも迷惑をかけて申し訳ないと、心の中で呟いておいた。あることに思い至り、イフレニィはバルジーを見上げる。
「よく、ずっと静かにしてられたな。広間で」
人目のなかった会議中に、何事かしでかさないか気懸かりではあった。それに目の前のことで手一杯で、すっかり忘れていたが、血の気の多いバルジーが戦闘中に茶々を入れなかったのも意外に思えた。
「亡き者にしようとかの気配はなかったし」
答えは単純で、動物並みの嗅覚を働かせていたらしい。だからこそ、すでに出がけには退屈そうな様子だったのだ。そう思ったなら言えよと、つい恨みがましく見てしまう。
「このまま閉じ込められるのかなー大変だねえって、それだけ」
――大変で済むか!
それでは亡き者にされるのと大差ないだろう。頭が痛くなるが、二人は無関係であり巻きこんでしまったのはイフレニィだ。助ける義理はないし、罵られても当然だというのに、セラが許してくれたことに胸は痛む。
――俺がうまく立ち回れなかった。確かに、それだけだ。
「ははは、存分にへこむといい」
にこりともせずにバルジーは、乾いた笑いを響かせた。本来の護衛であるバルジーは、雇い主のセラが構わないと言おうが、問題を持ち込んだイフレニィに腹を立てるのは当然だ。返す言葉もないイフレニィは、ただ唇を噛みしめる。
結局、魔の手は伸びてきた。ぺしっぺしっと、顔から乾いた音が鳴る。バルジーによる毛虫草の攻撃を、イフレニィは甘んじて受けることにした。
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