第129話 決闘

 イフレニィの頭上に集中し展開されていた魔術円が、次には行く手を阻むように半円状に展開された。再び発動される僅かな溜めの瞬間に道筋を読み、イフレニィは間隙を駆け抜ける。炎のつぶてが雨のように降りかかる中だ。全てを避けるのは無理だろうが、範囲を広げたために隙間も大きくなっていた。頭を下げ、縫うように走りながら、回りこめる隙を窺う。

 周囲を囲んだ魔術円の壁を横目に、退避を考えたが、代表が言ったのは切り刻むことはないというだけだ。痺れるなどの罠はありうる。それに――セラとバルジーを残して逃げるわけにもいかない。イフレニィは諦めて、意識を小僧へと集中させる。

「どれだけ国へ戻りたいか、民の願いを、フィーは誠実に話したはずだ!」

 相手はガキだと甘く見ていれば、死ぬ――そう考えた時点でイフレニィは、懐で掴んだ小刀を左手の内に隠し持つ。小僧の符を扱う動作は、準備から発動まで流れるように素早い。しかも合間にとはいえ、喋りながらでも使いこなせるとなれば、かなりの訓練を積んでいるのが見てとれた。

「それを、己の生まれ持った責任や力を意識せず、いい加減に生き、」

 体格差で有利なイフレニィは、近付くことができれば動きを封じるのは容易いだろうと考えるが、その弱点は踏まえているようだ。発動する際に小僧は、すでに逆の手に符を取り出し展開準備している。

「貴様個人の些少な都合で無下にする、その報いを受けろ!」

 動きを探っていたイフレニィだが、さらなる手の内など見る必要はないと判断する。火の範囲術式などという凶悪な攻撃方法であれば、たかが一人の的など囲んで放てばよい。単調さを素早さで補ってはいるようだが、それでも機は見えた。

 右手で外套の内を探り符に触れ、一つを選んだ。見ずとも手触りで、セラの符は分かる。手元の動きに気付いたのか、小僧の目は鋭さを増した。

「氷属性? そんなもので何ができる」

 それにはイフレニィも驚きを見せる。

 展開すらしていない符の種類が読めるなども、ありえないことだ。そこで、符とは別の精霊力の流れに気付いた。気付いてしまった――小僧は、体に刻まれた印を通して符を発動させている。

 イフレニィの脳裏に、バルジーを追って印を通した精霊力によって、符の残照を把握した出来事が過った。印持ちならば、あれと同じことができるということだ。

 そう考えて精霊力の流れを見れば、小僧が符を、印を通した精霊力によって発動させていることにも気付いた。そうすることで、精霊力の通りが良くなるようだった。思えばイフレニィは、印と符へは別々に精霊力を送っていたのではなかったか。そこで、女騎士や小僧と、自分の印の違いにも気づかされた。

 二人に、爆発的な流れは起こらないのだ。

 印に気を取られた隙に、また火の雨が襲う。今は、目の前の対処に集中すべき時だ。印持ちの魔術式使いとは厄介なものだと、内心で舌打ちする。

 発動と僅差で、新たに展開される円。その速度は増している。まだまだ本気とは言えないだろう。これ以上、時間をかけるわけにはいかない。小僧が片手の符を発動し、次に切り替えるわずかな隙。イフレニィは足を止める。

「力がどうとかの前に、俺は一人の人間なんだよ」

 何の符を使うか読めることさえ、意味のないものに変える手。言い捨てながらイフレニィは自分の目を庇い、符を翳していた。展開のみだ。庇ってもなお光は隙間から目蓋を刺す。広間全体を白く染めたのだろう。周りからも叫び声が上がった。

 即座に展開を解き、標的の側へ駆け寄る。小僧が発動しかけていた符は、暴発したようだ。外へ向け発動されてしまった炎の効果は、壁のような魔術円に掻き消されていった。

 火の粉を掻き分けるように、イフレニィは小僧の首に腕をかけ、引きながら背後に回りこんだ。

「ぐッ……!」

 小僧の首を肘の内で締め上げ、隠し持っていた小刀を持ち直す。

「止めて! 待って、彼を離して!」

 女騎士の叫びに、首筋に押し当てた刃を止める。締め上げた腕を、苦しげに藻掻く爪が傷つけるのを見下ろした。体術の訓練は受けていないらしい、そんな感想を浮かべながら視線を上げる。走り寄ってきた女騎士の目に、悲痛な感情を見た。魔術円の檻に、罠はなかったようだ。

「少しは我慢を覚えさせろ」

 小僧の背を突き飛ばし、女騎士へと引渡した。女騎士は安堵の笑みを浮かべ、大事そうに抱きしめた小僧の背を撫でる。

 敵を排除するために狭まり、研ぎ澄まされていたような感覚は途切れていた。速まっていた鼓動を落ち着けるべく、一つ大きく息を吐くとイフレニィは小刀を仕舞った。


 気が付けば、遠巻きに囲んでいた連中の輪が近い。まさか、仲間を死なせかけたからと捕まえるつもりだろうか。攻撃を受けたのはこっちだというのにと、イフレニィは警戒するが、違和感しかない言動が沈黙を破った。

「ほほう、これは魂消たまげたわい」

 代表は手を打ちながら笑いだしていたのだ。弟子が死に掛けた場面で見せる反応ではない。

 ――ここは人でなしの集まりかよ。

 文字通りに消えてもらっても構わないと、イフレニィの冷えていた感情に、再び怒りが湧く。

「こうして今までも、意に沿わない者を消してきたのか」

 それならば、多くの民が生き延びていながら、王の血筋が少ないのも頷ける話だ。

 だが、イフレニィの言葉に起きた周囲のどよめきは、予想とは違うものだった。狼狽、動揺、混乱。様々な感情が顔に表れているが、心外だといった反応なのだ。

「初めに説明を怠った、私の落ち度。命まで取ることは考えておらなんだ」

 代表は惚けた口調で言った。

「まともに喰らったら、焼け死んでただろうが!」

 たまらず出ていた怒声に、代表の声も真剣みを帯びる。

「我々は、何をおいても主王の血筋の者を望んでいる。命を奪うようなことはない。できないのだ。そこだけは誤解なきよう」

 開いた口が塞がらない。まさに今、目の前で死に掛けていた相手に、どの口がそれを言えるというのか。イフレニィの反論を読んだように、それについての弁解が始まった。

「これはトルコロル内部の事情。副王足る者が、貴方を主王と認めるべく、戦いたいと望んだ。中立を謳う我ら元老院が、そこに口出しする権利はないのです」

 そう聞かされたところで、イフレニィは憮然とするしかない。元老院がどのような組織か、これまでにも見知っていたことではある。だがイフレニィは、トルコロルとは無縁だと言い続けてきたのに、否応なく巻き込まれたのだ。

 やはり、決闘など受ける側には得なことなど何もない。イフレニィは歯を食いしばって怒りを飲み込んだ。これ以上の言い合いなどしたくもない。もはや夜だろうと構うことなく、約束通りに出ていくと腹を括っていた。

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